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小説家デビューを目指すのは、もうやめる(とりあえず)

この一、二年、小説を書くのが楽しくないな、と感じるようになりました。

楽しめないながらも、細々と書き続けてはきました。いくつかの筆名で電子書籍も新規に発刊しました。
でも、「書かなくては」という義務感だけでやっているような味気なさがつきまといます。

理由は自分でもわかっていました。
書くことに「結果」を求めるようになっていたからです。

賞を狙えるような小説を書きたい。
売れる電子書籍を出したい。

結果が出せない創作には意味がない。

さまざまな創作理論を読み込みました。詰め込んだ知識で頭でっかちとなり、首が回らなくなるほどに。
この数年で、数人の編集者さんと出会いました。紙書籍デビューまで伴奏すると、ありがたい言葉をかけていただいたこともありました。その人たちのすべての言葉を呑み込みました。

面白い小説とは何か。そもそも面白さとは何か。
売れそうな小説とは何か。
考えすぎて夜も眠れなくなることがありました。頭ばかりで物語をこしらえようとして袋小路に迷い込みました。

完全に書けなくなり、作品のアイディアさえ出てこない時期もありました。関わりを持ったすべての編集さんとの関係は断ち切れました。お別れの経緯はさまざまですが。


プロの小説家になりたいなら――そこまでいかなくても、他人様に作品を読んでもらいたいと思うなら、
自分の書きたいものではなく、人が読みたいと思うものを書く
というのは、外すことのできない絶対条件です。

「書きたいもの」と「読まれるもの」が往々にして食い違う(下手をすると、かけ離れる)という事実が、乗り越えられない壁として目の前に立ちはだかります。

自分の「我」をほんのちょっと抑えて、流行に少し寄るだけで、読まれ方が全然変わってきます。そのことは、これまでに出してきた電子書籍の売上からも実感しています。
「舞台を日本にした方が読まれやすい」というアドバイスを受け入れただけで、同じレーベルから同じ筆名で出している作品の売上が2倍近く変わりました。
他にも、ラノベの流行のモチーフを取り入れただけで、驚くほど読まれるようになったことがあります。

自分の「作家性」を保ちつつ、読者の興味を引くようなキャッチーなスパイスを振りかけた小説を書き、賞に引っかかるのを待つ、というのがデビューを目指すための持続可能な戦略なのでしょう。それはわかっているのですが……。


先日、PCの中身の整理をしていて、数年前に書きあげた小説のファイルを見つけました。なんの気なしに読み返してみたら、めちゃくちゃ面白いのです。めちゃくちゃ熱い。打算とか戦略とか無しに、自分の心底書きたいものを思う存分叩きつけた作品です。書いている人間の激情が痛いほど伝わってきます。いわゆる「流行」「売れ線」からは数百光年離れたところにありますが、生の感情が全力で歌い上げられていて、圧倒されずにはいられません。

ああ、またこんな小説を書けるようになりたいな、と感じました。
頭でこねくり回すのではなく、心を震わせながら小説を書きたい。

自分が感動していないのに、他人を感動させられるわけがありません。


というわけで、しばらくは、自分の「好き」を優先させた創作をしていこうと思いました。
自分の好きな世界と好きなキャラを、好き勝手に書き散らしていこう。賞なんか狙わなくてもいい。
(「読まれなくてもいい」とまでは、さすがに思えません。PVとお気に入り数は重大なモチベーションです。読者から黙殺されると心がくじけます)


この数か月、承認欲求に突き動かされ、とにかく自分の名前を上げたいと、小説からちょっぴり外れたルートに手を出し始めていたのですが。
「既存の人気作を見本にして、それをちょっぴりアレンジした作品を生み出す」という作業は、よく考えたら(よく考えなくても)自分の本来やりたいこととは真逆です。そういうのは私にいちばん向いていない作業です。
他人の笛で踊れるほど器用な書き手ではない。
その事実を、過去の編集者さんたちとのやり取りの中で痛感してきたはずなのに。なぜまた同じ失敗を繰り返そうとしているのか、私。

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