見出し画像

体験記・初めての対面リトリート

ドイツに本部多くIMA(Institute for Mindfulness-Based Approaches)とInternational Mindfulness Center Japan (IMCJ)の共催によるリトリートに参加してきました。長崎の郊外、小高い丘の上のホテルで4泊5日を過ごしました。

 コロナ禍によって基本的にオンライン開催がメインで、対面がしばらくかないませんでしたが、この度初めて講師の先生方、講師を志す仲間たちに直接う機会にもなりました。

体験記

 オンラインでのリトリートとは違った、全く新しい体験がそこにありました。一人で過ごす静けさに心地よさを感じやすいと思いますが、多くの人とともに静けさの中で過ごすというのは、これまでは厳格さや強制的な雰囲気があったように思います。しかし、この長崎のリトリートでは、その場で初めて出会う人がそこにいても、共にマインドフルネスを実践する仲間として、温かな静けさと共にそこにいることができました。

 海外からいらっしゃった講師の先生の存在は、どこか“テレビの中の人”のような現実感のなさがあったように思いますが、その場所で、その時に、目の前に存在し、その場から生まれてくる包容力から、いま自分がここにいるという今によりつながりながらマインドフルネスの実践をおこなえたように思います。

 なにより、これまでインターネットを介して聞いていた声が、その人の声がこの場の空気を振るわせて、いま自分の耳に直接届いているという体験は少し胸が躍る感覚があり、うれしく、喜びに感じられました。当たり前ですが、インターネットを介しても、その先生の声はその先生の声のままでした。それが実現できている技術のすごさも感じました。

常時マインドフルに

 日常的なマインドフルネスというのも改めて体験したように感じます。朝目覚めた瞬間からマインドフルネスの実践をおこなっているような感じでした。言ってみれば、鬼滅の刃の「全集中の呼吸」(常時特別な呼吸をすることにより、悪鬼を圧倒する力を発揮できるような状態にする呼吸)のような感じでした。いや、そこまではいかないにしても、日常的にマインドフルでいるという状態を改めて知りました。自分のしたい行動を円滑に遂行でき、迷いに対してもあせらずにいられる。普段、自宅や職場ではいかに多くの思考や感情が生じて、自分を疲弊させているかということに気づかされるくらい、静かで穏やかで、ゆっくりとした時間が流れていました。

つながりの大切さ

 コロナ禍で私たちは多くの人とのつながりが分断されてきました。この5日間で、直接人とのつながりから感じられる温かさ、豊かさ、その尊さを知りました。全く知らない人であっても、同じ志を持つ人とは寝食を共にすることができるくらい自分のなかで知らない、オープンさ(Openness)も感じられました。

 時折、MBSRの先生はマインドフルネスが平和をもたらすというお話をされます。これは去年のオンライン・リトリートで聞いた話ですが、ロシアとウクライナの問題が起きている今まさにその状況で、それぞれの国からマインドフルネスのカンファレンスに参加し、時間を共にしていたと聞きました。これは絵空事ではなく本当にそうかもしれないと私も思うようになりました。

目指したいこと

 いまMBSRを教え始めた段階ではありますが、時々こう思います。マインドフルネスを子どもたちに伝えたいと。小学生でも、中学生でも、高校生でも、大学生でも。この複雑で曖昧で不確かで、そして変わりやすい世の中。そこで、自分を大事にしながら社会と関わっていくことを助けるマインドフルネスをどこかのタイミングで伝えられるようになりたい、そう思うようになりました。そうすれば、もともと予防的な関わりをしたいと思ってきた自分の望みも叶えられる。カメの歩みであっても、着実に進んでいきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?