資本主義の「源流域」

前回はこちら。


「#昭和最後の夏」、ぼくは南アルプス山中の熊ノ平小屋というところにいました。アルバイトをしていました。

地図を載せますと、

熊ノ平から三峰岳(みぶだけ)の方へ北上していくと、途中で道が分岐します。三峰岳・間ノ岳を形成する山体を水平に横切って農鳥小屋へ向かうトラバース道がある。

地図でも確認ができますね。

この道のちょうど中ほどに水が湧いているところがあって、そこには「大井川源流」とペンキで書かれたありました。「汚すな!」とかも書かれていたように記憶しています。文字の主は農鳥小屋の主人(が汚している)のだと、熊ノ平小屋の管理人からは聞いていました。

箱根八里は馬でも越せど、越す残されぬ大井川

と唱われたあの大井川の大量の水が、最初に姿をあらわす場所(のひとつ)がそこだった。

そこは大井川の「源流(地)」でした。


★ 資本主義の「源流地」&「源流域」

歴史の流れは川の流れに似たところがあります。宗教やイデオロギーといった社会潮流においては特に。

資本主義の「源流地」は、16世紀の半ばにスイスのジュネーヴで興ったキリスト教新教の一会派、カルヴィニズムにあるというのが定説になっています。

ジュネーヴを「源流地」とする資本主義の水流は、間を置くことなくオランダやフランスあたりに流れ込んでいき、大きな流れとなっていった。


しかし、大井川の大量の水流は、すべてがちょろちょろと流れ出ていた「源流地」(のひとつ)から生まれ出たものではありません。その場所は大井川の流れをもっとも遡上できる地点ではあるでしょうけれど、だからといって源はそこだけというわけではない。

大井川の源流はもっと広大な源流域です。その場所は「大井川東俣の三国沢」と名付けられた場所でしたが、この名称を資本主義の流れにたとえると「ジュネーヴで興ったカルヴァン主義」というところ。それは最源流であるかもしれないが、資本主義の流れのすべての発生源ではない。


大井川東俣三国沢の水源は、すなわち「源流域」は、三峰岳・間ノ岳を形成する山体そのものです。

では、だとすれば、資本主義の「源流域」は? 


★ コロンブスのアメリカ大陸「発見」

「資本主義の源流地」は、アメリカ大陸です。

1492年にクリストファー・コロンブスはアメリカ大陸を「発見」した。間髪を入れず、エルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロなどのコンキスタドール(征服者)たちが、金銀を探し求めて新大陸を探検し、そこにあった文明を制圧して回った。

そして、求めるものはそこにあった。

たとえば、アメリカ新大陸の代表的な銀山であるポトシ銀山は1545年にスペイン人によって発見されています。

結果、生じたのが「価格革命」です。

価格革命とは、大航海時代以降の世界の一体化にともなって、16世紀半ば以降、メキシコ、ペルー、ボリビアなどアメリカ大陸(「新大陸」)から大量の貴金属(おもに銀)が流入したことや、かつては緩やかな結びつきであったヨーロッパ等各地の商業圏が結びついたこと(商業革命)で需要が大幅に拡大されたことで、全ヨーロッパの銀価が下落し、大幅な物価上昇(インフレーション)がみられた現象をさす。

これにより、16世紀の西ヨーロッパは資本家的な企業経営にとってはきわめて有利な状況がうまれて、好況に沸き、商工業のいっそうの発展がもたらされたが、反面、固定した地代収入に依存し、何世代にもおよぶ長期契約で土地を貸し出す伝統を有していた諸侯・騎士などの封建領主層にはまったく不利な状況となって、領主のいっそうの没落を加速した。それに対し、東ヨーロッパでは、西欧の拡大する穀物需要に応えるために、かえって農奴制が強化され農場領主制と呼ばれる経営形態が進展した。
Wikipediaより

コロンブスの「発見」によって突如隆起した「山体」は資本主義の「源流域」となって流れが西ヨーロッパへ流れ込んでいき、ジュネーヴが最初の「源流地」となって、新しい潮流として人々に認識されるようになった。


★ 『21世紀の貨幣論』が書かなかったこと

大井川の源流域は、東俣と西俣とに分かれています。西俣の源流域は塩見岳周辺の山体です。

上掲の引用に記述されている「商業革命」は西俣に相当すると言える。

『21世紀の貨幣論』では、「西俣」については詳しく記述がされています。「第6章「吸血イカ」の自然史――「銀行」の発明」がそれです。

第6章では、リヨンの市の様子が紹介されている。リヨンの市では商品ではなくお金がやりとりすることが始まり、その動きがやがて活発になって銀行が生まれた。

第6章の最後は、このように記述されています。

順風そのものの国際銀行業

一方、国際銀行業というパラレルワールドは、順風そのものだった。もともと国際貿易は中世経済でいちばん活況を呈していた領域であり、封建関係が貨幣に置き換えられて利益を得ていた貴族階級は、海外の高級品を好み、高額の商取引を牽引していた。さらに、大商会は輸出先市場に代理人を駐在させて、両方の国で広範囲に事業を展開し、銀行業の新しい専門知識を蓄積しており、地方商人に信用サービスと外国為替サービスの両方を提供できた。

