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丸坊主って膝小僧ってこと?

父方の祖母は叔父と共に少し離れた場所に住んでいる。
会うのは、年に2・3回。年末年始やお盆など、お墓参りをする季節だ。

待ち合わせは祖父のお墓がある霊園で、一緒にお墓参りをし、そのまま近場でご飯を食べる。これがいつもの流れである。

お盆の話だ。
今年も一緒にお墓参りをして、ご飯を一緒に食べようと予定していた。
こちら側で待ち合わせ時間を決め、母が祖母に電話で伝える。
母が電話をするのを横目で見ながら、私はポケモンスリープでポケモンが集めた木の実を拾い集めていた。

電話から祖母の声が漏れてくるわけではないが、母の相槌から、暑さにやられ、何やら少し体調を崩したらしいことが伺える。
確かに今年の夏は殺人的に暑い。まだ若い私ですら日差しにやられそうになっているのに、祖母ぐらいの年齢になると、その負担は計り知れない。
明日のお墓参りも気を付けなくては。
とその時、

「丸坊主って膝小僧ってこと?」

母の声である。
母が電話の向こうの祖母に話す声である。

どういう意味だ。どんな日本語だ。
同じく近くで聞いていた兄夫婦と顔を合わせる。

「丸坊主って膝小僧ってこと?」
これは丸坊主が膝小僧であるかを確認するための言葉だ。
「丸坊主=膝小僧」であるのかどうかということを、母は祖母に確認したのである。

そんなわけはない。
丸坊主は膝小僧ではないし。膝小僧は丸坊主ではない。
「丸坊主≠膝小僧」である。

しかし、母は電話越しの祖母とそのまま電話を続けている。二人の間では「丸坊主=膝小僧」であることが共通認識になっている。
置いていかれているのは電話の外にいる私たちだけだ。待ってくれ。置いていかないでくれ。

椅子の上に折りたたまれた自分の膝を見る。実家の中で行儀もへったくれもない。
膝は曲げられた分、ハリが出て、蛍光灯の光に照らされて光っている。
それを見ると、なるほど、膝小僧は丸坊主だと思えなくもない。

例えば身体の一部を擬人化したキャラクターが誕生したとして、「膝」のキャラデザは十中八九、スキンヘッドだろう。パーマヘアやセンター分けの「膝」はあり得ない。「脛」か「脇」の間違いだろう。
なるほど。確かに膝小僧は丸坊主である。

そう納得したとき、私の胸に訪れたのは、圧倒的な悔しさである。
悔しい。
祖母はきっと狙ってそんな発言をしていない。
普段から「膝って丸坊主っぽいなあ」なんて思いながら生活していたわけではなくて、膝が痛い、と伝えたいと思った時に、ぱっと出てきた言葉が「丸坊主」だったのである。それが悔しい。

私はワードセンスがある人に憧れている。普通の会話の中で、「そうくるか~」と思えるような発言ができる人になりたい。だから面白いと思った人の発言や言葉は、いつか使う日が来た時のためにこっそり貯めておく。
私の語彙は完全に養殖であるが、祖母は完全に天然である。
私がどう頭をひねっても、膝小僧を丸坊主だとは言えない。

「丸坊主って膝小僧ってこと?」(実際には母が言った言葉である)
声に出して読みたい日本語2023、最優秀賞、有力候補だろう。
悔しい。完全にやられた。奥歯を噛みしめながら、電話を終えた母を見る。
絵に描いたような困った顔をして、「丸坊主が痛いっていうから、膝のことかなと思って」と答える。それを汲み取る母もまたすごい。

次の日、待ち合わせ場所であるお墓に一足先に着いた祖母は、休憩所のベンチに座って、缶のコーラをがぶ飲みしていた。
彼女の丸坊主は、まだ大丈夫そうである。

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