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【オリジナル童話】欲望を克服した国

むかしむかしあるところにひとつの国がありました。

その国では医学がとても進んでいて福祉も手厚く、貧乏な人でも気軽に医療を受ける事ができました。

しかしそんな素敵な国の民にも悩みがありました。
犯罪を減らす事がなかなかできない事です。

その国は治安も決して悪くはありませんでした。しかしそれでもテレビでは連日新たな犯罪が報道されます。国民は不安な日々を送っていたのです。

国の偉い人達は考えました。
犯罪の根本的原因である『欲望』を抑制する事ができれば犯罪を減らせるのではないかと思いました。

早速研究が始まりました。
元々その国は医学が優れていたので研究は順調に進みました。

最初に食欲を抑える薬が完成しました。
その薬は優れた栄養剤でもありました。
その無味無臭の薬を毎日飲むだけで全く空腹にならず、しかも健康を高いレベルで維持できるのです。
薬は大量生産によって安価に売り出され、あっという間に国民に普及しました。

「風邪をひかなくなった」
「体調が良いと気持ちも落ち着く」
「食事の時間を別の事に使える」

薬は大好評。
さらに貧困が原因の犯罪も減りました。
研究を推進した偉い人達の支持率も上がりました。

国は次に睡眠欲を抑える手段を模索しました。
今回は外科手術が必要でした。
脳に機械を埋め込むのです。
脳に埋め込まれた機械は国民の健康や疲労の状態を細かくチェックします。眠ってはいけない時に眠気を感じた時は血流を補助して眠気を無くします。

もちろん睡眠そのものはとらないといけません。そこで機械は疲労度や成果習慣などから最適な就寝時間を割り出し、その時間が近付くとブザーで警告します。
ブザーが鳴ったら国民はベッドに横たわり、自分の頭につけられたボタンを押します。
ボタンを押すと、まるで部屋の明かりを消す時の様にパチンと意識が途絶えます。一瞬にして熟睡状態になる事ができるのです。
そして十分に疲労が取れたら自動的に目が覚めます。

この手術はさすがに最初は抵抗の声がありました。しかし実際に手術を受けた一部の国民からは好評でした。

「毎朝爽快な気分で起きられるし仕事の能率も上がる」
「ブザーのおかげで体調管理しやすい」
「どうして今まで夜更かしなんてしてたんだろう。俺は愚かだった」

こういった声が広まり、手術はだんだんと国民に普及しはじめました。政府の支援によって手術費用も安価に抑えられました。10年もすると全然珍しい手術ではなくなっていました。
居眠り運転事故の様な悲劇も皆無になり、手術の有用性は実証されました。

続いて性欲を抑える薬も完成しました。
この薬は今までで一番好評でした。
性欲が抑えられるわけですから当然性犯罪が減ります。
捕まえた性犯罪者に強制的に薬を飲ませる法律も作られました。
セクシーな広告なども無くなったので多くの女性が喜びました。

しかし弊害もありました。
少子化です。
そこで偉い人達は人工子宮を開発しました。
国民から精子と卵子を集めます。それらをランダムに受精させて巨大なシリンダーの中で赤ん坊になるまで育てるのです。
適当な大きさまで育った子供はシリンダーから出されます。以降は国が用意した施設で社会人として相応しくなるまで育てられるのです。
これで少子化の恐れも無くなりました。むしろ人口の増減をコントロールしやすくなり画期的とされました。

「結婚する人が減ったので、結婚しなきゃいけないという焦りが無くなった」
「なんでエロなんかに夢中になっていたんだろう」
「家族という縛りから解放された」

国民は口々にそう言って新しい時代の到来を感じていました。

その後もさらに研究は進みました。
様々な薬や手術によって様々な欲望が抑制され、それに伴って確かに犯罪は減っていきました。

そしてついにその国は滅多に犯罪が起こらない国になり、諸外国からも絶賛されました。

ある時、別の国からひとりの観光客がやって来ました。
観光客は評判の良いその国を旅するのをとても楽しみにしていました。

ところが観光客は街を見て少し違和感を覚えました。
ゴミが全く落ちていなくて清潔そのものなのは素晴らしい。
しかし、街並みや道を行く人々の服装にあまりに飾り気が無さすぎる様な気がしました。
みんな似たような凡庸な建物。みんな似たような地味な服装なのです。

それに表情が無い。
みんな無表情で歩いていました。笑顔が無い。かといって忙しそうというわけでもありません。全員が無表情なので顔まで同じに見えてきます。
歩く速さまで一緒です。のんびりしているわけでも、急いでいるわけでもありません。
それは決められた道を決められた速さで走るカラっぽのトロッコの様でした。

