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#ドラマ感想文 とても熱かった2023年夏クール。。。

だいぶ遅くなりましたが、2023年7月~9月に見たドラマの感想です。
春クールに続き、週に5本もドラマを追いかける忙しい夏となりました。
(10月以降、テレビをほとんどつけることもない平常運転の日々に戻っておりますので……あんなにも時間を捻出してドラマを見ていたのが遠い昔のようです)


警部補ダイマジン

リチャード・ウー、コウノコウジによる同名漫画をドラマ化。強い正義感を持つ警視庁捜査一課のエース・台場陣が、巨悪に挑む物語。陣は法で裁けない犯人を殺害してしまった過去を隠してきた。そんなある日、頭脳明晰で冷淡な警視正に知られてしまい、半強制的に「奴隷」としてこき使われることになる。


「悪をもって悪を制す」
とか言われたら、もう見ないわけにはいかない…!

主題歌を聞いただけで、ぎゅっと胸が苦しくなる。こんなレベルで胸をわしづかみにされたのは久しぶりです。
めちゃくちゃハマりました、『警部補ダイマジン』。
自分の「好き」のド真ん中を貫通されました。

タイトル通り、主人公は警部補なのですが。主人公がいきなり「完・全・犯・罪」とか言いながら殺人を犯すところから始まる衝撃のオープニング。

主人公が法で裁けない悪人に私的制裁を加える、というのはフィクションではよくある?パターンですが。今作では、主人公の正義感はあまり前面に押し出されていません。それよりも目立つのは、暴力や殺しに対する主人公のためらいの無さ

警官なのに、主人公は襲ってくる敵を制圧したり、逮捕したりしようとはしません。いきなり殺しにかかります。非常階段から投げ落としたり首の骨を折ろうとしたり。
主人公の行動は常に視聴者の斜め上を行くので「うそーーっ! いきなりそんなことする!?」と叫ばずにはいられません。

とは言っても、主人公が冷酷に殺しにかかるのは、「44」という秘密組織の構成員だけです。ちんぴらにからまれている女性を助ける時には、両手をコートのポケットに突っこんだままキックだけで数人を倒し、格の違いを見せつけます。雑魚をいたずらに痛めつけたりはしないのです。そんなところもカッコいい。

第4話。主人公に協力している真面目な女刑事が、「44」の工作員に襲われ、自衛のため相手を撃ち殺してしまいます。人の命を奪ってしまったという自責の念に駆られ、泣きじゃくる女刑事に対し、主人公のセリフが「さっさと死体埋めるぞ」。
埋めるのかよ!!警官が!! と、テレビ画面に向かって全力でツッコんでしまいました。

しかし――正直なところ、第4話のこのシーンが最高到達点だったな、という感は否めません。

第4話までは、めちゃくちゃ面白かったのに。第5話~第8話は大変な勢いでお話が失速します。
ストーリー展開に無理がある……! 「44」側の行動に合理性がなく、あり得ない偶然もあったりして、ご都合主義が目につきます。
「こいつが『44』の黒幕」という人物が毎回のように変わっていき、「じゃあ今まで黒幕だと思われてた奴は何だったの?」という不満と混乱が残ります。
多すぎる回想シーンが、作品のスピード感を完全に破壊しています(誇張ではなく、放映時間の半分近くが回想です)。
そして結局、最終話で「44」との決着はつかず、本物のラスボスが顔を見せただけで終わります。ジャンプの打ち切り漫画のような、「俺たちの戦いはこれからだ」エンドです。
番宣では「誰も想像できない衝撃のラストシーン」と煽っていましたが、「まさか決着がつかないなんて! 何も解決しないなんて!」という意味での「衝撃」でした。

それはまあ許せるとして(許せるのか?)。

何よりも残念だったのは、後半、主人公が「普通の刑事」になり果ててしまうことです。

常に過激な暴力で視聴者の度肝を抜き続けてきた主人公が、見えざる敵に振り回され、後手後手に回り、ストーリーを進めるための狂言回しになり果てます。
最終話、「44」に捕らわれた女刑事を主人公が助けに行くのですが。これまでなら、倒した敵の首を折って、あとくされのないようにしてから先へ進むはずなのに。主人公は出会った敵を次々と殴り倒すだけで進んでいきます。
憎い敵のはずなのに。生かしておくには危険すぎる敵のはずなのに。殺さないなんてダイマジンらしくありません。
少なくとも、第4話までの彼なら、確実に殺していたはずです。

そんなこんなで、不満なところも山ほどありますが。。
第1話~第4話の輝きがあまりにもすばらしく、アクションも見ごたえがあり、すっかり心を奪われたので、本作は私にとって圧倒的なベストワンでした。DVDが出たらきっと買ってしまうでしょう。

VIVANT

敵か味方か、味方か敵か―冒険が始まる。

見ごたえ抜群のドラマでした! 地上波でこれだけのものが見られるとは!

