盛るのは嘘の始まり〜その4(好きなことはつい盛ってしまうが)

 やりたいことを仕事にする。



 最近、自己啓発系の記事をみると、そういう趣旨のものを見かける機会が増えたような気がします。



 どうでもいいことですが、17日は、亡父の誕生日でした。そんなこともあって、父のことを思い出していたのですが、その父の思い出の一つに、「一番好きなものを仕事にするのはつらい。だから、2番目に好きなものを仕事にした」と、私が子どもの頃に語っていたことが思い出されます。



 器用貧乏とはあなたのことを言うのでしょう、というくらい多才。超一流ではないものの、一往人様に評価されるレベルまでは、手がけたものはすべてやりとげていました。たとえば、段位がある趣味ならば、初段以上にはすべてなっていました。



 そういう父が、一番好きなものを仕事にすると、仕事に行き詰まったときに袋小路になる。だから、2番目に好きなものを仕事にしたということを語っていたわけです。

 ちなみに、一番好きなものは、音楽でした。2番目は、実は、よく分かっていないのですが、父の職業は、地質調査会社でした。地学が好きだったのか、図面を書くのが好きだったのか。子どもの私にはわかりませんでした。でも、仕事は楽しそうで、ときどき趣味として音楽をやって。なるほど、2番目に好きなものを仕事にする、というのは、選択肢としてありえるな、と、理解することはできていました。



 この父は、「やりたいことを仕事にする」という方針にてらすと、微妙です。しかし、好きなことと仕事としてやりたいことは別だったのかな、と最近は理解しているつもりです。



 盛ることは嘘つきのはじまり、というテーマにこの話題が直接結びついているわけではありません。

 実は、父の音楽好きを物語るエピソードもいくつか記憶しているのですが、それがすべて真実だったのかは、検証する前に父はいなくなってしまいました(離婚の後に死去)。記録を調べれば一つはわかることですが、そこまでして、真実だったかどうかを確かめることは、あまり意味を感じませんし、この記事の目的でも、無意味です。具体的には、国内では有名で権威のあるコンクールに、入賞はできなかったけれど、最終ステージまで行ったという「自慢話」でした。その他にも、ハワイ旅行で、本場のハワイアンの奏者に注文して、有名な観光地でハワイアンを歌って、拍手喝采だったなどなど、とにかく、それって「盛ってない?」というエピソードの多い父でした。



 趣味ですから、盛っても、せいぜいその場が盛り上がるだけです。盛り上がる一方で、「また大げさなこと言って」と、内心思う人もいるだろうから、決して、プラス面ばかりでない行為です。でも、趣味だからこそ、ついつい、些細な実績を大げさに話してしまう、という気持ちは、誰にでも芽生えるのではないでしょうか。

 0から嘘をつくのは難しいが、1の事実をきっかけに100の嘘をつくことは優しく、また、実にもっともらしい嘘になるのだそうです(民事訴訟法や刑事訴訟法の「証拠法」の世界のお話)。盛るというのは、0から盛ることは私は少なくとも感じたことはありません。1を100に見せかけるものがほとんどで、1があるから、もっともらしい、整った嘘(このシリーズでは、盛ることは嘘つきだと言っているので)に仕立てられるのではないかとも思います。



 一番好きな音楽を仕事にしないで趣味にとどめた父の、その音楽の「盛り」のお話です。だから、このように気軽にとりあげられますが、好きなことを仕事にした場合、好きなだけについつい盛ってしまうことはないでしょうか。趣味の世界ならば、「はいはい、よかったね」と笑いながら言われてすむことですけれど、仕事で、大切な生活の場ではどうだろうか。



 やりたいことを仕事にするときには、特に注意をする必要があると、私自身の経験から思うのです。そして、嘘っぱちな自分ではなく、本当の自分とよいコミュニケーションを取る事は大事ではないでしょうか。

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