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大人の遠足 その3

「その2」からの続きというよりも、蛇足かな?


永泰寺への拝観は11時の約束でした。富士吉田を9時に出発して永泰寺に到着したのは10時前。約束までの時間は、散策と引率の先生の講義(≒雑談)の時間です。

わいわいと講義を受けながら散策をしていると、ラジオの音らしきものが聞こえてきた。向かうともなしに歩いている方向の先に、ご夫婦らしきふたりの姿がみえる。陽気がいいのでひなたぼっこだったのかもしれません。

ご夫婦がいたのは、車庫でもあり倉庫でありの空間。そこはお茶する場所でもあり、作業場でもあるでしょう。床はモルタルでしたが「土間(どま)」でしょう。目を惹いたのはきれいに整理されて壁に並べられた道具の数々。大工道具から金工道具まで各種取りそろっていました。立派な角がついた鹿の頭蓋が3つほどアクセントに置かれているのもニクい。その中にひとつは真ん中に10円玉ほどの丸い穴が開いていた。ライフルで撃ち抜いたのでしょう。

「村人」は先生にとっては調査対象です。挨拶もそこそこに、さっそく尋問を始めてしまいます。

これこれこんな風習はなかったか? 
こういった場所にはこのようなものはなかったか? 

「村人」はたいてい話し好きです。先生の尋問に答えながら、昔話を嬉しそうに語り出してくれます。もっとも、話が興に乗る前に先生が次の尋問を繰り出して腰を折ってしまうのですが。それでも「村人」さんは上機嫌に受け答えを続けてくれました。

「村人」さんが子どもの頃は集落は主に炭焼きでお金を稼いでいた。「村人」さんのオヤジさんも炭焼きをしていた。下に雑貨屋があって、子どもの「村人」さんはよくキャラメルやカリントウなどを買った。買ったといっても、現金はなかったのでツケだった。オヤジさんは炭が売れて現金が手に入るとツケを精算していた——と、いったような昔の暮らしの話。


あとから「遠足」を振り返ってみて残念というか、失敗したと思うのは、このときに「村人」さんに訊ねてみれば面白かったであろう問いがそのときには出てこなかったことです。その問いとは、

 キツネにだまされたといったような話はなかったか?


こんな本があります。

ターニングポイントは1965年だった!
私たちの自然観、死生観にそのときどんな地殻変動がおきたか?
「キツネにだまされていた時代」の歴史をいまどう語りうるのか?
 まったく新しい歴史哲学講義。

(画像には試し読みできるサイトへのリンクを貼ってあります)

ところが、キツネにだまされたという話は山のようにあるにもかかわらず、一九六五年、つまり昭和四十年頃を境にして、新しく発生しなくなってしまうのである。それも、どこの地域に行っても、である。
 私は次第に、なぜこの地域では一九六五年頃から人がキツネにだまされなくなったのか、という質問をするようになった。人々はこの質問を受けると、しばらく考え、いくつかの答えを出した。もちろんその答えは、社会科学が得意にするような科学的論証性をもったものではない。(略) 本当に人はキツネにだまされていたのかということ自身が、科学的な論証性の彼方にあるからである。

ところでぼくも、キツネではなくてタヌキですが、だまされたという人から直接話を聞いたことがあります。和歌山県熊野地方で暮らしていた時のことです。キツネではなくタヌキなのは、東日本ではキツネ、西日本ではタヌキという棲み分けがなぜかあるからでしょう。四国や九州ではカワウソだともいいます。北海道にはキツネはいませんからキタキツネかな? というか、明治なってから北海道へ開拓に入った人たちは動物にだまされるといったようなことはなかったかもしれません。アイヌにはあったとしても。

ぼく自身が話を聞いたのは、2007~8年のことでした。それも、その話は「昨日タヌキに化かされて気がついたら山の中で葉っぱを被って寝ていた」というもの。つまり「だまされ現象」は21世紀にはいってからも起きていたということですが、これは例外かもしれません。


一九六五年頃を境にして見られなくなった現象は、キツネにだまされること以外にもあるはずです。「遠足」で「村人」が話をしてくれた暮らしぶりもまた、同じころに日本全国で姿を消しているのではないか。だとすれば、「だまされ現象」の消失と関連づけて考えることができるかもしれませんし、関連づけられる現象が社会科学的な論証性をもって議論できるものなら、「だまされ現象」の方も論証性をもって議論ができる可能性が開けてくるかもしれません。


