第九は生き方開発だった
第九との関わりはない私
自分自身の記事のメインになっている、歌系趣味から生き方を考える(マガジンにまとめています)。その中でも触れた通り、基本は合唱にあります。
この時期(12月)、合唱が趣味というと、「第九ですね」とほぼほぼ確実ち言われる。中には、「本番間近で忙しいところでしょう」とまでおっしゃる方もいたりして。
でも、合唱歴25年ですが、実は第九は歌ったことがありません。有名な「歓喜の歌」の部分だけならば、子供向けに二部合唱になったそれを、小学校の卒業式に向けて練習したこともありますが、その程度だったりします。(練習したこともある、という微妙な表現は、結局完成せず、本番はなかったから)。
歌う、という関わりはありませんが、趣味仲間が結構地元などの第九合唱団にいます。ですから、チケットをいただいたり購入したりで、25年のうち15年くらいは、この時期演奏会に足を運んだことはあると記憶しています。
そんな訳で、11月くらいから第九をやっている人に近づかないようにもしていたりします(チケットをいただいたり、買うことになるから)。
と、いうのも実際、有名だけど、かなりの難曲です。だから、第九演奏会によくある、素人合唱団の演奏だと、鑑賞というより、ヒヤヒヤドキドキになるそれか多いのです。だから、憎まれ口を叩いて「第九は毎年第3楽章までが楽しみ」なんて言っていたくらいなのです(念のため、合唱は第4楽章で出てきます。でも、個人的には本当に第二楽章がスキ)。
それもコロナ禍で中止もあり、この3年ほどありませんでした。さすがにこうなると、少し恋しくなってきたり…と、思っていたら、本日、前橋第九合唱団の創団50周年ということで、団員のお一人からお誘いをいただいて、行ってきました。
前橋第九合唱団50周年に行ってきて
そんなわけで、今年のこの前橋第九合唱団のそれは、お付き合い、でもなく、久しぶりに聞いてみたいな、コロナで合唱全体が大変な時に貴重だし、という気持ちが優っていましたけれど、ほとんどはお付き合い的に聞きに行く程度だから、全くこの作品には詳しくありません。
いずれにしてもその程度なので、常識的に、これまでの音楽を全否定して、新たな喜びを歌を、というのが第四楽章の合唱を伴う部分の趣旨であること、また音楽史上、オケと合唱をはじめて融合させた作品である、という程度しか知りません。
本日の演奏会のプログラムは、丁寧に第九の楽曲解説、ベートーベンが作曲した時代背景や、その中でのベートーベンの立ち位置みたいなものが解説されていました。
それを読んだとき、およそ200年前に、ベートーベンが生き方開発Labしていたんだ。と、思ったわけです。
そもそも、それまでの音楽全否定するわけです。すでに名声を得ていた作曲家が、それまでの(自分が作ってきた)音楽を全否定する。そして、新たな合唱を伴うという形式で曲全体をまとめている。
これは音楽だけのことではないというのは、プログラムの解説が指摘するところだったと思います。解説によれば、第1〜3楽章は、その時代背景、社会の切り口をそれぞれ音にして表現したベートーベンの視点だと紹介されていました。ということは、それまでの音楽を否定して、新しい音楽形式を開発するということは、すなわち、その時代の社会を全否定して、新しい生き方、新しい社会を提言、開発していたと考えられるからです。
それに気づいたら、この曲の聴き方、聞こえ方がなんか変わった感じ。来年までもう聴く機会はありませんが、来年お誘いいただいたら、そういう視点で聞いてみたいな、と思うのでした。
ちなみに…
ちなみに、では、歌ってみたくなったか、というと、合唱は全くピンとこない。でも、第四楽章に出てくる、テノールを含めた四重唱は魅力的ですね。自分の実力を顧みずならば、テノールやってみたいな、なんて思いながらの帰宅です
歌系趣味生き方を考える、から、歌系趣味から生き方を開発する、にステップアップしないといけないな‥
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トップ画像は、みんなのフォトギャラリーで、第九で検索した中でお気に入りを使わせていただきました。提供に感謝申し上げます。
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