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獅子の挽歌006

立ち上がった大樫が再び構えを取る。

“ダメージは残っているはずだ。次で決める。”

晴臣が考えている通り、大樫の腹部、頭部にはダメージが残っていた。
ミドルキックを蹴り込んだレバーには、重く鈍くい痛みが残っていた。また呼吸も浅くなっている。
ハイキックはガードをしたものの、ガード越しでも頭部を揺らすには十二分な威力があった。

“長くはやれねえな”

大樫はそう思った。

晴臣はダメージの残っている腹部に更なる打撃を打ち込みたいと考えていた。
しかし、晴臣が最も得意とする左ミドルキックは見せてしまった。
次も決まる程甘い相手とは思えない。
加えて、大樫はここまでまだ攻撃を見せていない。それが一層晴臣の警戒心を増幅させてしまっていた。

ただ、大樫を休ませてはいけない。

“ダメージの残っている内に決める”

晴臣はそう考えた。

晴臣は左ミドルのモーションを見せる。
大樫は腕でブロックをしようとする。
しかし、左ミドルはフェイントだ。
左ミドルの蹴り足を伸ばさず、体を半回転させる。
そのまま足を横に向け、かかとで大樫の顔面を蹴りあげる。

上段横蹴り

古くから空手にある技だ。
本来は足刀と呼ばれる足の側面の部分で蹴るが、靴を履いている戦闘であれば踵で蹴るほうが効果的だ。

大樫は数センチ当たるポイントをずらし、晴臣の脚を掴む。

“まずい”と晴臣がそう思い、捕まれた脚を抜こうする。

しかし、ストンと膝が落ちるようにバランスを崩してしまう。

何をやられたのか、全くわからなかった。
蹴り足を掴み、相手を崩したり投げたりする技は空手にもムエタイにもある。
しかし、大樫が使った技は晴臣の知るそれとは全く異なるものだった。

不意にバランスを崩した晴臣の顔面に大樫が思い切りパンチを打ち込む。

晴臣の意識が遠退く。

大樫が更にパンチを打ち込もうとするが、晴臣は背中を床に着いた状態から、大樫の顔面を蹴りあげ素早く立ち上がる。

意識は朦朧としており、思考を介せず、反射的に立ち上がった。
これまでの格闘の経験と、生物としての本能がそうさせた。

チッと大樫が舌打ちをする。

「決め損なったか。まあこれでイーブンってとこだな。」

そう言い、大越が構える。

「あんた、空手とかじゃあないな」

晴臣が言う。

「お喋りで時間稼ぎか?」

大樫がニヤッと笑う。

図星だ。晴臣の視界は揺れ、頭は重く、前歯がぐらついている。口の中が血の味がする。
次、頭部に打撃を貰おうものなら間違いなく倒される。

「もう少し、みせてやるよ。」

そう言い、大樫が大きく飛び込み、左右のパンチを見せる。
しかし、さほど速くはない。打撃では晴臣に一日の長がある。
晴臣はバックステップでかわす。

大樫は晴臣を追うように更に踏み込む。先程より大きく、低く踏み込む。頭部が晴臣の腰の位置にくる程の低さだ。

“ボディストレート…”

大樫が腹部へのパンチを狙ってると思った晴臣は、さらに数センチバックステップをする。
大樫のボディストレートの打ち終わりに、カウンターを合わせようと考えた。

しかし、大樫の攻撃はボディストレートではなかった。

右手をボウリングのフォームのように大きく回し、掌を晴臣の股関に打ち付けた。

金的打ちだ。

晴臣はバックステップをしていたため、当たるポイントがずれ、致命傷は免れることができた。モロに食らっていれば即ノックアウトである。

しかし、クリーンヒットでなくとも、睾丸は男子最大の急所だ。
晴臣の動きが止まる。

大樫は晴臣の髪を引っ張り、腹部に膝蹴りを蹴り込む。

睾丸の痛みと腹部の痛みが同時に晴臣を襲う。

睾丸の痛みも、腹部の痛みも形容しがたい痛みだ。
重く、鈍く、吐く息が濁るような感覚がある。

大樫がさらに膝蹴りを蹴り込もうとする。

晴臣は左手でフックのように大樫の右の脇腹を打つ。しかし、ただのフックではない。立てた親指で脇腹を刺すように打つ、沖縄空手の貫手を応用したフックだ。

大樫はたまらず晴臣の髪を放す。

晴臣は瞬時に体勢を建て直し、大樫の頭部に肘打ちを打ち込む。

大樫がよろめく。

ここで追撃をしていれば、大樫を失神させることができただろう。
しかし、腹部と睾丸の痛みがそれをさせてくれなかった。

一方、大樫のダメージも深刻だった。最初に食らったミドルキックで大樫の肋骨にはヒビが入っていた。そこに先程の貫手を食らった。
また、ガード越しとはいえ強烈なハイキックを食らい、極めつけは肘打ちだ。
肋骨のダメージで呼吸が浅くなり、肌に大量の脂汗が滲む。
頭部のダメージで、吐き気も催していた。