お金をたっぷりかけた豪華な画面。二か国にわたって繰り広げられるスケールの大きい物語。
善良なサラリーマンと思われていた主人公の正体が明らかになる辺りは、本当にわくわくしました。

何よりも良い点は、このドラマが視聴者を信頼して作られているところです。「説明し過ぎない」のです。
多数の伏線やほのめかしが、何の説明もないまま、ドラマの至るところに埋め込まれています。それらに気づかず、大きなストーリーを追っているだけでも十分に楽しめるようになっていますが。裏読みをすることができれば、作品世界をもっと堪能することができます。
視聴者が考察をめぐらせ、SNSで共有できるように作られているんですね。

私も、SNSで皆さんの考察を読んで「あの場面はそういう意味だったのか!」と驚いたことが何度もありました。見返してみると、堺雅人さんは細かい目線の動きひとつでも役柄を表現しているのです。この人はとてつもなくすごい役者さんなんだなーと改めて実感しました。

作品世界のスケールが大きくて、たった10話で終わらせてしまうにはもったいないので、ぜひ続編を作ってほしいと思います。未回収の伏線も残されていますから、きっと続編はあるんですよね!?

シッコウ!!〜犬と私と執行官〜

裁判所で出された結論が実現されない場合に、それを強制的に実行する執行官を支える執行補助者・吉野ひかり(伊藤沙莉)の活躍を描く痛快お仕事コメディー。上京し憧れのペット関連の仕事に就いたひかりだが、会社は倒産。職を失ったひかりは、執行官・小原樹(織田裕二)にある能力を買われ、執行補助者となる。

申し訳ないのですが、「犬と私と執行官」というサブタイトルからは、クソドラマ臭がぷんぷんしました。聞いただけで「これ絶対面白くないやつ!」と確信しました。
だいたい、若い女性を主人公にした、世間で知名度の低い法律関係の職業を扱ったドラマは、外れの可能性が高い、と思います。もちろんこれは私の偏見ですが。過去の悪夢がよみがえるのです。公正取引委員会を扱った過去の某ドラマで、ヒロインが的外れな倫理観を振りかざしてキャンキャンわめき散らしていたのを、思い出さずにはいられません。「公取はそんな所じゃねえ!」「『若い女は感情的で思慮が浅い』というステレオタイプを何とかしろ!」と心の底からうんざりしたので、あのときは3話の途中で視聴を切りました。

嫌な予感にもかかわらず、私がこのドラマを見始めたのは、「織田裕二が出ているから」のひとことに尽きます。

このドラマは毎回、裁判所から支払命令を受けたにもかかわらず支払を拒んでいる債務者が、執行官に差押を食らう、という流れが中心になります。

最初の数話では、「脚本家が迷いながら書いている」という印象を受けました。作り手が、どこに軸足を置いてストーリーを進めればよいか決めかねている。そんな感じ。
見ている側としても、「このドラマから何を感じればいいのだろう?」という点がはっきりせず、もやもやと落ち着きません。

第1話では、アパートの家賃を滞納している夫婦と幼い息子が、小原執行官(織田裕二)に立ち退きを言い渡されます。
夫婦が、家賃が払えないほど経済的に困窮するに至ったのは、不運が重なったからです。それは「誰にでも起こり得る不運」として描かれます。「強制執行は他人事ではなく、誰にでも降りかかってくる可能性があること」だという作り手のメッセージが感じ取れます。家を追い出され、それまでの生活を奪われることになる幼い子供の悲しみがたっぷりと描写されます。
よくあるヒューマンドラマの展開、演出……。けれども困ったことに、視聴者はその家族にこれっぽっちも共感できないのです。子供が可哀想だとも思えない。「だってそもそも家賃を払わない奴が悪いんだよね?」「裁判で敗訴までしているのに、図々しくアパートに居座ってるんだよね?」という思いが先に立ちます。夫婦がいまいち共感しづらい性格なので、なおさらです。

