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『大きな鳥にさらわれないよう』

2023/6/13
川上弘美,2019,講談社.

昔ぜんぜんわけわからんと思って飛ばし読みして放置してた。寝てたんか?めっちゃ文章いいやん。早めに寝るはずだったのに、半分くらいまでがーっと読んで、明日眠いのいやだなあと思いながら感想メモしはじめる。

これは遠い未来の——もしくは過去の——もしくは現在の——神話。私たちは呆れるくらい円環的な時間の中を生きている。神ってのは工場みたいなもんらしい。市川春子さんが好きなひとはこの小説も好きだと思う。

遠い未来という設定で、人間存在が(それこそ大きな鳥の視点で)俯瞰され相対化されて語られる。かく言う私も極めて人間的に思考と探索を好むので、観察と記録に熱心な「見守り」のように登場人物をせっせと整理しマッピングした。(そして気に入った。)この神話を通して問われるものは、異質を許せるか、愛とは、憎しみとは、といったところか。

「緑の庭」

希少で乱暴な男をはたに、何層にも重なってゆらめく女たちのコロニーは、水沢なお『美しいからだよ』の「未婚の妹」にも通じる雰囲気がある。

「Interview」

この植物みたいな語り手は面白かった。『パスタマシーンの幽霊』「海石」にある、海のいきものたちの生命観を思わせる。膨張するようにわたしの「好き」とあなたの「好き」が連帯し、個と個の境界があまく溶け合っていく。海のいきものたちの生命観は嫉妬とか憎しみとかじくじくした拘りから縁遠くておだやかだ。私は私と恋愛観の合わないひとを「海のいきものと陸のいきものみたいなもん」ってたまに言う。

体を密着させるのと同じように、互いを食いあうってのも、とってもいいもんなんだよ。ま、気の合うどうしじゃないと、おれはしないけどね。誰とでも見境なく食いあうって奴も、いるよ。そういうのはやめた方がいいんじゃないかっていう意見もあるみたいだけど、おれは、どっちでもいいと思う。(中略)たまに、合成する以上の量を、他人に食ってもらいたがる奴がいるんだってさ。すごいよね。だって、そんなことしてたら、いつかは自分がなくなっちゃうじゃないか。それでも、そいつらは食われることが快楽だっていうんだから、これはもう、他人の口をはさむところじゃないな。(p. 196)

ケアとか気遣いとか優しさというのは身を削って他人に差し出すものだと考えてしまいがちで、ゆえに与えるばかりで与えられている実感がないと疲弊しちゃう。けれどこの考え方は<優しさ>までもが労働と対価という資本主義的な価値観に取り込まれていることの表れであって…みたいな話をしているひとがいるらしい。詳しく聞けてないけど、ぜひ聞きたい。

きっと、そいつは、誰かに聞いてほしいんじゃないかな。自分の思ってることを。聞いてほしいけど聞いてもらえない時に、人は見知らぬものに呼びかけるんだと、おれは思うよ。その呼びかけを、おれはとらえる。光を浴びながら、夜露に濡れながら、吹く風を感じながら。(p. 200)

いいね。

人類とか世界とかは、つまりおれたちの集まりなんだろう。おれと、おれと、おれと、あんたと、あんたと、あんたの。人類のことを心配するんだとしたら、その中の自分のことだけ、心配してりゃ、いいじゃない。それだけじゃ足りないっていうんなら、そうだなあ、あとは自分が直接知ってる人のことを心配するのは、まあいいよね。
 で、自分と、自分のよく知ってる奴らが楽しくやってたら、それでじゅうぶんじゃない。それ以上のことになんて、手がまわらないし、手がまわると思ってるとしたら、そりゃちっとばかり、えらそうなんじゃない?(p. 202)

こいつの主張はわかりすぎるほどわかるけど、同意しない。手がまわらなくても目が届く、目が届くから気にかかる、そういうことが、ある。たとえ「えらそう」だと言われても、私はやっぱり「自分と、自分のよく知ってる奴らが楽しくやってたら、それでじゅうぶん」だとは思えない。それはここにある自分の幸せを謙虚に噛みしめることではなくて、そこにある他者の苦しみを狡猾に見て見ぬふりすることだと思うの。