観光客は少し不気味に感じましたが、気を取り直して腹ごしらえをする事にしました。
ですが、探しても探しても飲食店がありません。ここが田舎というわけではありません。街に人はたくさんいます。なのに飲食店が無い。飲食店だけではありません。本屋もありません。お菓子屋もありません。映画館の様な人を楽しませる店も全くありません。服屋はありましたが、売られているのは全て、道行く人々が来ているものと同じ様な地味で無個性な服でした。

(なんだか変な国だなあ)

観光客はそう思いました。しかしお腹は減っていたので飲食店は探さないといけません。仕方ないので人に道をたずねました。

「すみません、この辺りに飲食店はありませんか」
「飲食店? この辺には無いよ。たしか、この道をずっとずっと歩いていった先にならあったはずだけど」

観光客に呼び止められた人はピクリとも表情を動かさないまま、けれども丁寧に教えてくれました。

「そうなんですか。少し困ったなあ」
「空腹なのかい。だったらこれをあげよう」

その人はポケットから一粒の錠剤を取り出して観光客に渡しました。

「これは?」
「空腹を抑えて健康を保つ薬だよ。この国の国民はみんな飲んでる」
「ああ! ニュースで見たことがあります。いただいていいんですか?」
「いいよ。高いものでもないしね。じゃあ私は失礼するよ」
「ご親切にありがとうございました」

その人は最後まで全く表情を変えないまま去っていった。その無愛想なのか親切なのかわからない人の背中を見送ってから、観光客はもらった錠剤をグイと飲みました。

するとアラ不思議。評判通り、空腹がおさまりました。さらに身体の奥から元気がみなぎってくる様な気もします。

(だけど、なんだか味気無いな)

せっかく旅行に来たのに、食事を錠剤で済ませるというのはなんとももったいない。
観光客はさっきの人が教えてくれた飲食店を目指す事にしました。空腹はおさまりましたが胃はからっぽです。食べられないという事はないでしょう。

言われた通りにずっとずっと歩き続けます。
途中で街並みが途切れ、道は森の中に入っていきました。観光客は本当にこの道であってるのか不安になりましたが、信じて歩き続けました。足が痛くなって途方にくれるほど歩きました。

やがて、森が終わって再び街に入りました。今度の街はさっきの様な凡庸な建物の街ではありません。いかにもデザイナーが手掛けた様なおしゃれな建物がたくさんあります。
素敵な服が飾られた店。子供のためのオモチャ屋。面白そうな映画のポスターなんかも貼られています。
そしてようやく、観光客は飲食店を発見しました。

店内はとても賑わっていました。
観光客は驚きました。最初に見た人々はみんな無表情だったので、食事も無表情のまま黙々と食べているのでは、と思っていたのです。
しかしそんな心配とは裏腹に、店内の客達はみんな笑顔で友人や恋人と談笑しながら食事を楽しんでいました。
観光客は安心しました。

(なんだ、最初は変な国かと思ったけど、普通じゃないか)

観光客は席に着き、メニューを見ました。そこでまた驚きました。想像していた5倍くらいの値段だったからです。しかしやっとの思いで見つけた店でしたし、払えない金額でもなかったので、仕方なく注文しました。

「やあ、君は観光客かい?」

料理を待っていると、他の客の一人が気さくに声をかけてきました。

「ええ、そうです」
「この国はどうだい。良い国だろう?」

話しかけてきた人はどうやら金持ちらしく、個性的ながらも上品な服を見事に着こなしていた。

「はい。ここは素敵な街ですね。森の向こうにある隣街を見た時は少し不気味に感じてしまいましたが…」
「ああ、そこは中流層エリアだね」
「中流層エリア?」

観光客の疑問に、金持ちは丁寧に答えてくれた。

「国民のほとんどは中流層エリアに住んでるよ」
「え、ではほとんどの国民があんな風に無表情で無個性という事ですか? それはどうして?」
「欲望を抑えているからさ。欲しい服も無いし、食べたい料理も無いんだろう」

(だから飲食店が無かったのか。そういえば服屋にも同じ様な服ばかり置いていた)

観光客は納得しました。しかし新しい疑問が浮かびました。

「ではどうしてこの街はこんなに華やかなのですか? 欲望を抑えているはずでは?」
「このエリアに欲望を抑える薬を飲んだり手術を受けたりしてる人はほとんどいないよ」
「それはどうして?」
「ここは偉い人達が住むエリアだからね」

