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幻のTOKYO2020開会式:新国立競技場オープニングイベント~HELLO OUR STADIUM~が予感させた東京オリンピック

まっさらな硬い座席の上で凍えながら絶望的な気持ちに陥っていた。2019年12月21日、ようやく新国立競技場が完成し、いよいよ迎える2020年の東京オリンピック本番直前の年末。ピカピカの会場を埋めた60,000人の観衆は、記念すべきオリンピックのシンボルのこれから迎える希望に満ちた未来を祝福していたはずだったー

新国立競技場にとって記念すべき初のイベントとなった「国立競技場オープニングイベント~HELLO, OUR STADIUM」は発表当初、出演者リストの目玉がウサイン・ボルトくらいしかおらず、ほとんどその存在も知られていなかった。現役を2年前に引退し事業家となったボルト氏を観るために、最も安い席で5,000円も払う人数が約7万人もいるはずもなく、最初の複数回の申込抽選でチケットは当選祭り。ところが11月中旬に入り、出演アーティストにDREAMS COME TRUEと嵐が発表されると事態は急変。チケット難民が続出する事となり取引サイトでは約30,000円の値が付く豪華イベントとなった。

建築を大学で学び、今も現代建築巡りが趣味のひとつである自身にとって、いち早く新国立を体感するため軽い気持ちで購入し、結果的に思いがけずプレミア化したチケットを握りしめ、駅周りに立ち並びチケットを求める多くの嵐ファンを横目に、当日真冬の新国立競技場に入場した。

その時はまさか宇野常寛の新著「遅いインターネット」(非常時に加速するSNSとハッシュタグによるオンラインデモが活発な今にピッタリなのでぜひ読んで)のロマンチックにも思えるこの記述に共感するとは思いもしなかった。

こんなものは壊れてしまえばいいのに、と。工事現場の前を通り過ぎながら、僕はいつも完成間近の新国立競技場が爆煙を上げて、燃え上がるさまを想像していた。『遅いインターネット』序章/第1章|宇野常寛

私は新国立競技場についてザハ案を切望していた。決定案のパースを見た時の興奮をすべて無にした、見直しに至る経緯も不満だったし、実現出来なかった都市・建築プロジェクトを取り上げた「インポッシブル・アーキテクチャ」展にて、膨大な数のザハ案の詳細な図面を見てその気持を新たにしていた。なので、国家プロジェクトとしての新しい新国立競技場を初めて体感できる楽しみな気持ちが半分、そして「どれ、実際に出来たものはどんなものか」という穿った気持ちが建築ファンとして半分あった。

一方で年間300~400回ほどイベントに通うコンサートオタクとして、国家規模のプロジェクトの新会場のこけら落としイベントでドリカム、そしてとりわけ国立という場所が特別な意味を持つ嵐(6年連続15回の単独公演開催はL'Arc〜en〜Cielの4回を引き離しダントツ1位)が初めて新国立で歌う現場に立ち会い、ついでにウサイン・ボルトも観られてチケット代が5,000円だなんてタダも同然の良イベントではないか?と胸が高鳴る気持ちもあった。なので冷静に、前のめりにこの会場に入ることが出来ていたと思う。

ところが、内容は散々なものだった。まずとにかく寒い。以前の国立競技場に対して形式上屋根があるので、多少は温かいかもしれないと期待した自分を叱りたい。参加されていた方の「キレイな西武ドーム」という評価を見て、頷いた。中央の吹き抜けから向かってくる冷たい風、そして背後から吹き下ろす真冬の風に約3時間も座りっぱなしの状態で晒されるのは辛い。

まず大前提がここからはじまるから、なにをやっても盛り上がらない。イベント内容以前にまず寒さとの戦いに頭を占有される。環境を予期して、アウトドアグッズに身をまとった参加者もいたが、それはごく少数で、初めて入る会場に対する事前準備を出来ていない人がほとんどであった。サプライズの進行MCで松岡修造が出てきたが、松岡修造でも熱くできない空気があった。これは衝撃的である。

だから序盤の「鼓動」によるオープニングアクト、東北の各地の祭りを披露する「東北絆まつりの特別演舞」では必死に盛り上げる松岡修造の煽りが虚しく寒空に響く記憶しかない。

