すべては、敬意という気持ちの問題なのだろうか
「君が代」は好きですか
意外とこの質問、微妙ではないかと私は思っています。
私は、はっきりと、「音楽として好き」と言い切れます。
ここに、音楽として、という言葉がついているのはポイントかもしれません。いや、こういう限定の言葉をつけると、反対解釈されて、“では、音楽として以外は嫌いだと言いたいのでは?”と、受け止められてしまうことがあります。しかし、“音楽として”ではなければ、好きでも嫌いでもなく、フラットです。
エッケルトが編曲した最初期の君が代は、出だしと最後がユニゾン。いまとなっては出典がわからないのですが、このような編曲の経緯として、ハーモニーという音楽の3要素の一つに今一つ馴染みが薄い日本人がなじみやすいように、冒頭と最後をユニゾンにした、という解説も読んだことがあります。
これらは、正しい文献なのかは、私はその専門ではないのでわかりませんが、そういう解釈が成り立つような作られ方(日本語の同音異義語の不便なところですが、ここでのられるは、受け身です)をしていることは確かでしょう。
そして、歌詞。これが、「君」という一文字、一単語の解釈で、イデオロギー的な論争もあり、その論争の結果、自分のイデオロギーに合わないから、君が代は嫌い、という方もいると思います。端的にいえば、「君」は天皇を意味しているのかいなか、という対立です。
事実は私はわかりません。でも、私の感性として、詩全体として、「千代に八千代に」、以下は、とてつもなく長い年月、遠い過去から、未来永劫続くことを例えて表現しています。さざれ石が巌となる。苔がむす。自然を描写しつつ、長い長い時間の経過を表現する、洒落て綺麗な表現ではないかと、純粋に文学的に接すると思うのです。
そんな詩と、音楽からなる歌だから、好きなのです。
ソ連が嫌いだから、ソ連の音楽を否定すること
あえて、ソ連と表現しています。このご時世、ロシアとかくと、予断が入ってもいけませんし、まだソ連だった時代のお話だからです。
歌系の趣味から生き方を考える、という意味では、外せない逸話が、小学生の頃にありました。
小学校の音楽の先生は、ソ連が大嫌いな方でした。
学校の授業で、そんな個人の思想を語って良いのか。そう思うくらいに、ソ連が嫌いを授業の度に言っていた印象すらあります。
そんな先生が、授業でソ連の音楽を取り上げなければならない時、たかだか小学生の私たちに謝罪をした、という逸話です。
それは、一字一句は覚えていませんが、先生の先生と、ソ連の音楽を取り上げることについて話し合ったのだそうです。その中で、先生の先生は、
そんな趣旨のことを言われたそうです。
そういうお話をした後に、ソ連の素晴らしい音楽を色眼鏡で皆さんに教えようとしていたことについて、謝ります。
おおよそ、そういうお話でした。
小学生の私には、衝撃的なことでした。最近でこそ、教師と生徒の距離は近づいて、今は違うかもしれませんが、まだまだ、先生は絶対、みたいな雰囲気の残る時代です。そこで、ご自身の思想に関することについて、たかだか小学生に謝罪するなんて。
だから、一層、この授業のことは、印象に残っています。
大中恩氏のライナーノートを読んで
合唱を始めた比較的初期、故大中恩先生の作品集のCDを購入しました。ここで、収録作品について、作曲者である大中恩先生はいろいろ書かれていました。
一往、触れておきますと、大中恩氏は、90才を超えるまで作曲活動をされていた、「犬のおまわりさん」、「サッちゃん」などの童謡も多数作曲された、日本の作曲家の第一人者です。合唱ファンには、やはり「わたりどり」ですかね…。
子どもが巣立つ歓び
作曲家の気持ちなんて、完全には理解できませんが、自分の作品を歌っていただける喜び。そして、子供が巣立つような感覚。その中で、自分の想定、あるいは解釈した表現以外、あるいは、表現を超えた演奏を聞くと、巣立った、と、子供が大人になったような嬉しさがある。そんな(と、私は理解した、が正しいかもしれません)文章がありました。
子どもがいじられる怒り?
