盛るのは嘘のはじまり~その4-2(noteの一つの記事から再考)

昨日の私のこの記事。

https://note.com/gunnon/n/n8a4f212a591d

盛るのは嘘のはじまり、シリーズ? の4度目で、父親が「2番目」に好きなことを仕事にしたことをきっかけに考えてみました。

父の誕生日をきっかけにした記事なので、さけていた自分がいたのですが、その話しをきいたときに、なぜ、一番好きなもので勝負しないの? という疑問? もやもや? を子どものときにもちました。

芸術的なものには強い関心と深い知識があった父でしたが、実は、典型的な理系人間でもあり、そこは、客観的に、あるいは、経座的にそろばんをはじいて、2番を選択したのではないか。子どもなりにそう解釈していました。

2番を選択したからといって、いい加減ではなかったと思います。でも、2番ということは、もしかすると、その後の「器用貧乏」の典型としての人生を歩む父を決定づけたのではないか。

そんな思いもあったのですが、note に投稿するきっかけとなったこのクリエイターさんのこの記事。そんな投稿のあとに公開されました。

2番でも、この記事の最後で使われている「普通はそこまで正直に語らない」ならば、よいのかもしれません。いや、そう思っています。それはさらに、1番ではなく2番を選んだ理由が、いろいろなことを物語るかもしれません。

積極的に、前向きな理由で、自分に正直に2番を選んだならば。
そこに、盛るという嘘はないと思うからです。

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