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【備忘録】荘園(律令制)


【備忘録】荘園(律令制)

○なぜ律令制度を取り入れたか。


白村江の戦い(663年)で大敗。
唐の存在による国際関係が緊張。
国力増強のため中央集権的な統治が必要となった。
律令の律は刑法、令は行政法

○土地制度・税制


律令制
公地公民の原則。国が土地と人を管理。

浄御原令(689年)
班田収授について記載あり。

班田
田を農民に与えること。

口分田
6歳以上に与えた田。死ぬで所有で売買不可。死ぬと国に返す。

条理制
口分田を割り当てるための区割り。碁盤上目状に配置。

租庸調雑徭(税)
租 稲穂
庸 布・米
調 繊維製品・木材・農具・海産物
雑徭 労役

計帳
課税のための台帳

出拳
種籾や米穀の貸し出し。利息をつけて回収する。もとは元は農民支援だが、強制的に貸し付けて地方政府の財源となる。

乗田
割り当てられず余った口分田

国衙
地方行政機関

貸租
国衙が乗田を農民に貸し出し土地代(地子)を徴収すること。

○官人報酬


位封・位録
位に応じた報酬

職封・職録
職に応じた報酬


指定した戸が納める租庸調が支給される。


布の支給。

○農村支配



地方行政機関

四等官(地方官)
長官 守
次官 介
掾(じょう)
主典
↑総称して国司と呼ぶ。

国衙
役所のこと。

国府
国衙の所在地。


国を分けた名称。

郡司
郡の行政官

国司と郡司の違い

国司は中央政府より派遣された役人。
4年の交代制。

郡司は地元の豪族で任期は終身で世襲。
外位が適用され最高でも五位の位までしか行けない。(中央での出世は無理)
しかし、優秀な若手は都の大学から官人になるルートはあった。

○律令制初期のメリット・デメリット


メリット
中央集権化により地方勢力の力を落とす。
(郡司などは地方豪族であるため完全な中央集権ではない。)
人口増加

デメリット
私有の土地でないため生産性が上がらない。
人口増加により口分田が不足してくる。

○口分田不足による取り組み


百万町歩開墾計画(722年)
国司・郡司に命じて農民に10日間開墾をさせる。3000石以上の開墾者には勲六等を授ける。

三世一身法(723年)
新規開墾の田について本人・子・孫の代まで所有可能。
古い用水路等を復旧した開墾については1代のみ所有を認める。

墾田永年私財法(743年)
新規開墾田耕作権の永年私財化を認める法令。
国司が開墾した土地は任期が終わると公収される。
新規開墾について国司に申請が必要。
位階によって所有可能面積の上限あり。
口分田(公田)と墾田(私有田)の2つに分かれるようになる。

寺院墾田許可令(749年)
寺院による墾田の所有が許可される。
寺ごとに枠があった。

加墾禁止令(765年)
寺社以外の私的開墾の禁止。
772年撤廃される。

○初期荘園の成り立ち


初期荘園
墾田永年私財法により作られた荘園
貴族・寺院が個人所有墾田の買取・寄進・開墾により荘園化していく。
経営には郡司が携わる。
専属の農民はなく、工作農民からの賃租により貴族・寺院は収入とした。
口分田(公田)もあるため農民にとっては副業的な存在であった。

荘園
私有の農園
荘 建物
園 土地

荘所
墾田開墾のための倉庫・事務所

勅旨田
天皇・上皇のための荘園
延喜の荘園禁止令により新設が禁止される。

賜田
天皇が勅旨田を皇族や近臣に与えた田

○律令制関連年表


646年 大化の改新
663年 白村江の戦い
689年 浄御原令
722年 百万町歩開墾計画
723年 三世一身法
729年 長屋王の変
732年 旱魃による飢饉
737年 天然痘流行
740年 藤原広嗣の乱
741年  国分寺建立の詔
743年 墾田永年私財法
           大仏造立の詔
749年 寺院墾田許可令
765年 加墾禁止令
772年 加禁止令撤廃

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