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危機管理ってなんだろう?


タイトル画像は「顔」を並べてみました ♬

右から、
 日大アメフト部の元監督、内山氏。
 安倍晋三内閣総理大臣。
 NEWS小山慶一郎。
 山口達也元TOKIOメンバー。


おっと?
右からではなくて、左からでした。訂正して誠心誠意のお詫びを申し上げます (・ω<)

...は、危機管理できていますでしょうか? 


まあ、そもそも、ぼくのテキスト程度には「危機」など訪れもしないでしょうが...。



そう、「危機」とは、速い話がネットでいう「炎上」のことです。世論の批判を浴びること。

ネットでは「炎上」。
テレビになると「危機」。

現象としては同じものだと思うのですが、名称が異なるのはネットとテレビの格の違い? 


実際のところは、「収入の違い」かもしれません。

「炎上商法」という言葉あるように、ネットの仕組みは批判であろうが「スキ」や「いいね!」であろうが、アクセスがありさえすればいい。

テレビだって視聴率さえあればいいという面はとても大きいらしいけれど、評判を落とした「顔」が出演していると視聴率が下がって番組が打ち切られたり、テレビ局全体の視聴率が下がったりするので、それは収入に結びついて「危機」となる。

ネットでも「炎上」から「危機」になることはあるのでしょうけれど、それがニュースになるのは見かけません。

ネットでは「危機」はなくて、そのまますぐに「消滅」なのかも。

「危機」という局面があるのが、テレビなどとネットの格の違いなのかもしれません。



本来の意味での「危機」とは、左から2番目の方が最高責任者として管理しているようなことを指すのでしょう。

社会の枠組みへの脅威に対処するという意味での危機管理。

ここでいう「社会」とは、ほぼ国家と考えていい。あるいは、いくつもの国家(社会)で成立している「国際社会」。


それからすれば、本来の意味ではないけれども世間を騒がせている方の「危機管理」は、いわば「コップの中の嵐」でしかないと言えます。が、とはいえ、「コップの中の嵐」が「コップ(社会)」を割ってしまわないとは限らない。

限らないから内憂外患という言葉がある。

「内憂」と「外患」は、どちらも国を滅ぼす。というより、きっかけが「外患」であっても、内実は「内憂」が滅亡の原因であることの方が圧倒的に多いのは、歴史を眺めてみれば見て取れることです。

そして、「内憂」から大衆・国民の目を逸らせるために「外患」をことさらに煽り立てるというのも歴史の上では多く見られる現象で、現内閣のやり口もまさにそれだなぁ、と思っていたりします...。




話が大きくなってしまいましたので、縮めてみます。


最新の(?)「危機」であるところのNEWSメンバー小山慶一郎氏の件。


個人的には、気の毒なことだと思っていたり。

小山メンバーは悪いことをしたと思っていないだろうし、思えという方が理不尽でしょう。

ワイワイ酒を飲んでいた。その中に自己申告では二十歳の娘が混じっていて、実は未成年だったということが(なぜか?)世間に露呈した。

小山メンバーが特に悪いことをしたとは思えません。


「悪いことをした」のではなくて「運が悪かった」。彼はそう思っているだろうし、そう思っているのは彼だけではないはず。だったら、「ほとぼりが冷めたら復帰したい」と考えるのは当然のことです。でも、それを口にしたり臭わしたりすると、「危機管理」できないということになる。

これは変なことだと思います。

誰だって「運が悪かった」としか思えないはずなのに、それを露わにしたら「危機」になるだなんて。


資格を得るのに理不尽を呑み込むことが必要なことは、社会のなかでは往々にしてあることであります。

代表的なところでは、自動車運転免許。

免許取得の講習で教わります。たとえ相手に原因があっても、歩行者と事故を起こしたら責任を負わされるのは自動車を運転している者である。このルールを弁えることが自動車を運転する者の「資格」である、と。

