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アマビエと仏教 (浄土真宗)

今更感が否めませんが、
『アマビエ』についてお話したいと思います。

何となく言いたいこともうわかったよとおっしゃるお方が殆どかと思いますが…。

まず「アマビエ」とは、

『伝説の半人半魚・妖怪で、海中から光輝く姿で現れ 豊作・疫病などに関する予言をする』

存在だそうです。

弘化3年(1846年)5月上旬、
すなわち江戸時代後期の肥後国(現・熊本県)で毎夜、海中に光る物体が出没していたため役人が赴いたところ、それが姿を現したそうです。

その者は、役人に対して

「私は海中に住むアマビエと申す者なり」

と名乗り、

「当年より6ヶ年の間は諸国で豊作が続くが疫病も流行する。私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ」

と予言を告げ、海の中へと帰って行ったのだそうで、この話が挿図付きで瓦版に取り上げられ、遠く江戸にまで伝えられたそうです。

今、新型コロナウィルスが全国に拡散されてしまった恐ろしい状況下、

この昔の説話が思い出されたのでしょう。このお話と共にスマホ画像などでアマビエの絵が広まっているようです。

実はアマビエの「…早々に見せよ」の言葉の続きが伝えられていません。

どうなるのか気になりますが、一般的にはこの絵を見れば疫病が収まるのだと思いたいところです。

絵でコロナウイルス感染が収まる…そうだといいですが、そうもいかないですよね。
 
『そんなことはわかってる。わかってるけどこんな絵にだってすがりたいくらいの気持ちなんだよ』

とおっしゃることでしょう。

お気持ちわかります。
僧侶だって人間なのですから。

でも、絵を見て心の落ち着きを得られるその「心」は、もし誤って画像を消去してしまったら、いや感染が終息してから

「そういや、昔こんな絵をダウンロードして眺めてたなあ…ハハハ。もう要らないだろう…削除しよう…イヤ待てよ。この絵削除しても大丈夫なんだろうか…やっぱ残しとこ」

の「心」です。

 次の最新型iPhoneに買い換えても、画像を引き継いでしまう心です。

『ちょっとした気休め』
はそのまま
『ちょっとしたことが気になり、心配になってしまうこと』

と同義です。

『ちょっとしたことで安心できる心』は

『ちょっとしたことで不安になる心』です。

親鸞聖人が

『かなしきかなや道俗(どうぞく)の 良時吉日(りょうじきちにち)えらばしめ
  天神地祇(てんじんじぎ)をあがめつつ 卜占祭祀(ぼくぜいさいし)をつとめとす』(御和讃)

と著されたのは、

「占いを利用してより良い暮らしを求める心が、実は自らを縛り、不安に陥れることになるという事実」

を私にお伝え下さったのだと味わいましょう。

長々と書き連ねてしまい申し訳ありません。

御読み頂き有り難うございます。

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