執行官サイドが主人公であるため、債務者を善良に描くことができない、というバランスの問題もあるでしょう。「普通の人たち」に差押を食らわせ、アパートから追い出したりしたら、執行官が悪者に見えてしまいます。だからあえて、債務者側を曲者に描いてあるのかな、とも思いましたが……。
その割に、「大人の世界の都合で家を追い出され、慣れ親しんだ学校や友達とも離れなければならない子供が可哀想」という側面を、盛り上げようとしすぎています。BGMが懸命に感傷をかき立てにかかります。
見ている側としては、「このドラマは、誰に共感させたいのか? 何を伝えようとしているのか?」と混乱させられます。というのは、両親のこの描かれ方からすると、彼らに同情するのは無理なのです。それなのに「同情すべき」みたいな雰囲気を、音楽が盛り上げてくる……。

これでヒロインが「子供が可哀想! 今まで通りにアパートに住ませてあげて!」とわめくようなキャラだったら、その瞬間に視聴を切っていたことでしょう。

しかしヒロインは、良い意味で傍観者です。この時点で彼女はまだ執行官ではなく、単に「同じアパートに越してきたばかりの住民」にすぎないのです。彼女は、状況に対して感じるところがありつつも、それを振りかざしたりはしません。ただ、そっと、子供の気持ちに寄り添うだけです。
そのあたりの「普通の市民としての良識」「自然な距離感」が秀逸で、安心できます。

第2話では、債務者は正真正銘のクソ野郎です(SNSもこの債務者に対する視聴者のいら立ちの声であふれていました)。「やっちゃえ! 執行官!」という感じです。
第2話の終わり、ヒロインの機転のおかげで、この債務者は、しばらく仲たがいしていた無二の親友との和解の糸口を見つけます。この男はただ寂しかっただけなのです。――という、なんだか「良い感じ」にまとめようとしている終わり方でしたが。
クソ野郎が幸せを見つけて終わるラストシーンにはこれっぽっちも感動できませんでした。「悪が勝つ」という一種のバッドエンドならそれなりに演出してくれればいいのに、音楽も映像も、クソ野郎の幸せをさわやかっぽく演出しているので、もやもやだけが残る……。

この混乱、違和感は、回が進むにつれて収まっていきます。

最初は「執行官」VS「(いろいろ事情を抱えているのかもしれないが、とにかく)人間としてあまり共感できない債務者」という構図でした。
債務者に共感できないため、債務者にフォーカスした人間ドラマが上滑る、
という結果を招いていましたが。

徐々に、共感しやすい債務者が登場し始めました。
こだわりや譲れないものがあって、かたくなに差押や弁済を拒んでいた債務者たちが、小原執行官やヒロインと出会うことによって変わり、差押を素直に受け入れ、人生の次のステップへ向けて進んでいく……。
非常に見やすくわかりやすい、王道のヒューマンドラマパターンです。
(初めからこうしてくれていたらよかったのに……と思いましたが、作り手も、執行官を主人公に据えた物語をどう構成すればいいのか迷っていたのかな、という気がします)

「執行とは、債務者が人生の次の段階へ進むのを手助けするための仕事なんだ」というテーマを(シリーズの途中で)確立することに成功したので、ドラマが良い感じに締まりました。
ヒロインが進むべき道を見つける、というラストへのつながりも綺麗です。


CODE−願いの代償−

台湾で話題を呼んだ「浮士徳遊戲(英題:CODE)」を原作に、主演・坂口健太郎、共演・染谷将太で描くノンストップクライムサスペンス。不審な事故に巻き込まれ婚約者を亡くした刑事・二宮(坂口)の元に、どんな願いもかなえるという謎のアプリ「CODE」が届く。二宮はこのアプリを使って、婚約者の死の真相を追う。

見るつもりはなかったのに、第1話で引き込まれ、最後まで見てしまいました。裏切りとどんでん返しが相次ぐスピーディな展開。得体の知れない巨大な敵に追い込まれていく感じがとても良かったです。

