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ガラスのコップ

 私は結婚式の引き出物としてこの家に来ました。
 持ち主の名前が刻まれているので、基本的に他の方は使いません。

 明るい。引き出しが開いたみたい。
 手が伸びる。私を掴む。最近は出番が多くて嬉しいです。
 ガシャガシャと音がしたと思ったら、カラロンと氷が身体の中に入ってきました。中が冷えると部屋の空気が余計に暑く感じます。ガラスの肌に汗が垂れていきます。
 持ち主は近くにあった布巾でサッと私を拭いて、トクトクトクッとお茶を注ぎました。いい香り。今日はアップルルイボスですか。

 持ち主が私を掴んで傾け始める。
 キンキンに冷えてますよ。飲み頃ですよ。
 さぁ、どうぞ召し上がれ。

「あ」

 本当に一言。たったそれだけ漏らしたあと、持ち主は私を置いて、隣の部屋へ行ってしまいました。何か思い出したみたい。

 持ち主はとっても忘れっぽいのです。
 ひとつ思い出すと、何かひとつ忘れている。
 今なにか思い出したということは、きっと忘れられたのは私なのでしょう。

 せっかくの氷も解けて水になり、お茶が薄くなってます。それに汗が止まらない。足元に水溜りができているじゃありませんか。
 仕方ありません。代わりに私がりんごの甘い香りを楽しんでおきますね。

 美味しいものは美味しいときに楽しめばいいのに。それ以上に大切なことってあるのでしょうか。
 ニンゲンというのは不思議なイキモノですね。

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