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「お弁当、温めますか?」


これ、ずっと書きたかったお題。
ずっとずっと不思議に思っている現象です。
誰も不思議に思わないことがまた不思議。


コンビニではたくさんの人が弁当を購入していきます。
レジの、客から見て向こう側、店員からすると背後に電子レンジがおいてあって、弁当や麺、ドリアグラタンなどをご購入いただいたお客様には、必ずと言っていいほど、かける言葉がある。

 「お弁当、温めますか?」

ぼくにはこれ、すごく不思議です。
2年あまりコンビニで働いているから慣れはしたけれど、不思議が消え去ることはない。

1000人接客して、客の方から「弁当を温めて欲しい」と申し出てくるのは、まず、1人か2人。数えてみたわけではないから体感でしかありませんが、要するに「レア」です。


世の中にはいろいろな人がいます。自らの意思表示を自然に為す者もいれば、苦手な者もいる。だから、弁当その他を温めて欲しいのかどうなのかの意思表示に関しても、いろいろとあるだろうというのは容易に想像できます。

ところが「いろいろ」ではない。
購入する側は意思表示は自ら意思表示をしないことが習慣になっている。


店員から尋ねるのは、店員の方の都合です。客はいろいろだから、声を掛けて店員がやりやすいように誘導しているわけです。レジ袋に詰めてから温めろと言われたら二度手間だし、客の方も時間がかかるわけだし。

意思表示が苦手(であろう)個体を標準に作業(=接客)を標準化する。ごく当たり前のことです。


不思議なのはみなみな「標準」だということ。標準外がレアだという不思議。

弁当を温めるかどうかは客の意思なんだからこちらからはわかりません。コンビニ店員はエスパーではないんだからw。自分しかわからないものは自分から意思表示するのが当たり前のはず。まあ、それが苦手な者もいるだろうから、サポートして差し上げるのはいいんですけど、みなみなそれというのはどうにも不思議でしかたない。


実は試しに、わざと尋ねなかったことがある。何も言わない客には何も言わずにレジ袋に入れて弁当を手渡してみた。要するに実験です。

客はたいてい、こちらの手元を見ています。どんなふうに袋詰めをしているのか監視をしているわけではないにしても(意識的に監視しているであろう者も少なからずいますが)、他に視線を向けるところもないので自然にそうなる。なのに、これも体感ですが、8割は差し出されるまで自身から意思表示をしてきません。

ほんとうに「刷り込まれて」いるんだな、と思っています。


全体でいうと、温める必要はなかった(のであろう)人が6割。中には、本当は温めて欲しかったのだけど、こちらが何も言わずに差し出したので仕方なく受け取ったような雰囲気を醸し出す者もいます。そんな人には悪いことをしたと思ってしまいますが。

で、4割のうちの2割は、袋詰めの最中に気がついて、「弁当温めてほしいんだけど」と言ってくる。残りの8割は「はい、どうぞ」と弁当が入ったレジ袋を差し出してから、「あ、弁当温めてください」と言ってくる。こちらは確信犯なのでニッカリ笑って、「あ、そうだったんですか、すみません」と作業に入る。

なかには「なぜ聞いてこないんだ!」と怒り出すのもいます。まあ、レアですけれど。オッサン or ジジイです。


輪をかけて不思議なのは、店員側です。

コンビニなんて2年もやればベテランですが、そうなると新人に仕事を教えることも出てくる。

ぼくの新人教育は「習うより慣れ」なので、基本、教えません。教えないのに知っている。マニュアルにも「お弁当温めますか?」なんて、ない(と思う。確認したことがない)。

これも実験してみたんです。
ある新人が来たときに、教える前の「模範演技」ということで、とりあえず横に立たせてレジをやってみせる。で、まったくもって「模範」ではないんですけど、「お弁当温めますか?」を抜きでやってみた。10人ほどやってみせて交替して、横で見守る。

すると、「新人がお弁当温めますか?」と、教えもしないし見本も見せないのに、自発的にやってくれるんです。笑いそうになるのを堪えながら、「おお、よくできたね!」と褒めてあげました。

こんな実験をしてみたのは、ひとりだけですが...(笑)


なんなのでしょうね? この「刷り込み」の感染力。インフルエンザなどよりも、よほど強力です。



一時は、尋ね方を変えてみたこともあります。

標準的な「お弁当、温めますか?」ではなくて、

 「お弁当、温めなくていいんですか?」

と否定形で尋ねてみる。
もちろん背景に、「オマエら、なぜ、自分から意思表示しないのだ?」という疑問があったからです。


けれど、これは不毛な試みでした。

もともと客は、こちらのいうことなどあまり聞いていません。なので、問いかけが否定形になっていることにあまり気がついてくれない。

「お弁当、温めなくていいんですか?」

と問うて、

「温めて」

と答えが返ってくればいいんですが、

「はい」

と答えられてしまうと、どちらなのかがわからない。

これも8割方「温める」の「はい」なんですが、2割ほどはこちらの言葉をキチンと聞いてくれている人がいて、「温めない」の「はい」だったりする。観察していると返事はどうであれ察しは付くのでまず問題ないし(温めを望んでいないのを温めようとすると、相手には微かにビックリしたような反応が出る)、ぼくとしては察しをつけることを楽しんでいたりはしたのですけれど、なんとなく意味を感じられなくなって、自然にしなくなりましたね。


今はあまり考えずにやってます。もともとマニュアルに沿ったような動きはできないしするつもりもない。基本、尋ねますが、タイミングやらは相手の雰囲気に合わせて、みたいな。



それにしても、です。

「弁当、温めますか?」は、もはや常識と言っていい。そうした常識が生まれる理由は納得がいくにしても、その感染力の強力さには驚くべきものがあります。

強力すぎて、逆にほとんど驚かれることがないのですけれどね。


感じるままに。