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三千世界の鴉を殺し主と朝寝がしてみたい

三千世界の鴉を殺し主と朝寝がしてみたい

高杉晋作

都々逸 どどいつ
人情機微や色恋情歌のことで七・七・七・五の定型詩のこと
江戸下町の心意気ってやつだね
僕は俳句や短歌よりダイレクトな表現と人間味があって好き

情歌ってのはクスッとさせてくれて良い
僕は色恋沙汰に関しては若干の上がりを決め込んでしまった感があって
たぶん生物学的には不能者に近いんだろうな
というのも色恋の享楽ってのは阿片みたいなもので
かれこれ過度な中毒者だった僕はずっと阿片窟に居た状態が長くて
太宰ではないけれど かなり痛い人生を送ってきました
まぁ恋愛というものは全部痛いと言ってしまえば痛いんですけどね

昔の人々は祭りでの性愛の享楽を神性なものに近づくものだったり
魂の部分的解放として昇華していった節があって
故に秘匿性が高く忍ぶものっていうのがあったんだけど
阿片的な中毒性を孕んでいる性愛を扱うってのには
適度な距離感をとるのは理に適っていたのかなと思う
だからと言って現代における一定の性の解放や淫らということを
批判するつもりは毛頭ない
だって卑猥で淫らなのが性愛なんじゃん
恥ずかしいことは何もない

そもそも羞恥心ができたのは
アダムとイブが禁断の果実を口にしたからであって
禁断の果実とは不法や不道徳、有害な快楽や耽溺を表す原罪のメタファーで いわゆる林檎のこと
その口にした後の林檎は僕たちが手にしているガラス板に刻印されている
故に僕たちは原罪を手にしながらどう贖罪してゆくかという話で
ぬくぬくとタイムラインで大喜利してる場合ではない

ちょこっと話が逸れたけど
僕が性愛からとつぜん距離を置いたのは
今までが接近しすぎたのか、それとも年齢的な枯れというものなのか
自分でもわからない
このあたりはその道のプロに引き出してもらうのがいいんだろうな
例の感染症とかいろいろあってまだお会いできていないが
時期が来たらメンタルひん剥かれる覚悟で挑んでみようかなと思う

アランは幸福論で「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ。」と言っていたが「愛があるからセックスするのではない。セックスするから愛があるのだ。」ってことはあるのかな

ところで下書きを含めると丁度この文章が1,000本目にあたるみたいだ
作成順で公開してはいないから記念すべき公開数には
ならないかもしれないけど
初期の文章とか覚えてないもんな
50くらいまでは覚えていたんだけどな
では丁度1,000文字で終わろうか



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