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分かれる水の岸辺より (秋山拓)

 部屋を出て大きく息を吸うと外の匂いがする。周囲に満ちていた私が薄れ外に広がっていく。私と入れ替わるように私に外が満ちていく。
 私の肌とその内と外に意識を向ける。私を作る階層の表層は今、肌のほんのすぐ外にある。私の階層は階調を作り、私ではない外もまた階調と階層をもって互いの表層で接している。
 潮が満ちて引くように私の外の私は満ち引きを繰り返している。月と日の運行よりも忙しない私自身の日々の営みの運行は暦を描くにも忙しなく、不順な満ち引きもまた運行の一部として受け入れている。
 部屋を出ずに日々が過ぎる。薄く景色の透ける大判なガラス窓が肌にも思える頃、窓を引き外を覗く。細く長い外が眩しく痛く私を刺激する。それは光であり匂いであり音であり味であり質であり、およそ私の捉えうる限りの違和感として内側に届く明確な生々しい抵抗を持っている。
 外と触れた私の階層が細かな階調をへて薄く伸ばされていく。
 夏に溶ける氷への同情がよぎる。薄く伸ばされた私は、満ちていたはずの私がただ澱んでいただけであり、引いていたはずの私もまたただ散っていただけだということを気づかせる。
 潮の満ち引きは均衡の結果であり、満ちることも引くこともその岸から望む主観であることの寂しさに天井を見やる。天井の隅から微かだが外が滲んでいる。
 思えばこの部屋の普請ではその内を内と呼ぶのも烏滸がましく、私は私だけで外と触れている。

 あの地震はひどかった。
 軒続きの老婆が言っていた。私から見た老婆が彼女からして老婆なのか知れないが、最近の話ではないだろう。ついこの前に思える十年ほど前の話なのか、ついこの前に思える百年ほど前の話なのか。やはりそれも私には知れないことであり、大きな地震に耐えたと小刻みに揺れた主語が彼女なのか部屋なのかということもまた等しく知ることはできない。私はただ彼女が述べたことを聞いたのみである。

 密やかに息をすれば私も外も同じく密やかなままであり、私の持たないナフタリンの染み込む類の匂いが揺れるように立つ。旅先や田舎を思わせるその匂いは部屋にだけ染みて私に染みることはない。私の階層はその階調を望むと望まざるとに関わらず保ち、肌は肌として私の少し外に広がる私を繋ぎ止めている。

 部屋に帰らぬ日々が過ぎる。小さな自動車は私が彼にとっての外であるという主張を保ちながら私を運んでいる。外に出た私は一番小さな姿のままに日々を過ごす。日を浴び、砂を浴び、水を浴びる。夏の海のような言葉の連なりを荒野にも似た田舎町の暗がりで受け止める。
 ここでの私は内も外もなく、一つの個として点のようにただあるだけである。澱むこともなく散ることもないが、滑らかな階調のかかる階層に思えた外への広がりは夢想した憧れのように気配すらつかめない。
 ただ外が満ち、私は点で、視点が違えば無いもののようにここにある。

 その木を切らないでくれ。
 金網の外から声がする。それは昼に若く夜に老いる人のように日々違う人の形をしていた。
 貴方の町が切るんですよ。
 心無い言葉は静かな確かさで内から響く。金網はまるで彼にとっての彼であるように私のことも内に抱えている。私であったつもりの私すら私ではないと知る悲しみは点のように縮こまる私のなくしたはずの隙間を抜けていく。

 吸えない息を吐くように私は私を広げるけれど、外に出た私には私を見つけることができなくて、満ちていた私を懐かしむように部屋の夢を見て仮宿で眠る。





企画: 02. 開け放たれた部屋

 部屋とはある孤独な単位の象徴です。しかし、その部屋が開け放たれる。しかし、部屋の外に出る、というわけではない。孤独から解き放たれるわけではない。
 この展示ではそれぞれの部屋を孤島と見立てて、会場の各地に作品を点在させています。それぞれの孤島=部屋=作品が、他の島から分け隔てられている状態でありながら、同時に外を想像するとはどういうことなのか。
 孤島には、作者の私物がばらまかれています。それはいわば、孤島=部屋からの漂流物です。作品と一緒に、漂流物としての私物もまた読書のよすがにしていただけたらと思います。

企画作品一覧



修了展示 『Archipelago ~群島語~』 について

佐々木敦が主任講師を務める、ことばと出会い直すための講座:言語表現コース「ことばの学校」の第二期の修了展が開催された。展示されるものは、ことば。第二期修了生の有志が主催し、講座内で執筆された修了作品だけでなく、「Archipelago ~群島語~」というコンセプトで三種類の企画をもうけ、本展のための新作も展示された。2023 年8 月10 日と11 日に東京都三鷹のSCOOL で開催。

『Archipelago ~群島語~』展示作品はこちらからご覧ください。



「群島語」について

言葉の共同性をテーマとし、言語表現の新しい在り方を試みる文芸誌『群島語』
2023年11月に創刊号を発表。

今後の発売に関しては、X(Twitter)Instagram で更新していくので、よければ是非フォローお願いいたします!

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