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afterwards (西山唯)

 かつてここに居た人たちはもうここには居なくて、あの日ここに居なかった人たちは今ここにいる。僕はとある人を探してここに来た訳だけどあまりにも遅すぎたみたいだ。この部屋は南が一面窓になっていて光をよく取り込む。窓はこれひとつなのに日の出から日の入りまでずっと部屋が明るい。実際この部屋に滞在してる間、照明は必要なかった。周りには高い建物がなく代わりに草がよく生えている。その背丈は大人の僕をゆうに越す勢いで、人が住まなくなったこの町で今1番自由にやれているのは木々や緑なのかもしれない。僕はかつて彼女が住んでいたアパートの一階にあるこの部屋にしばらく滞在することを決めた。人の気配はほとんどしなかったが遠くの鳥の声がよく聞こえた。
 僕は大学進学とともにここから新幹線を乗りついで4時間ほどの都市に引っ越した。その後彼女が残るこの町に来たのは一度だけだった。彼女にとっては故郷だったけど僕にとってはそうではない、というのが大きい理由だった。会うときは大抵中間地点にある別の都市、ここから二時間ほどの場所で時間を過ごした。なにも悔やむことはないけどこの町がまだ無事だった頃の景色さえうまく思い出せない僕には悲しむ資格なんてないのかも知れない。彼女は幸いにも無事に生きていて、メキシコに行くと言っていた。理由はよくわからないけど3 年住むと永住権が得られるらしい、そうインターネットの海外駐在ブログに書いてあった。
 「戻る場所もかえりみちも失った」
 最後に電話越しで聞いた言葉が頭の中でこだましていた。
光をよく取り込む窓は窓枠だけを残して粉々に砕け落ちていた。だから今は窓と呼ぶより開口部と呼ぶ方が正しいのだろうか。塞いでしまうのは違う気がしてそのままにして過ごすことにした。朝夕近所の迷い猫がふらっと訪れる。風と共に枯葉が入り込んでくる。虫やビニールゴミ、砂埃やたぬき、なんでも入り込んできては風に飛ばされて、それぞれの気分でどこかへ行ってしまう。僕は拒むことも執着することもなかった。時々きらきらと光る破片が床に落ちていることがあってそれはかつて窓だったものか食器棚の中身だったものかは分からなかったが生き物が踏んでしまっては怪我をするから頻繁に箒で掃くようにした。
 彼女はあの日以来ここには帰ってきていないらしく、変わってしまった町や我が家を見るのがしんどい、そう言っていて私物は全て残されていた。あの日のままというよりは足の踏み場もなく物が散乱していて、そんな状況でも頼まれてもいない僕が勝手に手を付けてしまってはいけないと置いてあるものには手を触れずに可能な限りの掃除を施した。彼女の母、ちえちゃんは僕がここに来ることと片付けを申し出たことを快く思っていて
「芙沙子が来れたとしても重いもんは運べんけぇね。助かる、助かる。」
と言ってくれた。ちえちゃんも町には一度しか帰ってきていなかった。明らかに大切にしていたと見られるもの、写真とか高そうなヴィンテージの器とか僕があげた箱根土産のオルゴールとかは共通の知人にあとで渡そうとスーツケースに仕舞い込んだ。この部屋が不本意に開け放たれることとなってから僕がこうしてここに来るまでにこんなにも時間が経ってしまったのは僕の不甲斐なさと弱さゆえで言い訳なんかできないのだけど、とにかく怖かったのは確かで、でも何が怖かったのかは今でもうまく説明できない。芙沙子への連絡もろくにできなかった僕は図々しくも今ここにいる。
 ボランティアの人と3 年前この近くにある総合体育館を建設した東京のゼネコン社員が復旧活動のため大勢来ていて、地元の人よりボランティアの人と話すことの方が多い、見かけるのも県外の人が多い、気がする。僕が外から来た人間だからよく分かる。あの日ここにいた人はもうここにはいない。
 迷い猫はここ数日具合が悪そうで、ぐったりとしていた。相まって機嫌も悪く僕に近づこうとしなかったから僕は僕の持ってきた服の中でも1番厚手のトレーナーで寝床を作ってやり、なるべく温かい物を与えた。僕の勘の悪いところがここでも出てしまったのだが後で妊娠していたと分かった。お腹はなかなかに大きくなっていてこれはネットで調べたのだが、猫の妊娠期間は約60日間とのことで、僕の勝手な見立てとお腹の大きさからしてあと2週間ほどで生まれると予測した。僕の休みは残り3 日しかなかったが持病が悪化して検査入院をするとかなんとか、それなりにうまく誤魔化しこの猫が無事に子供を産むまでくらいの休みをとった。その間も窓はふさがずにいて、部屋は外の世界と地続きになっていた。夜は少し冷えるので猫も連れて車中で眠った。