しかし、何よりも重要だったのは、君主はあくまでも国の君主であり、国を越えて商取引を規制する権限がなかったことだ。ソブリンマネーは国際取引には使われなかった。そのため、商業革命を加速させる銀行業の潜在的な能力は、国際貿易の領域で初めてフルに発揮されることになった。

「国際」とは何を指しているのかが問題です。

それは一部には、地中海・インド洋を経由してアラブ世界や中国との交易でしょう。豊かになった西欧は、喉から手が出るほど欲していたアジアの香辛料は茶を国際貿易で大量に輸入するようになっていった。

その「豊かさ」を支えたのは何か。商業革命? まさか、銀行は「吸血イカ」でしかない。

西欧の豊かさを支えたのは、もうひとつの交易、大西洋をはさんでの「交易」――いえ、これは交易とは呼ばない。少なくとも現在の基準では。「略奪」です。

西欧人は発見した銀山から銀を掘り出すのに現地の人々を酷使し、疫病で人口が減って労働力が足りなくなるとアフリカ大陸から奴隷を調達して銀山の経営に当たった。

その中心にいたのが国際銀行業。順風満帆とは良くも言ったり、でしょう。

「価格革命」と「商業革命」のふたつの「源流域」があったからこそ、資本主義という大きな流れは生じた。カルバン主義は、この大きな流れが意識化――というより「正当化」された初端(しょっぱな)に過ぎません。


★ もし朝鮮戦争がなければ

宗教的情熱がどれほど高く、どれほど熱くあっても、現実はそう簡単に動くものではありません。

時と場所を日本に移して考えてみます。もし、朝鮮戦争がなければ日本はどうなっていたか? 戦後の日本の繁栄はなかった可能性は高いし、あっても別の形になったでしょう。少なくとも奇跡と言われたほどの迅速な復興はなかったはずです。

戦後日本にもカルヴィニズムに相当する思想潮流はあります。「昭和のオッサン」の精神主義がそれです。

カンバッテ働きさえすればなんとかなる!
貧しいままなのは、努力が足りないからだ!!

巡り合わせ悪く就職氷河期を体験してしまった人たちには鼻白まざるを得ない主義主張ですが、それとても朝鮮戦争がなければ唱えられたかどうか。

いえいえ、唱えるのは勝手ですが、それが大きな支持を得て、あたかも既成事実のようになったかはどうかは怪しい。


カルヴィニズムだって同じです。

窪地に湧き水が湧いても、大きな潮流になりはしません。沼沢を作ることはあっても、湧水が枯れると水は腐り、やがて干上がる。大きな流れになることはありません。

それを「すべてがそこから始まった」というのは、控えめに言っても誇大宣伝というものでしょう。


★ 「未来主義」の誕生

お金は「譲渡することができる信用」であり、負債です。

だとすれば、素朴に考えて不思議なことがひとつあります。

負債を抱えているのに、なぜ成長が期待できてしまうのか? ふつうの個人ならば、負債を抱えているであるなら、誰もが予想するのは成長よりも緊縮のほうでしょう。


社会になれば違うのか?

リーマンショックの後、リチャード・クーという経済評論家が「世界同時バランスシート不況」ということを言いました。

リーマンショックの影響で、個人や企業のバランスシートが傷んでしまっている。負債を抱えこんでしまっているというわけです。クーはこのバランスが回復するまでは、成長は期待できないだろうと言いました。

クーの主張は、日本のバブル崩壊の観察から生まれています。日本ではバブル崩壊後に方々のバランスシートが傷み、設備投資に回すよりも先にバランスシートの改善に利潤を回さなくてはならなくなった。生き残るためにはそうするのが順序だというわけです。


この主張は、身近に置き換えて考えてみれば実感が沸くでしょう。借金をしてまで投資に回すのは、常識を逸していると考えるのが「ふつう」です。投資は、手元資金に余裕があってこそすべきものであって、借金をしてまでやるのは博打でしかない。手堅い行き方(生き方)とは言えない。「モラルがハザードしている」というわけです。

リーマンショックは、金融経済が博打に過ぎないことを露呈しました。その結果、投資の前に返済だよねという「ふつう」の話に戻った。クーが言うところは、煎じ詰めればそういうことでしょう。


では、一体、なにが博打のはずのものをそうではないと思い込ませていたのか。『21世紀の貨幣論』によれば、その「源流(地)」はジョン・ロックにあるいいますが、お察しの通り、ぼくはそんなふうには考えません。

「思い込ませていたもの」を言葉ひとつで表現するならば、「未来主義」が適当でしょう。未来が明るく豊かなものになる、いや、ならなければならない、豊かになることが前提で社会が制度化される――そう、これはもはやイデオロギーです。