「愛」「変化」

たたみかけるように面白くなってくる。ノアの視点でカイラを見たとき、私の愛し方はカイラに似て広くてたおやかだなと思ったのに、カイラの視点でノアを見たとき、私の愛し方はノアに似て狭くてかたくなだなと思った。

「運命」「なぜなの、あたしのかみさま」

そもそも私は、人格を剥奪された存在としての<母>について考えたくて、いまこの本を手に取った。
<母>なるものは無償の愛を与え続ける存在だ。「工場みたいなもの」(p. 23)と言われる<神>もまた、一方的に求められ、生み出し、与えることを期待される、極めて無機的で奴隷的な存在感である。

人間たちと同じ高さのところまでおりていって男と自然生殖をおこなうのと、人間たちよりも高いところにいて祈りを聞きつづけることと、どちらが楽なのだろうかと、レマは考えてみる。どちらも、できれば避けたいことがらだった。(p. 398)

「<母>になりたくない」という否定的な欲求は、一部の保守的な考え方のひとびとの前では口に出すことすら憚られる。しかしひとえに「<母>としての役割によって個人としての人格を剥奪されたくない」と説明を足せば、これは至極まっとうな欲求ではないか。
レマが<神>として信仰の対象とされることを嫌悪するのは、レマもまた人間であるからだ。

「あなたは、ほんとうに人間らしい人間なのよ。あなたは何かを生みだす。そして、生み出すものより多くのものを破壊する」(p. 308)

私は、できるだけいろんなものを破壊せずに大切にしたい。けれど私は人間であって、これまで多くのひとから愛されて、たくさんのものを与えられてきた。だから私もだれかを愛し、なにかを与えたいと思うけど、これからだって愛されたいし、与えられたい。均質で平穏な<母>になんてなりたくないのだ。

***

全体の読解とは別に、気になった部分を抜き出して感想メモ。

「私は、ちゃんと見守りができるでしょうか」
「できるよ、本来私たちはそういうことに向いた者たちだからこそ、この仕事をするようになったんじゃないか」(p. 39)

これ、文脈は大きくずれるけど、「見守り」の部分に別のさまざまなミッションを代入したら、応えのセリフは大きく勇気をくれると思った。

はじめてこの町に近づいた時に感じた、生物の気配。それと同じものをいちばん強く感じるのは、不思議なことに、人間たちが起きている昼間ではなく寝静まった真夜中なのだった。(p. 39)

これすごいわかる。ひとの、とくに母親の隣で眠る時にはよく思ってた。女は眠っている間、白くふくらむような気がする。私はどうだろう。やわらかい皮膚が甘い乳白色に腐敗して、ひと夜ごとに鋭さを失っていくと思うと、きりきりと考え続けなければ、とかたくなな心を握りしめたくなる。

「夏の夜明けに、あなたの名をもつ花が、音をたててひらくのよ」(p. 43)

このあとの数ページも含め、描写よい。

あんた、ほんとは、ちょっと不幸なんじゃない? おれは、不幸な人間には、近づかないことにしてるの。でも、あんたはおれの気をひくところがあってね。(p. 204)

人間みんな、ほんとはちょっと不幸なんじゃない?って、こいつの話を聞いてて思った。

あれは、男だったのか。想像していたのよりも、ずっと大きくて、熱量が高くて、危ない感じのものだった。あんなものを相手にしなければ、自然生殖はできないのだろうか。(p. 396)

未読だけど、水沢なお『うみみたい』は、「産むのがおそろいし、産まれたくなかった、うみとみみの二人暮らし」の物語らしい。
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の大前粟生さんと『N/A』の年森瑛さんがコメントを寄せてて、完全に帯を作った編集者を賞賛したくて買いました。
課題図書の数だけ希望と絶望が私の本棚を埋めてゆく…。

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