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精神科電気けいれん法(ECT)体験記ー強迫、双極症ー 闘病記【41】

6度目の入院

前回は病気が悪化してどうにもならなくなったところまで述べました。今回は大学病院で精神科電気けいれん法(ECT)をしたことを述べたいと思います。

かかりつけの医者からECTをやっている大学病院を紹介されました。私はこの時、ECTで病気がよくなるものだと思い込んでいました。長いうつ状態から解放されるものだと決め込んでいました。
家族も新しい療法に期待をしていました。

診察

大学病院に入院したのは冬でした。
まず医師に紹介状を渡して診察が始まりました。私の担当は若い女性でした。いろいろと聞かれましたが診断はやはり双極性障害Ⅱ型でした。

ここでも強迫症についてはほとんど聞かれませんでした。とにかく双極性障害Ⅱ型のうつを治すのだということでした。

これはたまたまなのですが、大学病院は病室をリニューアルするということで差額ベッド代を支払わなくても個室を使用することが出来ました。
私と家族は喜びました。
しかし今になって思うとそれがよかったのか悪かったのかは分かりません。

リボトリールを抜く

そして入院生活が始まりました。その頃はコロナの影響でお見舞いが禁止されていました。私は事前に本を用意して入院しました。それでも病室でずっと一人で寂しかったので、毎日家に電話をしていました。

入院してまずしなければならなかったのは、ECTに弊害が出る薬をやめるということでした。リボトリールを抜かなければならなかったのです。

リボトリールは抗てんかん剤なので使用することができなかったのです。私はまたリボトリールを抜くという地獄の苦しみが始まるのかと思って恐怖に打ちひしがれていました。

しかしなぜかは分からないのですが前回入院した時のような離脱症状は起こらなかったのです。

以前の断薬の時とは体の反応が違っていました。断薬は同じ薬でもその人の体調や他の薬との兼ね合いで離脱症状は変わってくるのだと思います。くれぐれも断薬をするときは医師の指導の下で行ってください。

不確かな記憶

しかし今になって思うと離脱症状があったのか、なかったのか良く覚えていないのです。そもそも入院した頃は意識がはっきりしていなかったのだと思います。

また後で述べるようにECTは記憶障害を起こします。そのため入院中の出来事をはじめ、あらゆる記憶が確かではないのです。

今こうして過去のことを思い出して述べていますが、記憶障害のリハビリも兼ねているのです。

頭がおかしい

さてECTを行う日が近づいてきました。ECTに向けて私は大人用のおむつを買いに行かなければなりませんでした。

病院内の売店で買ったのですが、すごく恥ずかしかったことを覚えています。

また病室でずっと一人だったので頭がおかしくなってきました。小説を読んでいたのですが、どこの話かすぐに分からなくなるのです。一度読んだはずのところを何回も読んでいました。

また毎朝パンが出されたのですが1枚だと少なくて2枚だと多かったので自分で調整していたのですが、パンの量がよく分からなくなってしまって看護師さんに泣きついてしまいました。

リボトリールの離脱症状はなかったのですが、前の入院で断薬をして以来、ずっと頭の中がおかしな感じがしていました。

教授回診

余談ですが大学病院では白い巨塔のように教授回診がありました。私はその雰囲気にのまれてうまく話すことができませんでした。

ECT

ECTの前日には認知症の検査をされました。先ほどから述べているように、私は頭がおかしくなっていたので全然覚えられませんでした。看護師さんは「緊張しているのですね。そういうこともあります」と言ってフォローしてくれました。

病室ではしゃべる相手がいないですし、一日中何もすることがないのでなおさら頭はおかしくなっていました。

さてECT当日は手術と同じような感じでした。おむつを履いて準備して行きました。

すぐに麻酔で意識がなくなったため知らないのですが、私は暴れ回って大変だったということです。

こんなに暴れる人は見たことがないと言われました。よっぽど私はECTとの相性が悪かったのでしょう。

さて合計6回ECTをしたのですが、だんだんと手術前に麻酔を一口吸うと意識が飛ぶということが分かってきます。

「この息を吸い込むと意識が飛ぶ」と思うとすごく怖くなりました。一口吸って、気づいたらすぐに自室のベッドの上です。

これが繰り返されて恐ろしい思いをしました。途中で高熱が出てコロナ疑われました。しかし陰性で、高熱の理由は分かりませんでした。一回お休みをしましたが、順調に6回を終えました。

担当の医師は成功だと言っていました。これでうつ状態から解放されると思いました。

でも自分の感覚としては何も変わっていないと思いました。

記憶障害

さて終わってから認知症の検査をしたのですが、全然答えられませんでした。昨日のことを思い出そうとしても頭が真っ白で思い出せないのです。

家族の名前は覚えていましたが、病院の名前などは忘れていました。医者からは記憶障害だと言われました。時間が経つと戻ってきますと言われましてが、未だに思い出せないことがあります。

特にECTでの入院のことはほとんど覚えていません。覚えているのは作業療法士の方がとてもかわいらしい方だったということです。その作業療法士さんとは、自分は頭がおかしい人間だと思っていたので必要最低限のことしかしゃべれませんでした。

ここまでずっと読んでくれている人には申し訳ないですけど、女性関係のいざこざは今回ありません。

さてECTが終わってからリハビリをしました。具体的には作業療法をしました。簡単な編み物や革製品を作りました。私は手が不器用でそういったことは苦手なのですが、なぜか一生懸命できました。ECTで変わったことと言えばそれくらいでした。なぜか少し温和になった気がしました。

それからも診察をしていったのですが、医者はECTが成功して、うつが治ったと言っていました。私は相変わらず頭がおかしかったので、そういうものかなあとぼんやりと思っていました。

退院

退院する日は大雪でした。そんな中、父親と母親が迎えに来てくれました。やっと帰れると思って安心しました。

ところが家に帰ると不安に襲われました。入院しているときと状態が一変しました。入院中はおだやかに過ごせたのですが、退院するととにかく不安でいられなかったのです。

そこで頓服であるロラゼパムを飲んでしのぐことにしました。この時は家で家族とパズルをすることが精一杯でした。

外を歩こうと思うのですが不安で出来ません。母親についてきてもらって、やっと少し外に出られるというぐらいでした。
非常に疲れやすく、歩いてくるとすぐに横になって休みました。

医者にて

どうにもならないので前からかかっている地元の医者へ診察に行った時に頓服以外にもベンゾ系を出してくださいとお願いしました。

医者は大学病院からの紹介状の内容と目の前にいる私の状態が違っていることに驚いていました。紹介状にはECTは成功して、うつは治ったと書いてあるのに、目の前の私は不安に打ちのめされてうつ状態だったのです。

私のうつは全く治ってなどいなかったのです。ECTは記憶を失っただけだったのです。

医者は困り果てました。もう何をやってもだめだと諦めていました。

私はその時ぽつりと「強迫症と不安がひどくてつらいのです」と訴えました。

そうすると医者は「これを試してみますか?」と言って、ある薬を出してくれました。
これが私の人生を変えることになるとは思いもしませんでした。
次回、「救世主が現わる!」です。

精神科電気けいれん法(ECT)は科学的に効果が実証されています。今回の記述は全く個人の感想です。私の場合は単に相性が悪かっただけだと思います。今ECTが見直されていると聞いています。どうやっても治らないうつの方は医者に相談し、ご検討されるのも一つの選択肢かと存じます。


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