ジョン・ロックも、フェリックス・マーティンもともに未来主義者であり、その未来主義は資本主義と同じ「山体」から生まれています。さらにはもうひとつ、科学革命も同じ「山体」から生じるている。

科学も資本主義も、未来主義の派生物に過ぎません。


★ 鄭和の大航海はなぜ資本主義を生まなかったのか

コロンブスに先立つこと100年足らず、ユーラシア大陸東側の中国で興った明王朝は、鄭和に命じて大船団による大航海を挙行させています。それは、コロンブスの船団とは比較にならない規模であり、技術水準だったと言います。

鄭和は、ヴァスコ・ダ・ガマよりも100年早く、インドのカリカットに到着し、交易をしている。けれど、それが資本主義に発展することはなかった。理由はもちろん、キリスト教が中国になかったからではありません。

中国が豊かだったからです。

中国は豊かだったからこそ、交易は自身の経済力を背景に行った。自身の国土で民衆が土地を耕し、家畜を飼い、額に汗して自然から獲得した恵を元に交易を行った。権力者はそれらの恵みを徴発したけれど、国という枠でみるならば、それは「自身のもの」。今の言葉でいえば「内需」でしょうか。

だから、資本主義にはならなかった。

西欧は、インドや中国との交易の源を、アメリカ大陸から奪ってきた。だから資本主義になった。


この「だから」には飛躍があります。
この飛躍を埋めるのが未来主義です。

近代以前、経済の成長は極めて緩やかなものでしかありませんでした。中国はずっと世界最大の経済大国でしたが、それにしたところで当時の人々は経済成長を実感することなどできなかったはずです。

個々の人間に浮き沈みはある。けれど、経済の規模が定常だということはゼロサムゲーム、誰かが浮けば誰かが沈むということです。誰もが浮くということは物理的にあり得ないし、理論的にもあり得ない。


中国のような地域に統一王朝が生まれやすいのは、経済の要請です。制度を統一して、経済の発展を阻害する要因を減らすことで、もともとある生産力を効率よく生かすようにする。それを戦争という不経済によって為そうとするのは矛盾していると言わざるを得ないし、なぜそうなるのかはここは考察しませんが、とにもかくにも統一した政治秩序が確立されると経済は豊かになる。だから、対外征服といった事業が為される余力が生まれてくることになる。

交易も、そうした「余力」の為せる技です。そして、そのことを認識するのであるから、未来は現在よりもよいに違いないという信憑など生まれようがない。「現在」を作っているのは、自分たち自身なのだから。自分たちが「現在」を作っているのなら、未来もまた現在とそう違うものにはならない。

技術革新は時代を進歩させるにしても、緩やかなものでしかないから、人々の暮らしの実感にまでは至りはしません。


西欧が手にした幸運は、「現在を作っている者」を「自分たちが知らない者」にしてしまいました。銀は異教徒が掘って、自分たちはそれを取り上げれば良い。せめてもの返礼として分け与えるのは「神の啓示」くらいのもので、その僥倖によって貧しい暮らしを耐え凌げと、ブラック企業などでは歯が立たない仕打ちを施した。

さすがに国内では、それほどのことはできない。領民は領主の財産でもあるから、商人は自分の好き勝手をすることはできない。領主との利害調整を図らなければならない。けれど、領外では好きにできるし、実際、好きにできました。

そうして、「未来は明るい」と実感ができるようになった。未来の「暗い部分」は自分たちが引き受けなくて済むから。自分たちにはそれだけの実力(暴力)があって、しかもそれは「神の約束」だと確信をしている。


なんと身勝手な確信だろうと部外者は思いますが、当事者は未だにその確信の中にいることができています。

「暗い部分」を引き受けた人たちは、「愛国無罪」とすら声をあげることが難しいから。


★ もう一度、ジョン・ロックの罪を問う

『21世紀の貨幣論』の論理では、ジョン・ロックの誤りは「集団妄想による誤認」による事故でしかありません。

この「集団妄想」は資本主義、そして未来主義に他なりませんが、しかし、それは本当に妄想でしかなかったのか。

百歩譲って、ジョン・ロックの時代はそうであったとしても、現在に至ってもなお、それは妄想でしかないでしょうか?


リーマンショックでは、ほとんどの先進諸国は困ったことになりました。自分たちが困ったことになったから、困った原因を追及した。するとジョン・ロックに辿り着いた。その思索はお見事だと思います。

見事だからこそ、彼が「見なかったもの」が見えてくる。それを見ようとする者には。


「それを見ようとする者」から見れば、ジョン・ロックに罪がないとするならば、それは蒙昧だったがゆえにと言わざるを得ません。

(見ようとしなかっただけかもしれないけれど)見えなかったのは仕方がなかったよね、事故だったよね、と。

蒙昧の罪は、自身を翻るならば、問うことは難しいですから。

とはいえ、蒙昧を叡智として広めた罪は問われなければならないと思います。見えるはずの現在に至ってなお、蒙昧を見過ごす罪も。



盛大に毒を吐きまくったテキストは、最後も毒で締めておきましょう。
相応しいのはUKロック!


感じるままに。