森進一さんが、おふくろさんで、元々の歌詞にないセリフを、歌の始まる前につけて歌うことについて、作詞の先生と対立してしまったことがありました。そのくらい、作者の意図は尊重されるべきものだと私は思っています。
著作者人格権が保護する精神的な価値
法律の話で言えば、著作者人格権の保護、という話になります。私自身、著作権法の勉強をしていたときに、当時の先生に、痛烈なご指導をいただいたことがあります。
先生に、300文字程度のレポートを提出したのですが、その後、電話がかかってきて、「ここは分かりづらいから、こういう表現に直したほうがいい」を、何十回言われたか…。
でも、先生は著書も多数あり、文章のプロでもありますから、表現の改善はそういうものなのか、と、いちいち修正していきました。でも、だんだんと、これ、自分の文章ではなくなっている、という気持ちが大きくなりました。なんか、自分の作品を、大中先生の例えで言えば、自分の子供を弄られている。そんな、ネガティブな印象が大きくなります。意識はしていませんでしたが、だんだん、先生の指示に対する受け答えも、声が沈んでいきました。
そして、わずか300文字程度ですが、全ての修正が終わった後、「今、どういう気持ちで、私の修正指示通りに修正しましたか? きっと、悲しかったり、残念だったりしたでしょう。それが、著作者人格権を保護する必要で、今回のことで、十分理解してもらえたと思います」と、コメントされました。
修正が目的ではなく、自分の作品をいじられる、自分の作品が、自分の意図することと違う表現をされる。そういうことを教えるために、300文字程度の文章で、フルリフォームみたいな指示をあえて出していた、のだと思います。
だから、オリジナルに敬意を払うことは重要だ、ということは、私は、かなり上位の基準に置いています。
趣味の作曲の唯一の経験
なんでも歌にしてしまうこどもだったことは、私の note では何度か書いてきました。でも大人に近づくにつれて、それはだんだん小さくなっていきました。だから、子供の頃特有のそれだったのだと思います。
それでも、大人になって、具体的には、30代になってから、作曲ではなく、編曲をして、それが、なんと、プロに歌っていただいたり、全く知らなかった第三者に歌っていただいた経験が一度だけあります。
このとき、上記の大中先生のノートにあったことが、少しは理解できたのかな、と思っています。
ちなみに、プロが歌って下さった時は、音は私のオリジナルのままでしたが、リズムはかなり変更して歌われていました。例えば、八分音符2つで記載したところは、付点8分と付点16分に、などです。しかし、これは、もともと編曲作品ということもあり、元の曲の解釈からは、むしろ、私もそのイメージを持っていたので、自然な変更でした。
そして、自分で編曲して自覚しているのは、結構この作品、テノールは難しい。だから、私自身が、歌い手としてよく思うことで、作曲者の意図する通りに、自分が歌えない。という問題があります。実際、演奏してくださったいくつかのアマチュア合唱団の演奏は、テノールは編曲者の意図とおりになっていないことがほとんどでした。でも、一所懸命練習して、それでも、その結果なのです。
それには、意図した通りに歌ってもらえないから、面白くない、という気持ちより、歌いづらい作品にして、申し訳ない(これもいずれ別に記事にすると思います。技術をひけらかす難しい音楽は嫌いです。難しいなりの演奏効果がない限り、ですが)。そして、別に情緒的な感想ではなく、苦労されたことが伝わる演奏だったので、編曲者としては、大満足のそれでした。
まとめ
「君が代」の詩は、もしかしたら、詩人の意図と、私の理解は乖離しているかもしれません。
ソ連の音楽は、作品には、なんの罪もないことを知らされました。だから、政治とか、思想を挟むことなく、ストレートに作品に触れるべきだと思います。なんというか、作品とは裸でつきあわないと。
順番が違いますが、著作者人格権という法律の、芸術と離れたそれですら、創作者の気持ちを汲んで造られている。
そんな中、大中先生は、もちろんプロの作曲家として、ご自身の作品を忠実に歌われることを期待して世に出していたのだと思います。でも、それを超えたときに、巣立ったような気持ちになる。私も、素人として、自分の書いた通りでなくとも、納得できるどころか、育ててくれてありがとう、と思える演奏があることを体験しました。
全て、仮に、想定した通りではなくとも、敬意を持っているかどうかではないかと思うのです。
歌だけではなく、人の営みは、先人の培ったものを利用したり活かしたりして継続されます。その時、ちょっとでも敬意を持って見つめる機会があると、誤った方向にはいかないと思っています。歴史や伝統、常識といわれるものの下で生きることがよいという意味ではなく、経緯をもって、それらを超えていくことが必要なのではないでしょうか。(なのに、経緯なく、壊すだけの世の中になっている印象が強いのです)。
冒頭の画像は、みんなのフォトギャラリーで「巣立ち」で検索して出てきた中から選択しました。提供してくださった方に、感謝申し上げます。