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「この世界の片隅に」鑑賞日記(ネタバレ?)

アマゾンビデオでプライムに挙がっていた「この世界の片隅に」を観た。Twitterで相互の方がクラウドファンディングをしている頃から知ってはいたけど、全然触手が動かずにいたのだけど、いい機会と思って観た。

鑑賞中から私は水原くんが気になっていて、多分すずが気になっていたからなんだと思うけど、それだけすずにリンクできていたのかもしれないし、納屋の2階のシーンはものすごく萌えた。私としてはやっちゃえ!やっちゃえ!って感じだったんだけど、町村さんの話を聞くと女性の意見では旦那がひどいって話もあるそうで、そんなもんかと。だってすずさんは水原くんのこと好きだったに違いないじゃないの。私がそう思うにはどうにも周作のことがよくわからん人間に思えていたからで、終盤の米軍の機銃掃射の時まで私は周作という人は信用ならなかったし、すずがどの時点で周作を愛するようになったのかはよくわからなかった。機銃掃射の時はすでに終戦間際でリンはもういなくて、周作はそれで吹っ切れたのかなぁ。

この映画は女の話で、女から見た暴力の話。

すずは大正生まれで私の祖母とほぼ同じ歳で、私の祖母は20年前にもう亡くなっている。どうも大正から昭和初期というのは、まだマシな時代だったようで、すずの義姉の生き方を見てもわかる。うちの祖母は東京大空襲を経験した人だから、すずの呉での空襲はきっと祖母は共感できると思う。ちなみに祖母は打ち上げ花火が嫌いでそれは焼夷弾が落ちてくる音とそっくりだったからというのは、だいぶ私が成長した時にぽろっと話をしていた。もしかしたらすずも晩年そうだったかもしれないとか想像してみる。

うちの祖母は田舎から東京に顔も知らない人のところに嫁に来て、すずも同じように誰だか知らない人に「見初められて」嫁に行った。嫁とは家政婦で子産みの女で乳母で介護士。

ああ、そう考えると、やっぱり水原くんはすずにとって絵と同じように自分が惹かれたものであって、決められたものではない。ただそれもさらにすずは選び直すのだけど。

結婚式の次の日の朝からすずはめちゃくちゃ働く。誰も何も言わないけどめちゃくしゃ働く。食べるものもなく、いろんなものがないけどどうにかしていこうとする。何かあった時に最悪ではなくて「よかった」と言われることに違和感を抱えながらどうにか生きていく。いろんなものを失っても「(最悪でなくて)よかった」って言われる。その最悪っていうのは底のない最悪だからいくらでも取ってつけられるもので、ようするに我慢しろってことにしかならない。

すずが最後に義姉と話をする中で、実家に帰らないことを決めるんだけど、あれはどういう気持ちなのかいまいち掴めない。ただ、同じ体験を共有した人たちの中で、子どもを育てていくということが、ある意味治療的意味を持つこともあるのではないかと思う。

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