続いてサプライズ・ゲストとしてキングカズ・三浦知良が登場し、アスリートとして初めてサッカーボールを蹴り込みピッチに足を踏み入れる。更にサプライズでリーチ・マイケル選手、中村亮土選手、田中史朗選手も登場。国立競技場の思い出を語るという、日本を代表するアスリートたちが登場しても、頭にまず浮かぶのは「寒い寒い寒い」である。豪華アスリートを召喚してもなお、松岡修造でも熱くできない空気があった。これは衝撃的である(2回目)。

そして60,000人の客席の多くが楽しみにしていた、コンサートコーナーがついに始まる。まずはドリカムが出てきて、「決戦は金曜日」「OLA!VITORIA!」「何度でも」と誰もが知るヒット曲を生バンドで披露。しかし用意されたのはグラウンドの隅に置かれた小さなステージだけで、大きな舞台装置があるわけでもなく、吉田美和もどうやら本調子じゃない様子で、大して盛り上がらず。

続いて、本日1番の目玉と言って良い嵐の出番でさえ、多くの嵐ファンの女性は立ち上がったものの、イベント終盤にすでにカチコチに固まった観衆を温めるには出番が遅すぎた。「Love so sweet」「Happiness」「A・RA・SHI」「BRAVE」とこれまた圧巻のヒット曲メドレーをフロートに乗りながら披露。まるで単独公演の様な演出も加わっていたのは特別感があった。個人的にも興奮した。ただその興奮も長時間の着席及び寒さによって抑え込まれていた。断っておくが、ドリカムも嵐も、ライブ自体は鉄板の曲を並べ、短いながらも楽しいパフォーマンスだった。悪かったのはイベント構成である。

今回、ただひとつ新しい現代の新国立競技場にふさわしい、意欲的な取り組みだったのは「ONE RACE」と呼ばれた、国籍や年齢や性別、障害の有無の垣根を越えて繋がれたリレー企画である。世界選抜(ウサイン・ボルトはここに参加)対日本選抜で争われたこのリレーは、新国立競技場の場だけではなく、リアルタイムでロサンゼルス、パリから走者がスタートし、空間を越えて今回のレースのためだけに設計された円形のバトンが最終的に新国立につながれるものであった。

「地域や国という垣根を越え、全ての人類がひとつになり、新時代の文化とスポーツの力を発信していけるような拠点」という競技場のコンセプトを体現した企画といえる。しかしインターフェースのデザインが大失敗であった。新国立で観る人にとっては、レースが始まっているにも関わらずトラックのレーンに抜けがある事や、他の会場の進行具合は直感的に伝わらなかった。これは致命的である。企画自体は意欲的だったのに、それがきちんと具現化されていない事に先が思いやられる気持ちとなった。

ここまでだったら、ただ工夫の無い、冗長なイベントだったな、次冬に来る時はきちんと防寒対策して来るようにしよう、で終わるのだが、私の口があんぐり開いて閉まらなくなったのは最後のサプライズだった。

ONE RACEが終わりイベント終了かと思わせて、ピッチの中央には丸いステージが出現。そこに浮かぶ2人のシルエット。最後のサプライズ・ゲストゆずの登場だ。そして始まる「栄光の架橋」。

この曲にはなんの罪も無い。2004年にリリースされ、NHK公式アテネオリンピックテーマ曲として、28年ぶりに日本体操男子代表が金メダルを獲得した時の名実況「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」と共に誰もが知ることとなった、日本のスポーツ史に刻まれた不動の名曲だ。

でもね、2020年のオリンピックを迎えるシンボルとしての新国立競技場の、開幕式の予行演習的なイベントの最後が、16年も前の曲で、それがその日1番の盛り上がりを見せるだなんて希望がなさすぎるのではないか。愕然とした。ゆずまで観られてお得な気持ちになった事は否定しないが、終始、新しい会場の幕開けにも関わらず、懐古的な演出が散りばめられていて、未来への展望や、このスタジアムをどうしていきたいかのビジョンも感じられなかった事に悲しい気持ちになった。加えてこの新国立競技場の建築物としての無個性ぶりが輪をかけて悲壮さを増した。