しかし、大樫はこの状況を楽しんでいた。
ここまで大樫を追い詰めた者はこれまで、いなかった。
大樫は戦う事が心底好きだった。

対して晴臣は戦いに対してドライな考え方を持っていた。
かつての空手やキックボクシングの試合とは違い、ここで大樫に勝利しても名誉も栄光もない。
沢村から幾何かの“手当”を貰うぐらいだ。
これも仕事、仕方なく戦う。
そう考えていた。
しかし、戦いへのモチベーションは異なるものの、互いが互いを認め合っていた。

大樫と晴臣は互いに構え直し、間合いを取り合う。

二人とももう長くは戦えないのは一目瞭然だった。

「すげえ」

立ち尽くしていたホストが、思わずそう漏らす。

金城も沢村も二人に感心していた。男としてある種のリスペクトの感情を持っていた。
それは無表情の須藤も同様だった。

互いに見合う展開が続く。
呼吸を整えながら、相手の目線、リズム、一挙一動に気を配る。

先に動いたのは晴臣だった。

左ローキック。
高い蹴りは、掴まれるのを警戒して蹴れなかった。大樫はそれを見越していた。ローキックを蹴って来たらパンチを合わせるつもりで、こちらからは手を出さなかった。

大樫は左ローの蹴り終わりに合わせて飛び込み、右ストレートを打つ。

晴臣は大樫の飛び込みに合わせて、ややサイドにずれて、左の膝蹴りを蹴る。

右ストレートを打つと、腹部の右側が相手の方を向く。

無防備になった大樫の肝臓に三度目の打撃が加わる。

もうこのまま倒れ込みたい。

そんな気持ちを抑え、声にならない声をあげながら五本指の貫手を晴臣の喉めがけて打つ。

膝蹴りで完全に決まったと思った晴臣は想定外の貫手をギリギリのところで躱し、もう一度膝蹴りを蹴るモーションを見せる。

大樫は膝蹴りをブロックし、脚を掴んで投げようと、腹部に意識を集中させた。

晴臣は右膝のバネを聞かせ、蹴り足である左脚の股関節をやや回すように、大樫の顔面に膝蹴りを蹴り込む。

腹部の膝蹴りのフェイントから、顔面への膝蹴り。
意識が腹部に集中していた大樫はモロに食らい倒れ込む。

しかし、大樫は打たれ強い。
ミドルも肘打ちも腹部への膝蹴りも、渾身の一撃だった。
この顔面膝蹴りでもまた立ち上がるのではないか、そんな不安が晴臣にはあった。

倒れた大樫の顔面をめがけて晴臣はパンチを打ち込もうとする。

その時だった。

「それまで」

金城が制止をする。

「勝負あり、だね。そんなにいじめないでやってよ。金子くん」

晴臣は冷静になり、大樫を見る。
完全に失神している。ここからさらに打撃を打ち込めば、死んでしまう事もある。

晴臣は安堵した。

須藤が大樫にかけよる。
呼吸を確認し、大樫先生、と声をかける。

大樫はすぐに目を覚まし、起き上がる。

「負けたか。そうか。」

大樫は立ち上がり、こちらへ向かってくる。
須藤が寝ていてください、と制止するが意にも介さない。

晴臣の前で大樫は立ち止まり、晴臣を見る。

「お前、すげえな。失神したのは初めてだ。」

そう言い、右手を差し出す。

晴臣も右手を出し、二人は握手をかわす。

「凄いのはあんたの方だよ。打撃は日本拳法…か何かか?いや、それより投げ、金的、貫手、あれは一体、何だ。」

「八卦掌、ってやつだ。中国武術だな。」

八卦掌。晴臣には聞き慣れない名前だった。

「まあまたどこかでやろうぜ」

大越はそう言い金城のもとへ向かう。

“またやろうぜ”

冗談ではない。二度とやりたくない。晴臣はそう思った。

「金城さんすいません。負けました」
大樫が金城に頭を下げる。

「いや、良くやったよ。早く病院へ行け。」
大樫はウス、と返事をし部屋を出る。
須藤は駆け足で大樫についていく。

「じゃあ、沢ちゃん。今回は不問ってことで。そこのホストくん助かったね。500万払うってなったら、沢ちゃん君をどうしたかわかんないよ。」

すいませんでした、とホストが金城に頭を下げる。

「このバカは良く教育しておきます。じゃあ、金城さん。また。」

沢村が軽く頭を下げる。

「うん、またね沢ちゃん。」

金城がニカッと笑う。

あ、そうだ。

思い出したように金城が金子に駆け寄り、耳打ちをする。

金子くん、きみは………

その後に続いた言葉に、晴臣は驚き、目を見開いた。

勝利の安堵も束の間、晴臣は自分の今後に一抹の不安を覚えた。

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