なんといっても秀逸なのが、「何でも願いをかなえてくれるアプリ」という設定。この「CODE」というアプリをめぐる謎が、強烈な吸引力で物語へ引き込みます。
決して荒唐無稽な存在ではなく、現実と地続きにある感じがします。自分の願いをかなえてもらうために、他のユーザーの願いをかなえるのを手助けしてやって、ポイントをためる。半年後には現実に存在していても不思議のないシステムです。だからこそ、見ていていっそう薄気味悪い。

アプリは、そのアプリを生み出した男(ドラマではラスボス)の思惑を超えて独り歩きを始めていた、という結末は、ありがちではありますが、不気味さがとても良かったです。
そこから、唐突に、何の脈絡もなく、主人公が殺されて終わる、という衝撃のバッドエンドにもつながっていきます。

個人的に、主人公が死んで終わるバッドエンドは嫌いではないです。『竜の道』とか秀逸でした。
ただ、その末路が納得のゆくものでなければ、見ている側としては気持ち良く悲劇に酔うことができません。

感動的なバッドエンドの条件とは、
①主人公がそれまでに、殺されても仕方ないようなことをやってきていること。
自分の正義を貫くために、さんざん手を汚してきた主人公であれば、最後にむごたらしく散っても納得できます。まあ因果応報だよな、とか、あれだけのことをやってきて普通に幸せにはなれないよな、とうなずけます。
主人公が目的を果たした後であること。
壮絶な戦いを繰り広げた後、ようやく巨悪を倒し、「やっとこれからは平穏な日々を送れる…」と安心したところで、思いもかけないところからやられる、というのがベストですね。

しかし、本作については――主人公は「殺されて当然」の奴ではなかったのです。暴走気味ですし、ミスもたくさん犯しましたが、それでも彼は終始一貫して正義サイドの人でした。

そんな彼が無残な死を遂げるのは、非常に、もやもやしました。

しかも、彼がずっと戦ってきた敵であるアプリにやられてしまうわけですから、「これまで見せられてきた彼の戦いは何だったのか」という気分になります。主人公が目的を果たせずに終わる物語はストレスフルです。


ノッキンオン・ロックドドア

青崎有吾の同名小説を初映像化。松村北斗と西畑大吾がダブル主演を務める本格ミステリー。不可能犯罪のトリックの解明を得意とする探偵・御殿場(松村)と現場の遺留品から動機や理由を読み解く探偵・片無(西畑)は探偵事務所の共同経営者として手を取り合っていた。そんな二人は奇妙な事件に遭遇する。

それぞれホワイダニットとハウダニットを専門とする二人組の探偵が事件を解決していく、という二話完結もののライトミステリー。

設定はとても魅力的なのですが、「二人の専門がそれほど厳密に分かれているように見えない」「天才と呼ばれる御殿場が天才らしく見えず、天才であれば許されるエキセントリックさが単なる無神経にしか見えない」という問題がありました。
そもそも主人公二人組が社会人に見えない。大学の探偵サークルとでも言った方がぴったりくるような雰囲気です。

しかし、学生サークルっぽい脳天気さ、ライトさが明るい魅力にもなっていましたので、最終話まで楽しむことができました。
ライトミステリーとしての物語の構成がしっかりしており、見ごたえがありました。

「かつて御殿場をナイフで襲撃した犯人は実は片無だった」「御殿場はそれを承知の上で片無とコンビを組んでいる」という設定は、扱い方によっては物語にとてつもない深みと凄みを与えられたはずの設定なのに、最終話に無理やり詰め込んだだけだったのが残念でした。
ラスト、唐突にコンビを解消して事務所を出て行こうとする片無の行動も意味不明です。

こんな扱い方しかできないのなら、無理やりこの設定を出さなくてもよかったのに。
明るく楽しい、陰のないライトミステリーに徹してもよかったんじゃないのかな、と思いました。


おまけ・秋クールについて

10月~12月期のドラマには、まったく食指が動かないのです。恋愛ドラマとヒューマンドラマと日常ものは苦手、という守備範囲の狭さですので(あと学園ものも医療ドラマも好きではありません)。

『パリピ孔明』と『ハイエナ』だけは、ちょっと見てみようかなと思いましたが、いまひとつノリきれず、前者は3話で、後者は1話で視聴を止めました。

最近はNHK地上波の『ガラパゴス』と、WOWOWオンデマンドの『フィクサー』シリーズを見ています。


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