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【甲陽軍鑑】信州・海尻合戦

甲陽軍鑑品第二十に書かれた戦いを紹介します。

信州海尻の合戦

天文9年(1539年)の正月晴信の重臣である板垣信形の巧妙な策略により、信州海尻の侍たちを説得し、晴信の陣営へと引き入れることに成功します。これにより、海尻の城は無血で開城され、晴信に献上されました。

海尻の本城の守備は、日向大和守が二の丸、長坂左衛門と三の丸を担当しました。

本丸の守備は板垣信形、飯富兵部、甘利備前守、小山田備中の4人の家臣によって分担されることになり、くじ引きの結果、小山田備中がその責務を担うこととなりました。

その後村上氏の軍勢が反撃があり籠城することとなりました。

この事態を知った晴信は、自ら馬を駆り、一騎がけのごとく先陣を切って攻め込みました。彼は七千余りの軍勢を率いて敵を圧倒し、1月31日の午後には、敵兵313人を討ち取るという大勝利を収めました。この勝利により、海尻の城は完全に晴信の手中に収まり、その支配を確固たるものとしました。

なお、別の資料によれば、この戦いで晴信は正午頃に敵三千を攻め崩し、雑兵九百十三を討ち取ったとも伝えられています。

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