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人は一生に10回ぐらいはUFOについてガチで語らなければならない

岩田です。はてなブログの過去記事転載です。

未確認飛行物体である「UFO」

その存在の解明がいつになるかはさておき、UFOとはいつになっても、いつの時代も男の中の少年の心をくすぶり続ける存在であることは間違いありません。

  • UFOには宇宙人が乗っている

  • あれは未来のタイムマシンだ

  • 気象現象によりそう見えるだけだ

  • 米軍の極秘兵器だ

UFOには様々な説や解釈がありすぎて「これぞUFO!」と、納得のできるものは現人類の科学力ではまだ難しい段階でしょう、だから見確認の飛行物体。

そんなUFOについて語る、とくに男は語らなければならない時期があるのをご存知でしょうか?

未就学の幼少期、小学生といった少年時代、少年から大人に変わり始める中学時代、社会の一員となり始める高校時代、自分の責任における人生のスタートをきる二十歳~25歳ぐらい、30代、40代、50代....

自分の人生におけるそれぞれの時代を経て、男とは自分の持つUFO論を徐々に完成させてゆくと私は考えています。

そして自分の持つUFO論を語る場... 男なら分かりますよね、学校・職場・居酒屋・家族と様々な場においてその時の自分のUFOを語る必要があることを。

そう...人は一生に10回ぐらいはUFOについて語らなければならないのです。

人生のある段階からUFO肯定論と否定論を同時に理論的に語れるようになる

UFOについて語る場合、どうしても避けて通れないのが宇宙人。

この場合における宇宙人とは地球外知的生命体として定義されることが多く、我々人類よりも遥かに進んだ科学技術力を持った存在を示す...といった現人類の想像力の延長線上で考えられる生命体でしょう。

これは科学技術や理論(現人類が考えられる宇宙の法則)を根底に考えるものなので現実的でもあり非現実的でもある存在...ってこの時点で肯定論と否定論が同時に存在しています。

また宇宙人については解釈をスピリチュアルに広げたものもありまして例えば魂だったり意識だったりの存在、物体として存在ではないし現段階の科学力では観測することが出来ないもの、これについても肯定論と否定論が同時に存在、分かりやすい言葉で言えば「愛」でしょう。

映画インターステラーはこのような理論・科学技術・未来・愛などを上手にかつ丁寧に融合させた見応えのある映画、UFO肯定論者と否定論者の両方が観たはずです。

ではそのようなUFO肯定論と否定論が同時に語れるような段階とはいつなのか?

私で言えば20代後半~30代中盤ぐらいだったと記憶しています。
それ以前の私はUFOを肯定・否定と同時に語っているようでありつつも結論的には肯定よりの語り。

そのUFO肯定論とはUFOは宇宙人の作った乗り物、星から星へと移動出来る乗り物、乗ってる宇宙人はグレイタイプのような宇宙人、その宇宙人は身体能力は地球人に激しく劣る...みたいなイメージです。

では私がUFO否定論を受け入れるようになった、自分の言葉で否定論を語れるようになった理由は?となると自分の年齢的なものや北野武さんの番組「テレビタックル」での韮澤潤一郎さんがフルボッコにされるような番組の影響も大きかったと考えています。

韮澤編集長も大槻教授も大好きなオッサンです。

UFO肯定論と否定論はどちらが楽な論か?

そもそも「未確認」の飛行物体なので否定論のほうが圧倒的に楽、また今はCGの技術が圧倒的なのでちょっとした動画程度では説得力に欠けるというもの。

UFO肯定論は映像でコレだ!とやる以外に方法が少ないってのが難しい所。

ちょっとだけロマンを持たせたUFO否定論

UFO否定論にも様々な種類がありまして最も残虐的な否定論が宇宙に知的生命体は人類しか存在しない...ってやつ。

それは確かめようのない事でありつつも説得力ある、しかしそれを真顔で言ったら話はお終い。「アイツつまんねぇやつだな...」となりかねません。

そこでUFO否定論でありつつもロマンを持たせた論が宇宙人はいるかもしれないけど地球に到達する事は出来ない、人類と宇宙人が出合う事はないだろう説。

これは宇宙人が存在したとして、恒星間宇宙船の技術があったとしても地球の人類と接触できる時期や手段が合わないとファーストコンタクトにならないよ...ってな話です。

石器時代にUFOが来ていたとしてもダメじゃん、今から100年後に人類の文明が終わっていた時にUFOが来てもダメじゃん、地球が誕生して消滅する〇〇億年の間にUFOが来たとしても地球側にコンタクトを取れるレベルの技術力と文明が発達している知的生命体が存在する時代に来てくれないと意味ないじゃん...ってな話です。