もし、仮にこのルールを受講者に教えない教習所があったとしたら、その教習所は批判を浴びて「お取り潰し」になるでしょう。


しかし、これは裏を返せば、「さまざまなジャンルの番組にジャニーズ事務所のアイドルを起用したからであり、そのリスクを承知で勝負していた」ということ。特に日本テレビはアイドルに限らず、朝の「スッキリ」から夜の「NEWS ZERO」まで、報道・情報番組におけるタレントのキャスター起用が多いだけに、起きるべくして起きたことと言えます。

起こるべくして起きた。つまり運が悪かった。

そして、もうひとつ言えば、その「リスク」を小山メンバーは承知していなかったであろうと、と。彼は「アイドルだから」ニュースキャスターに抜擢された。無責任な社長が気まぐれに“NEWS”なんてグループ名をつけた「おかげ」で、ニュースキャスターにと白羽の矢がたった。

この「リスク」は自動車運転免許で言えば、「歩行者との事故」のリスクです。彼はその「リスク」を弁えておくべしなんて講習を受けさせてもらっていなかったはず。

ということは、テレビ局や芸能事務所は、彼に「無免許運転」をさせていたということ。そんな彼に、ニュースキャスターとしての「資格」を弁えておけっていうのが理不尽な話だろうと。だから、気の毒なことだと。


個人的にはアイドルがニュースを読んだっていいと思います。そうしたニュース報道のあり方があってもいい。ただ、ぼくは見ないし、実際に見ていない。

見ない者にとっては、このニュースそのものがどうでもいい話ではあるけれど、「危機管理」という視点から見るならば、恰好の素材になってくれます。


気の毒なはずの人間を、大人なら少し考えれば誰もがわかるようなことを、なぜ世間は攻撃するのか?

理由は単純だと思っています。

そこが攻撃できるから


では、なぜ攻撃できる「弱点」探し出して攻撃したしようとするのか?

これも理由は単純。
いっとき世間を賑わせた不倫叩きと同じこと。

不機嫌だから。


上機嫌が「職務」だとは、これまた理不尽な言だと思うのですが...(まだ未読です)。



さてさて、話の風呂敷を拡げてみます。

本来の意味での危機管理とは、「内憂外患」に上手に対処することです。

「内憂」とは社会の枠組みのなかで渦巻いている「不機嫌」。「外患」は外からの「攻撃」ですが、「攻撃」を生みだすのもまた「不機嫌」です。


安倍内閣総理大臣がうまく処し切れていない「内憂」、すなわち「モリカケ」は、時代が時代なら、さほど大した問題ではなかったのかもしれません。

最近、評判が上がっているらしい田中角栄は、ロッキードは濡れ衣だったとしても、同じようなことはやっていたはずです。

時代が今ほど「不機嫌」ではなかった。だから反面、今では許されないようなことも罷り通っていた。セクハラとかね。


今よりも上機嫌だった時代の人間は、誰から教わるわけでもなく、「資格」を弁えていたように思います。

誰もがやっていることが露見した。運が悪かった。理不尽を呑み込んで「不徳の致すところ」として、潔く身を引く。

そうした身の処し方をすることで危機を乗り切った。危機管理としてこの方法が適切であることは、今の時代でも変わりません。

なのに、できなくなっている。

「不機嫌」に怯えている。


怯える人間は危機管理ができない

危機管理には勇気が要る


そういえば、その勇気を見事に見せてくれた若者もいましたね。その彼は、顔を出さない謝罪はないとして、単身で「表」に出てきた。


勇気とは自身と向き合うことに他ならないし、自身と向き合っていれば、それは意識せずとも危機管理になっている。

総理大臣をはじめとして、大きな組織のトップの格の高い人たちは「自身と向き合う」だけでは危機管理にならないでしょうけれど、格が高くない凡人なら、それで十分でしょう。

常に自身と向き合って自然に危機管理できているような人間を「凡人」とは言わないでしょうが。

感じるままに。