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SDGsエッセイ大賞│ムシ、ムシ、虫死

幼い頃、蟻を踏んづけたり、水をかけて溺れさせたりした。なぜそんなことをしたのか未だ分からないけれど、小さな黒い虫がちょこまかと動く様が、不気味で恐ろしかったのかもしれない。

蟻は踏んづけられながらも、最後の最後まで驚くほど生きていた。水に溺れながらも必死に生き抜いてやろうともがき続けてみせた。そしてゆっくりゆっくりと手足の動きが鈍くなり、やがて動かなくなった。

 大きくなると、そんなことはしなくなったが、やっぱり虫を殺している。身を守るためである。蚊は血を吸うし、ゴキブリやハエは不衛生。生活場面に現れる虫は、目に見えない菌を運んでくる可能性がある。

だから身を守るために、見つけたらすぐ殺さなきゃいけない。だけど本当は60%くらい気味の悪さで殺すのだと思う。できることなら不要に虫を殺さずにいたい。しかし残念なことに、私は虫恐怖症なのだ。虫の何百倍も大きな体をしながら、やらなければやられてしまうと怯えている。

 虫恐怖症には、二匹の虫の死が関係している。一匹目は家で見つけたゴキブリで、母が叩いてゴミ箱へ捨てた。確かにそれは死んでいるはずだが、ひっくり返って丸見えになった六本の足がゆっくりゆっくり動いていた。それは先ほどまで生きていて、今でも尚生きたいと願うかのように。私は「取り返しのつかないこと」の意味を悟った。

二匹目は、破れた網戸から侵入してきた黄金虫である。私はあの日、半狂乱になりながらそれと戦った。どうにかして外へ出したい、それが無理ならやらねばと、とにかく必死だった。最初こそ逃げまどうばかりだったのに、あろうことか、あいつは私に攻撃を仕掛けた。私も意を決して、雑誌か何かでそれを叩いた。手ごたえがあった。それから続けて、何度もそれに叩きつけた。半分つぶれた黄金虫から、何やら卵のようなもの。お腹に子がいたのだ。ひどい嫌悪感。それからひどい罪悪感。

 親になった私は息子と虫に日々やられている。口では「虫にも命がある」と言いながら、虫の亡霊を背負っている。息子のおかげで、青虫を育て蝶を羽ばたかせた。公園で捕まえてきたダンゴムシは、もう半年うちにいる。
 未だに虫が怖い。けれど、セミがひっくり返っていようものなら、どうにか起こしてやりたいと気をもんでいる。でもやっぱり「気持ち悪い」とも思う。だけどあの日、虫たちが物語っていた小さな命と、ちゃんと向き合っていたいと思う。



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