 彼女がメキシコへ行って半年が経った頃、僕はようやくその事実を知った。開け放たれたあの部屋で過ごしていた時、彼女はすでに日本にいなかったわけだ。ちえちゃんまでもが僕に黙っていたことに少しだけ怒りを覚えたけれど僕もまあ芙沙子が居なくてもときどき、特に歩いている時にあることだが、あれこれ思い出して急に立ち止まってしまうことがあるくらいだった。迷い猫はというと彼女の部屋で無事に子を産んだ。僕のパーカーの上で3匹が生まれた。母は出産後その痛みもないかのようにひたすらに強く子を舐めていて僕はそれを遠くから眺めることに徹した。朝方ボランティアの人からもらったプラダンで窓を塞ぎ、猫が通れるだけの小窓を作った。昼過ぎにはこの町をあとにして途中用を足すためだけにパーキングに2度寄り、運転をしながらコンビニで買ったおにぎりと惣菜パンで腹を満たした。その甲斐あってか深夜2時には僕は僕の部屋で眠りについていた。フローリングがひんやりと冷たくて夕方まで目が覚めることはなかった。
 今でもときどきあの部屋のことを思い出す。いつだって僕は遠くから眺めることに徹していたのにあの部屋から出て行くとき一度だけ、一度だけ彼女を無理やり抱きかかえてしまったのだ。嫌がり声をあげながら腕からこぼれ落ちてく軟体な身体をこの胸に押し付け長いこと離さなかった。あの時、瞬間的に付けられた無数の傷はそう深くはなかったが、夏の太陽に照らされて色素沈着を起こし今でもあちこちに残っている。





企画: 02. 開け放たれた部屋

 部屋とはある孤独な単位の象徴です。しかし、その部屋が開け放たれる。しかし、部屋の外に出る、というわけではない。孤独から解き放たれるわけではない。
 この展示ではそれぞれの部屋を孤島と見立てて、会場の各地に作品を点在させています。それぞれの孤島=部屋=作品が、他の島から分け隔てられている状態でありながら、同時に外を想像するとはどういうことなのか。
 孤島には、作者の私物がばらまかれています。それはいわば、孤島=部屋からの漂流物です。作品と一緒に、漂流物としての私物もまた読書のよすがにしていただけたらと思います。

企画作品一覧



修了展示 『Archipelago ~群島語~』 について

佐々木敦が主任講師を務める、ことばと出会い直すための講座:言語表現コース「ことばの学校」の第二期の修了展が開催された。展示されるものは、ことば。第二期修了生の有志が主催し、講座内で執筆された修了作品だけでなく、「Archipelago ~群島語~」というコンセプトで三種類の企画をもうけ、本展のための新作も展示された。2023 年8 月10 日と11 日に東京都三鷹のSCOOL で開催。

『Archipelago ~群島語~』展示作品はこちらからご覧ください。



「群島語」について

言葉の共同性をテーマとし、言語表現の新しい在り方を試みる文芸誌『群島語』
2023年11月に創刊号を発表。

今後の発売に関しては、X(Twitter)Instagram で更新していくので、よければ是非フォローお願いいたします!

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