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愛を食べて生きている

昨日、自分の中でoh…という事が起こり、しくしくおよよと過ごし、絶不調の今日。

私は午後2時まで布団から出てこなかった。

気持ちが落ちてる時こそ掃除する!とか、楽しむ!とかできたら良かったのだけど、全てにおいて無気力を極めた。私はもうだめだ。


低空飛行で5年間続けてきたゲームのイベントを進めつつ、引きこもった中学時代に見た、懐かしいアニメを久しぶりに見る。少女漫画も良いものだ…。

私はもう知らん、もう、落ちるところまで落ちるんだ。しばらく上がってきません。3日程熟成させてください。

…という訳にはいかない。夕方からバイトだ。
内心、おあー…とゾンビの様に行ったら、気がついたら子供たちの遊びに巻き込まれ、いつの間にか仕事時間が終わっていた。子供ってパワフルだなぁ…。

最後の園児を見送って帰ってきた。そしたら、お家で母がご飯を作ってくれていた。

レンコンの天ぷら。カレー。お豆腐を衣で焼いたもの。

食べたら、美味しくて、謎に涙が出そうになった。



昨日は仕事中、感情的になってしまった。
きっと、私からは怒りの感情が漏れていた事だろう。大人気ない。保育士としてはアウトだ。昨日noteに書こうかと思ったけど、あまりにも暗くてうっとおしくてやめた。

事故に繋がりかねない、ふざけてやってはいけない事だった。注意を伝えようとしても、話を逸らそうとするばかり。なんとかお願いして聞いてもらった。とりあえず、伝えた。後はその子次第。それで良しとすれば良かったのに。

色々な経験をしながら学んでいく小さな子供に、ここまで心が乱された事実が、情けなくて、自分が嫌になりそうだった。


何故、心乱されたのか。自分の中の原因を探した。
そしたら、自分が子供の頃の嫌な思い出が、感情に引きずられて出てきた。

それと同時に、子供の頃はどうしようもなくて、理不尽な仕打ちの数々を甘んじて受ける事しか出来なかった事、誰も助けてくれなかった事を思い出した。

母親に対しても、憎しみや悲しみが湧いた。


でも、助けてくれなかったのは、あの時苦しめられるがままだったのは、きっと、私に価値が無いからじゃない。私が、軽んじられる存在だからじゃない。
その人はその人自身の人生を生きていたから。きっと、その人なりの苦しみがあった。それが、周囲にいた、幼い子供に向かっただけだ。

私が仮に、性格も容姿も違う別の誰かでも、場所が同じなら、きっと、扱いも同じだったのだ。

そう思う事にして寝た。びゃーびゃー泣いた。


そしたら今日頭痛いんだよ…。おうふ…。

だけど、母のご飯があること。母が生きていること。話せること。一緒にご飯を食べれたこと。語彙力無いから何と言えばいいか分からないけど、胸が苦しくなった。


私が求めた、理想の、完璧な愛ではなかったのかもしれないけど、確かに愛を貰っていた。

私は子供の頃から、毎日、愛を食べて生きてきたんだなぁ。


明日から、いつもの私に戻ろう。今回は、もう大丈夫。

人生、こんなときもある。繰り返さなければいい。

自分を許す事にする。相手もいつか許せたらいいな。


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