新国立競技場が燃える想像をした宇野常寛氏は、被害者意識に駆動され、次から次へと瞬く間に誰かを吊し上げ、叩くことに夢中になる人々を憂い、人々が批判ばかりを求め対案を求めず、否定の言葉だけが人間を繋ぐ。それが今の日本社会の身も蓋もない現実だと痛感しながらこう続けた

「その象徴があの新国立競技場だ。長期的な都市開発のグランドデザインをもたないまま、メインスタジアムとしてザハ・ハディドの設計による国立競技場の建て替えを決定し、その膨大な予算額が世論の批判を集めて葬り去られ、「多少の」予算の圧縮を実現することで隈研吾の極めて無難な設計が採用されて建て替えが実行される。」「長期的な思考の欠如による根本的に安易で、空回りしていて、その上実現すら危ういどうしようもない(無)計画が前提として存在して、その杜撰な計画がその場その場でのちょっとした空気に左右されて、『修正』されていく。そしてそのすったもんだの中で根本的な問題設定の間違いは正されないまま放置されるのだ。」「あの新国立競技場は、かつての戦艦大和のようなものだ。もはや時代遅れの無用の長物でありながらなけなしの、しかし膨大な資源と人員と予算を投じて建造された帝国海軍の象徴としての巨大戦艦は事実上なにひとつ戦果を上げることなく、沖縄の海に沈んでいった。あの決定的な敗戦から70年と少し。この国の人々は再び大和を建造してしまったのだ。」
『遅いインターネット』序章/第1章|宇野常寛


イベント構成の空虚さも去ることながら、新国立競技場の建築自体にも希望を持てずにいた。非常にWELL DONEな建築である事は否定しない。綺麗にまとまっているし、当初ザハ案において散々非難された周囲の景観とのバランスもよく取れている。

屋外からの木材の見せ方は上品だが、夜の場内ではほぼ存在感が無い。何より、この建築のシンボルとなるようなものが何も無い事が絶望的であった。良く例えるとして無印良品の競技場だと感じた。こう書けば聞こえはいいが、オリンピックの中心的建物の中に、パッと見て印象として残るものが無いというのは、ビジョンの無さを自ら露呈するようなものだ。世界中からこのスタジアムに集まった人々、及び何億もの人が開会式等で中継を通じて観るこのスタジアムがこの建築物を通して何かを持って帰れるとは思えなかった。

こうして振り返っていくと、実はこの新国立競技場のオープニングイベントにおいて最も祭典の場としてふさわしいのは、東北のお祭りが一堂に会した「東北絆まつりの特別演舞」であったかもしれない。実際の開会式でも似たような演出が入ることは想像に難くない。(ただ個人的にはももいろクローバーZがこのアプローチを『ももクロ春の一大事』にて取ってきていたため既視感は否めない。ももクロやっぱ凄い)。巡り巡って、最もこの新国立競技場のオープニングイベントにおいて、独自性あるコンテンツだったのは、スポーツでもエンターテイメントでもなく、歴史・文化を象徴する伝統的なお祭りだったというのは皮肉な話である。


残念だけれど僕たちはこうした青写真を、未来への展望を一切もたずに2020年の夏を迎えようとしている。そして、それが巨大な茶番であることから誰もが目をそらそうとしている。だから僕はあの新しい国立競技場を目にするたびに思うのだ。こんなものは壊れてしまえばいいのに、と。『遅いインターネット』序章/第1章|宇野常寛

新国立競技場が崩壊する景色までは私は浮かばないが、ビジョンなきTOKYO2020だという事、何も無いまま2020年の夏を迎えようとしていた事は、吹き付ける冬の風の下で行われる茶番劇だけ見ていても充分に予感させるものだった。松岡修造でも熱くできない空気があった(3回目)。

そして皆さんご存知の通り、よくも悪くもこれが新国立競技場での現段階でのオリンピック関連の最初で最後のイベントなった。あのままオリンピックが開催されていたかと思うとゾッとする。

せっかく準備期間が伸びたのだ。再考するチャンスである。東京、日本にとってだけでなく、スポーツ会、引いてはアフターコロナの新しい大型イベントの象徴として、世界規模でグランドデザインを描きTOKYO2020を世界に発信するための時間的猶予が生まれたのだ。大義なき大会に、世界がわざわざ意味をもたせてくれたのだ。1年後の夏、2021年の夏が東京にとって実りある熱い夏になることを祈って。


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