彼女と私の人生についての会話

先日の話。
大学時代の友人と会った。
はじめはお互いの家族の話や旅行の話などで盛り上がっていたが、
いつしか人生の話になり
最近会社を退職した彼女の話を聞いて、
自分も最近やっと進む方針を定めたことを話した。
これから新しく、もう腹を決めて己が道を突き進まんという気持ちで。
すると話の終わりに
「でも愚魔さんは、
きっとまたどっかで迷ってぶつかって、
真っ直ぐは進めないんだよ」
と彼女に言われた。私は思わず
なんでそんな事言うの?
と聞いてしまった。
彼女は両の人差し指をくっ付けては離す動作を私に見せながら、
「だってさ、
何度もこうやって壁にぶち当たっては
それまでの自分が壊れて価値観も壊れて、
まただんだん治ったりして
紆余曲折して迷いながら生きてきたのだから、
人間ってのは結局そうやって生きて
強くなってくんだよ」
と返してきた。
正直、
その場では彼女の発言にあまり共感できず「ん?」
となってしまい、曖昧な表情を浮かべて
お互いの顔を見合う時間が生まれた。

結論から言うと、彼女と私とでは、
これまでの人生の歩き方が全然違っていたために、
お互いの生き方の想像がつかなかったのだ。
と数日反芻してついさっきやっと気付いた。

私はいつでも猪突猛進で、
一度「こうだ!」と決めたら
迷うことなくとりあえず突き進み、
なんかあったらそん時考えればいいや
という考えを良しとして生きてきたので、
彼女の言う
“壁にぶち当たって
自分がぶっ壊れ
治ったり
迷いながら
生きていって強くなる”
不吉な予言のような返答が
全く理解できなかったし、内心恐ろしく感じたのだ。

対して友人は今までそうやって、
歩き始めては壁に当たり、
立ち止まってはその場で考えてまた歩き始めて…
という風に生きてきたのだろう。
思えば大学時代もそうだった。
どちらかと言えば完璧主義者で、
彼女はよく課題の作品制作の方向性や完成度に、
制作作業に取り掛かる前から長く頭を悩ませていた。
中々作業に取り掛からず、やっと決まったと思ったら、次の日に聞いたらまた気が変わっていたり、作りかけていたのに作り直していたり。
その代わり、
じっくり熟考した彼女の最終的に出す答えはいつもとても美しく、
余計なものが削ぎ落とされ至極簡潔であり、
彼女自身のように繊細な仕上がりであった。
だから人間の人生とはそういうものだと
捉えているのではなかろうか。
私は前述の通り、
こっちだと決めたら他に見向きせずひたすら突き進み続け、
障害物があったとしても立ち止まりはせずに
歩きながら正面突破するなり乗り越えるなり迂回するなり試みる。
作品制作も、なんとなく決めたらとりあえず取り掛かって、
作業を進めながら考えて整えていく感じだ。
作品の作り方と生き方は、
どこかに通づる点があるのかもしれない。

ともあれ、
愚鈍な私は私なりに
彼女の歩き方を少しは理解できたつもりだ。
夕方の駅前で別れた彼女とは、
少し違ったアプローチで私は歩いてゆく。
今度会ったときに、
その道中で起こった話をすることで
自分の歩き方を彼女に伝えられたらいいなと思う。

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