それは地球側も同じ、今後人類が高速で移動できる宇宙性を開発して人類が入植できそうな星に辿りついたとして、その星に知的生命体の痕跡が残っていれば宇宙人が居たんだ!と大騒ぎ。

しかし本当は文明があって科学技術もそれなりにあったのだけれど滅んじゃっって何の痕跡も見つけられない場合は宇宙人いなかった事になる。

これは文明の寿命の話になるので「時期さえ合えば...」なのですね。

当然だけど時期が合わなければ宇宙に向けてお互いに電波を出しあったとて交流も出来ないってな話です。

ただし人類はボイジャーを送り出した存在です。

時期が合わなくとももしかすると...ってなロマンがそこにあるわけですね、映画スタートレックではそんなボイジャーをテーマにした面白い作品もアリ。

危険だがロマンだらけのUFO肯定論

次にUFO肯定論、これはもうロマンの塊でしてヤバすぎる量のUFOロマン論が存在します。

それこそ現人類の科学技術力とは異なる力学な超古代文明、UFOはタイムマシン、今の文明は〇回目の文明、異なる銀河から来るUFO、地球は動物園か観測所、宇宙連盟的な存在に見守られている、実は全部マトリックス、UFOって霊的な存在、異なる次元の...

もう言いだしたらキリがありません。

それでも現人類が考えうるUFO肯定論としては人類よりも遥かに進んだ科学技術力をもった知的生命体が宇宙には存在している、それが何らかの理由で地球にやってくるといったもの、これはロマンがありつつも危険な考え方とも言えます。

問題はUFOが地球にやってくる「理由」、この理由をああだこうだと陰謀論も含めて語れてしまうのがUFO肯定論でしょう。

映画E.Tのような友好的な雰囲気の宇宙人だったらOK、でも映画インディペンデンスデイのようなヤツらだったら?プレデターみたいな価値観のヤツらだったら?

地球とは国が違うだけでも価値観がかなり異なる星、それが他の惑星の生物だったら価値観が驚くほど異なるかもしれません。

分かりませんけど出会ったら融合みたいな感じで合体するのが常識!ってなヤツかもしれないし、いきなり肉体丸ごとデータ化してくるマシンのようなヤツかもしれません。

現人類の価値観では圧倒的な武力差・科学技術差のある民族や国家同士が出会ってしまった場合、弱い方は取り込まれれたり支配下に置かれてしまうと考えるのが普通。

地球にやってくるUFOの中の存在は民主主義とは限らないし、〇〇主義すら存在しないかもしれないのです。
これほど現人類にとって危険な存在はないでしょう。

しかし地球の人類文明が後1000年とか2000年経てば、例えばカルダシェフの定義のようなⅡ型~Ⅲ型文明にまで行ってるんじゃね?その時の人類の価値観とは2019年の今とそれほど大きく変わっていないじゃね?ってな希望があるからこそ宇宙人は映画E.Tのように友好的だと思うし、そうであって欲しいとのUFO肯定論があると思っています。

人は一生に10回ぐらいはUFOについて語らなければならない

UFOについて語る必要があるか無いか...

私は語る必要があると考えている人間です。

語る内容はUFO肯定論・否定論のどちらでもよい、できれば両方語れるようになるのが望ましいと思っています。とくに男は。

当然だけど中には「そんな話をしたって時間の無駄だろ」ってな意見があるのも分かっています。

でも人生において、そんな話をする・そんな話を聞くってな時はゼロじゃないはず、この記事を読んでしまっている「今」もその時の一つなはずです。

そこで無駄な話としてバッサリ切り捨てるか、無駄だけれど会話に入るかによって人付き合いも変わってくるというもの...そんな風に私は考えています。

こう考えると一生の内にUFOについて...は10回ぐらいじゃ済まされないようにも思えますね、ただやりすぎるとアイツはオカルチックな人間と思われてしまうのでホドホドに。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。

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