観光客に話しかけたその人は、かつてこの国で欲望を抑える薬を作る計画を進めた偉い人達の一人でした。

「このエリアの人々はそういったものに頼らなくても欲望をコントロールできるんだ。実際にこのエリアと中流層エリアの治安はほとんど変わらない」

偉い人は得意気に言った。

「私達は美味しくてしかも栄養価の高い食事を摂れる。睡眠不足で倒れる様な過酷なスケジュールを組んだりしない。魅力的な恋人もいる。私達は薬や手術に頼るまでもなく、すでに欲望を克服済みなのさ」

観光客はそれを聞いて腹が立ちました。

「そ、それはあなた達が色々なものを最初から持っていたっていうだけでは?」

震える声で批判しました。

「いくら国を良くする為とはいえ、中流層の人達はあんな無表情のままで毎日を過ごしているというのですか? それはあんまりでは?」

金持ちは観光客の批判に対して「やれやれ」という顔になりました。

「私達は薬を買ったり手術を受けたりする事を彼らに強要した事は一度も無い。ただ商品やサービスを提供しただけさ。嫌なら買わないという選択肢もあった」
「で、ですが…」
「それに彼らから不満の声は聞こえてこない。十分な栄養。十分な睡眠。欲しいものが手に入らなくてイライラする事も無い。彼らは極めて平穏な毎日を送っているんだよ」

観光客は自分の心がザワザワするのを抑えられませんでした。

「不満は無いかもしれないけど、幸福も無いのではないですか? 彼らの街には楽しそうなものが何も無かった。飲食店すらなかった」
「私達が彼らの店を潰したわけではない。いつの間にかそうなっていたのさ」
「この街には素敵な店がたくさんあるのに!」
「中流層エリアからここに来るまでに何か妨害でも受けたかい? そんなものは無かったはずだ。ちょっと距離は離れてるかもしれないけど、行き来は自由だよ。彼らがこの店で食事をするのだって自由さ」
「……」

そこへ先ほど注文した料理が運ばれてきました。
観光客はまだ金持ちに言いたい事がありましたが、せっかくの料理が冷めてしまうのももったいない。
観光客は料理を一口食べました。

とても美味しい。
美味しいけど、空腹の時に食べたならもっともっと美味しかったでしょう。大切な旅行の思い出として焼き付いたに違いありません。
ここに来るまでにかなりの距離を歩きましたが、多少足が痛くなった程度で空腹感はありません。食欲を抑える薬がまだ効いているのでしょう。

薬をくれたあの人が「美味しい」と最後に思ったのはいつなのだろう。錠剤を飲むだけで体調を維持できてしまう生活に慣れきった人々は、料理を食べた時の感動を知っているのでしょうか。
新しい服を着てみた時のワクワクは?
恋人と想いが通じあった時のドキドキは?
すべて忘れてしまったでしょうか?

「言っておくけどね」

金持ちが口を開いた。

「君に親切にしてくれたというその中流層の人間だって、本当は親切じゃないかもしれないよ」
「どういう意味です?」

金持ちは意地悪そうに笑う。

「さっきも言った様に、中流層エリアの人達は欲望を抑える事で平穏な精神を保っている。もしも薬を飲むのをやめたら、その本性は暴力的かもしれない。詐欺師かもしれない。性犯罪者かもしれない」
「そんな言い方、ちょっとひどすぎるんじゃないですか?」
「事実だよ。欲望を抑える技術が整う前は今の20倍くらい犯罪があったんだから」
「……」
「もちろん、欲望が解放されてもあまり変わらない人が大半だろう。でも豹変する人も現れる。必ずね」

観光客は何も言い返せなくなってしまいました。

「食事を邪魔してすまなかったね」

金持ちは去っていきました。
観光客は中流層の人々の事を考えながら食事を続けました。

その後、観光客は数日間その国で過ごしましたが、結局ほとんどの時間を偉い人達が住むエリアで過ごしました。
中流層エリアにもまた行ってみたのですが、あまりに娯楽が少ない為に長時間滞在するのを苦痛に感じてしまったのです。

あの金持ちの話を聞いた時は中流層を憐れむ感情を持っていたのに、いざ中流層の街で過ごしてみると苦痛だったのです。
観光客は自己嫌悪を感じながら、旅を終えて自分の国へと帰りました。

自分の国では、次のリーダーを選ぶ為の選挙活動が始まっていました。
一番人気のある候補者がモニターに映って演説しています。

「欲望を克服した国は極めて高いレベルの治安を実現しました。我々もあの国を見習うべきです。私がリーダーになった暁には、まず食欲を抑える薬を大量に輸入します。そして我が国独自の欲望を抑える研究も開始します」

モニターの中では平和な社会を求める人々が候補者に喝采を送っています。

実際に欲望を克服した国を見てきたその人は、自分がどうするべきなのかわからないまま、じっとモニターを見つめていました。

おしまい

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最後まで読んでくださってありがとうございます。

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