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引き算と足し算

私の合唱観から

専門家の方が見たら、何を素人が勘違いしているんだ。

そう思われるかもしれないが、私は、合唱では特に、音楽を足し算で作る指揮者と、引き算で作る指揮者がいると考えている。

球体を作る例え

凸凹の物体があり、これを球体に近づけるとしよう。
この場合、出っぱっているのを削って行って、低いところに合わせることで、球体に近づくことができる。
しかし、他方で、凹っこんでいるところに足して行って、高いところに合わせることでも、球体に近づく。

高い、低い、という日本語の一つの単語がもつ多義性のために、ちょっと誤解を招いてしまうかもしれないが、ここで、出っぱっているところがより高度とか高尚という意味は持たせないつもりの例えであることは強調したい。

いずれにしても、球体には近づくことができる、というだけの例え話というわけだ。

足し算は継ぎ足し、引き算は削る

足し算で仕上げるのは、低いところに足して行って仕上げること、引き算で仕上げるのは、出っぱっているものを削って仕上げることに、なんとなくイメージは近い。

もちろん、実際は両方が行われるはずだけれども、アプローチの方向として、位の意味に考えてもらえたならば、趣旨は伝わっていると思う。

足す方が「好き」だが‥

どちらがいいとか悪いではないことは、ここまででも表現したつもりだけど、好き嫌いはある。

演奏を聴いていても、また、自分が所属する団体がどちらかなのか。そういう話で、好き嫌いを言えば、私は、足し算が好みであることははっきりしている。

合理性、効率性でいくと‥

あるものを削るのとないものを調達するのと
だけど、足し算の方が遥かに時間もかかるし、難しい。場合によれば、出来上がらないことすらある。先ほどの球体の例えはそれを言いたかったのだけれども、いくら足しても出っ張りに達しないことは考えられる。足し算はそういうことをしているのだ。しかし、引き算は、あるものを削るだけだから、材料が不足することはない。継ぎ足すよりも、削っていく方が労力も小さそうな印象にならないだろうか。

個性は出っ張りにあるのではなかろうか
また、足し算は、出っ張りの個性を理解して、活かす作業が伴う。引き算は、その塊を構成している最大公約数だけ注目すればよく、”余り”は切り捨てればいいので、考慮する必要もない。だから、こういうやり方の方が、現代的なのかもしれません。

そう考えると、球体の話はあくまでも例え話だけど、引き算の手法は、削る作業で、個性や特徴も削ってしまっているのだとも思う。確かに、より美しい球体はできるかもしれない。でも、個性も何もない、100個あれば、100個の区別がつかないようなそれは、正直魅力を感じるのは難しいと思う。

合唱だけではない

合唱でいつも思っていることだから、合唱の仕上げ方、という切り口でこの記事は書き始めましたが、これは、何を作るのにしても同じだと思う。人を作る(赤ちゃんを作るのではなく、育てる)のは、その究極かも。

時間がかかり、個性を意識し、外部からの調達も時には必要な足し算は、現代には受けないですかね。

でも、足し算の方が好きだから、効率が悪くても、流行らなくても、遠回りでも、実現しないかもしれなくても。こっちを選んでいきたいな。

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トップの画像は、みんなのフォトギャラリーで、球体で検索して出てきた中から、選ばせていただきました。今回は、イメージに近い、というより、私のリアルの生活と同じニックネームの方なので、気になって使わせていただきました。ありがとうございます。

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