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高校時代のアルバイトでサラリーマンに絶望した訳
僕は高校時代、学校の規則でアルバイトが禁止されていたのにも関わらず、学校終わりに近所のスーパーでアルバイトをしていた。
自宅から学校は市をまたいでいたからなのかは分からないが、トラブルも無く働くことができた。
高校生だった僕は、お小遣いが欲しい訳でもなく、欲しいものがある訳でもなく、ただ何となく働いて50万円を貯金した。
どうしてアルバイトしたのか
僕はもともと、小学校のクラブ活動から始まって高校生まで卓球部として活動していた。
なぜ卓球を選んだのかはわからないが、幼い頃に頻繁に訪れたリゾートホテルで、良く家族全員で卓球をしていたからだろう。
高校に入学すると当然の様に卓球部へ入部することになり、大会ではかつての中学時代の同級生と鉢合わせしたり感動した覚えがある。
高校2年の後半くらいに「部活して何か意味があるんだろうか」と思ってしまった僕は、近所のドラッグストアでアルバイトを始めた。
ドラッグストアでは、今まで見てきた店員さんの動きを見様見真似でするも、商品の品出しすら難しいと思える自分に嫌気がさした。
自分への失望と戦いながら、苦手だったレジでの接客にも挑戦することで、接客スキルはみるみる上がっていった。
お金を稼ぐ事が楽しかった
ドラッグストアのアルバイトでは夏休みに103万の壁を超えないギリギリを責めて、退職するまでの11ヶ月の間に30万円ほど貯金をしていた。
ドラマかアニメで見た「通帳を見てニヤける」の意味が分かった瞬間でもあった。
果たして高校生で30万もの大金を持っている人がいるのだろうかという優越感を持ちながら、新しいアルバイト先としてスーパーを選んだ。
スーパーで20万円程度を稼ぎ、なんと高校時代で50万円お金を稼ぐことができた。
僕は高校生という若さで、お金を稼ぐことの大変さと、時間の切り売りさえすれば簡単にお金を得られることを学んでしまったのだ。
サラリーマンに絶望した
時間さえ切り売りすればお金を稼げることを知った僕は、いつの間にかサラリーマンを目指すのが嫌いになり、芸能マネージャーというサラリーマンの夢を目指していた。
高校卒業後は、父親の単身赴任先であった世田谷区で一緒に暮らしながら、芸能マネージャーの専門学校に通いながら、芸能界で実際に働くサラリーマンのノウハウを聞いていた。
専門学校の学費を払ってもらい親不孝者だと自覚しながらも「芸能マネージャーというサラリーマンになりたくない」と思った。
サラリーマンに絶望した僕は、専門学校の進路担当職員というサラリーマンと、就職活動について口論する日々を過ごした。
就職活動の気晴らしに入った落語の寄席にて、尊敬する落語家の元へ直接弟子入り志願し、弟子入りすることができた。
しかし、結局は落語家というゴリゴリの縦社会があるフリーランスという働き方に絶望してしまったのだ。
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