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運命ってことを考えたくなるショートストーリー『啾啾ーしゅうしゅうー』



俺、中川啓太は、今日も汗びっしょりだった。
営業のワンボックスカーに大量の段ボールを詰め、取引先をくまなくめぐっていく。
取引先は主に飲食店だ。
食品会社の営業兼配送をしている。人手不足はどこも同じだから仕方がないが、うちのような小さな会社では営業も配送もほぼほぼくっついてしまった。

上司からはこき使われ、
飲食店ではタイミングを間違うとドヤされる。
道路は常に渋滞し、
店先に車を寄せることもままならないところも多いから、常に神経を使って運転している。

背中に張り付いたワイシャツは乾くことなく、会社に戻る羽目になる。
昔から男なんだから汗をかけと言われ続けてきたが、終わりはあるのか?
会社に戻れば戻ったで、青春時代を忘れた上司から現実を突きつけられる。
報告、連絡、しても返ってこない相談。

そんなくせに、定時を過ぎれば飲みに行くぞと誘われる。
話すことなんて奥さんの愚痴と、娘との会話がなくなったと、ジャイアンツの試合結果だけ。
なんで俺なんか誘うんだよと嫌になるが、理由は簡単だ。
俺は多くをしゃべらないし、基本的に「そうですね」しか言わない。

4つ目の会社ともなれば当然だ。
以前の俺ならば、ちょっとでも納得いかないことがあればすぐに食ってかかっていた。
世界は自分を中心に回っていると思っていたし、俺についてこいとさえ思っていた。

あいつの時だってそうだった。

東京に出て音楽で食っていく、絶対有名なミュージシャンになってやるって置いてきた。
俺には才能があると思っていたし、それだけの未来があるものだと信じていた。

いつからこんな風になってしまったのだろう?
いつになったら俺は東京に受け入れられるのだろう?



私、横沢鈴は今日も踵に絆創膏を貼っている。
いつになってもヒールになれない。
着飾って接客している自分になれない。

すずって名前なのに、いつからかみんなは私のことをリンちゃんと呼ぶ。
まあ、自分自身になれないのだから、名前なんてどうでもいいのだが。

私よりも年下だと思われるお客様に、これ以上ないほど丁寧な言葉で話しかける。
ファッションが好きかと聞かれれば、昔よりは好きになっているだろうが、本当の私は何を着るかなんてどうでもいいと思っている。
女の子なんだからいつも可愛くいなさいって言葉も聞き飽きた。

東京に出てきて、目についた求人募集がたまたまアパレルだっただけだ。
生活のためにすぐに働ける職場を選んだだけだ。
リン、なんて名前はアパレルがお似合いだ。

私が東京に出てきた理由は、結婚を諦めたから。
前に付き合った彼氏とは結婚を前提にそれなりに楽しく付き合っていたのだが、最後の最後に決断できなかった。
さよならを言った後の彼氏は、顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。

そんな元カレがいる地元が苦しくて、東京に出てきた。
もしかしたらまたあの人に出会えるかもしれないと、本当はちょっとどこかで思っていたのかもしれない。

いつまで私は、私になれないままなのだろう?
いつになったら私は東京に受け入れられるのだろう?




突然降ってきたスコールみたいな土砂降りの雨の中、はや足で歩いていた駅へと続く階段。

すれ違う相手の傘と、俺の傘が勢い良くぶつかってしまった。

「すいません」
「ごめんなさい」

同時に発した言葉の後、顔を上げて心臓が止まりそうになった。

「すず⁉︎」
「ケイタ⁉︎」

まさかこんなところでまた出会うとは思わなかった。

帰り道を急ぐ人たちに迷惑なのは承知だが、二人とも動けなかった。

「どっか店入ろう」

近くの喫茶店に入った俺たちは、向かい合って座ったまま、しばらく何も言葉を発することができなかった。

鈴の目から、一筋の涙がこぼれた。

ざわめく店内の声が一瞬静かになった。

「わたし、ずっとあなたに会いたかった...」


忘れていた時が、
忘れたはずだと蓋をしていた時が、
一気に流れ込んできた。

「本当は俺も、ずっと連絡したかった...」

傷つけた俺なんか待っているはずないとか、
今の情けない姿を見せるわけにいかないとか、
もう幸せになっているはずだと決めつけていたとか、全部弱い自分の言い訳だ。

人生は、
言い訳さえできない時の方が辛いのかもしれない。
許されるかどうかは別として、
目の前に言い訳をさせてくれる人がこうしていることが、こんなにも心を穏やかにしてくれるとは思ってもみなかった。

土砂降りだった雨は、就寝前にもかかわらず、元気な太陽をひとときだけ連れてきた。

俺たちは、傘を捨て喫茶店を出た。

お互いの体温を確かめるように手を取り合って。

啾啾と震える燦々と降り注ぐ太陽が、俺の背中の汗をもうとっくに乾かせてくれた。



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