「だまされ現象」と同じころに消失したであろう現象とは「地域の信頼経済」ではないのか。ちなみに「信頼経済」は「信用経済」とは異なります。

「信頼経済」の典型は家庭内の経済です。経済という言葉の語感が似つかわしくない、ふつうは経済だとは認識しないような経済的な取引。互いの深い信頼をもとに取り交わされる経済です。

現在は典型的ではなくなってしまっているでしょうが、夫が稼いできた給料をそのまま妻に渡して家計の管理は妻がする。親が子に小遣いを渡す。お金を貸す。これらの「経済」の基盤は「信用」ではなくて「信頼」です。

優しい祖父母が出来の悪い孫にお金を与える。帰ってこないだろうと予想しつつも父母が子どもにお金を貸す。「信用」という基準でいけば、孫や子どもは失格です。けれど、家族としての「信頼」は存在します。


「村人」の話にあった「雑貨屋へのツケ」も、家族間ほどのものではないにせよ地域住民間の「信頼」ではなかったか。家族間ほどではないというのは、それは「あるもの」が介入してくることによっていとも簡単に消失して「信用」へと姿を変えてしまうものだからです。

その「あるもの」とは貨幣です。通貨。お金。

地域経済が信頼経済であったのは、そこにお金がなかったからです。お金がなかったから貧しかったというのではない。豊かではあったがお金がなかった。暮らしの中にまだお金が行き届いていなかったということです。

お金がないのにもかかわらず豊かであるという感覚は、貨幣経済にどっぷり浸かってしまっている人間にはなかなか想像するのは難しいものです。現代人は豊かさの感覚があまりにもお金に強く結びついてしまっています。その結びつきが強すぎるという感覚はかなり広く共有されるようになってきていると感じますが、さりとて、「お金がない豊かさ」を想像するのは難しいし、しかも儚いものです。お金の魔力の前では容易に消失してしまいます。


雑貨屋は品物をお金を支払って購入していたでしょう。また炭は換金することができたでしょうから、「村人」の家庭にもお金は回っていていた。でも、そのお金は、地域の外との経済において用いられるだけで、地域内の経済にまでは行き届いていなかった。

その理由は単純ではないけもしれないけれど、明快です。暮らしの隅々にまでお金が行きわたるほどの量の通貨が発行されていなかったからです。日本国の法定通貨「円」は中央銀行である日本銀行が発行します。中央銀行は資金需要にもとづいてお金を刷ります。

「村人」と雑貨屋の間には経済がありました。信頼経済です。信頼経済はお金が介入すると瞬く間に信用経済へと姿を変えてしまう。家族内経済のような強い絆が働く場を除いて。

雑貨屋と「村人」の取引は、お金の流通量が少なかったがために信頼経済に留まっていた。信用経済へと転換しうる程度の信頼経済です。この手の信頼経済は貨幣需要を生みます。中央銀行はその需要に応じてお金を発行する。やがてお金が地域内の経済にも行き渡る。「村人」のオヤジさんはたくさんのお金を稼ぐようになって、子どもの「村人」はお小遣いをもらうようになり、カリントウやキャラメルを現金で購入するようになる。この経済はもはや、村人間の信頼をもとにしたものではなくて、貨幣の信用をもとにしたものです。

貨幣による信用経済には大きな効用があります。すなわち「自由」です。お金があれば、雑貨屋でなくても買い物ができます。街へ出れば雑貨屋にはなかった(かもしれない)チョコレートがある。お金がなくても村の雑貨屋であれば、お菓子は買うことができた。ただしチョコレートはなかった。お金があれば、街でチョコレートを買うことができる「自由」が手に入ります。

「自由」は〔幸福〕をもたらしてくれます。


話が「〈しあわせ〉の哲学」の領域に入ってきました。


あくまで仮説です。

日本人がキツネやタヌキやカワウソにだまされなくなったのは、「自由」がもたらす〔幸福〕を追求するようになったからではないか。地域の経済が信頼ベースから信用ベースに切り替わるのと並行して「だまされ現象」が消失したのであれば、こうした仮説が成立しうるのでは...、と、これはまだまだ「夢想の領域です。


大人も「遠足」をしてみると、童心に帰って夢想に遊ぶことができるようです(笑)


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