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坂道を転げ落ちる前兆「幸せ」な生活ー強迫、双極症ー 闘病記【37】

退院後

前回は事業がうまくいき、彼女(以下Mさん)の体調も良くなってきたにも関わらず、私の病気がひどくなり、入院したところまで述べました。今回はその後について述べたいと思います。

私は退院してから、また入院前の生活に戻りました。いつも入院すると病気はよくなるのです。

この時は自分がいろいろと無理をして入院することになったことを深刻に受け止めていませんでした。今になって思えば一旦立ち止まることが必要だったのです。

結婚

そして退院してからも事業はうまくいき、二人が食べていくことが出来るくらいになりました。そして遂にMさんと結婚することになりました。

自分は「幸せ」な状況なのだと思いました。仕事は出来ているし、結婚もしました。これが世間で言うところの「幸せ」なのだと思いました。

確かに事業がうまくいっているので、仕事は楽しいと思うこともありました。
またMさんと過ごす時間も楽しいときが多かったです。

悪化する強迫症

しかし病気が私を楽にはしてくれませんでした。

特に強迫症はひどくなりました。前から述べているように、私の場合、強迫症は物事がうまくいくと悪化するのです。うまくいっていることを失う不安で症状がひどく出るのです。

この時は事業がうまくいっていましたし、Mさんとも結婚することができました。従ってそれを失う不安はどんどん大きくなりました。さらに、何の根拠もないのにお客さんからクレームが来るのではないかと思ってひやひやしていました。

また自分の人生がうまくいくなんてあり得ないと思っていたので、うまくいっていることそのものが不安でした。とにかく強迫行為を必死でしていました。

双極症

また双極症もよくはなりませんでした。どんなに充実した日々を過ごしてもよくなりませんでした。

一週間のうち二日は必ず寝込んでいました。寝込むと言っても楽に寝られるわけではないのです。本当に気分は落ち込みます。何もやる気がしません。つらくて寝ているしかないのです。自分は生きていて意味のない人間だと思います。仕事もパートナーも全部投げ捨てたくなります。

Mさんがいくら心配しても、介抱してくれても何も変わりませんでした。パートナーがいるからと言って病気はよくなるものではなかったのです。

二人分の責任を持っているから、がんばらなくちゃと思ってもうつ状態には勝てません。

楽しい時間が多くなってもうつ状態になる頻度は変わりませんでした。もちろんこの間で楽しい思い出もあります。生きていてよかったと思うこともありました。

自分の力ではない

しかしこの状況は自分の手で作ったものではありませんでした。霊媒師のおかげだと思っていました。霊媒師がいなければパートナーを得ることも出来なかったでしょうし、事業もうまくいっていたかは分かりません。

「幸せ」を手に入れたはずでしたが、自分で手にしたという実感がなかったのです。これからは自分の力でやっていかなければならないと強く思いました。

私は「幸せ」な状況にも関わらず、焦っていましたし、病気を含めて内心苦しかったのです。

霊媒師

霊媒師は私の状況がよくなっていたので、それに伴って病気も良くなると思っていたようでした。

私はなんとかして病気がよくならないものかと霊媒師を問い詰めました。また、病気がよくなるなら何でもやると言いました。

しかし霊媒師からは芳しい答えは返ってきませんでした。

どんなに物事がうまくいっても、週に二日はつらくて寝込まなければならないという現実は、私をいらだたせました。そしてひどくなる強迫症。どんどん確認行為は増えていきます。それにもいらだっていました。

営業活動

いらだっている私に霊媒師は営業活動を勧めました。友達を作りなさいという意図だったと思います。

具体的にはMさんのアイテムを取り扱ってくれる店を探すということでした。私は近くのカフェなどを巡ることにしました。いろいろな店を回りました。

すると置いてくれる店が何件かありました。手頃な価格帯のものを提供していたのでそれがよかったのかもしれません。

そして、Mさんの商品を話の種にして店主らと話をしました。個人事業をされている方が多かったので話は盛り上がりました。

自分で言うのもなんですが、営業は得意でした。三人以上で話をするのは苦手ですが、一対一でしゃべることは得意なのです。

そもそも大学の時にはバーテンダーをやっていたぐらいですから、話をすること自体は苦手ではないのです。そしてHSP気質なので人の気持ちを察することも得意でした。

イベント出店

そうして委託販売先を見つけてきました。そうやって人と関わっているといろいろな化学反応がありました。

各方面からイベント出店の誘いが来るようになりました。また一緒にイベントを企画するようにもなりました。

あるお店では一緒に婚活パーティーを開いたこともありました。私は地域の集まりにも出るようにしました。とてもがんばって活動しました。

霊媒師も私の奮闘ぶりに驚いているようでした。

やはり病気

ところがここでも病気が私を放してくれはしませんでした。一週間で二日は寝込んでしまうことは変わらなかったのです。

地域の集まりやイベントは日が決まっています。そこに体調が合わせられないのです。

最初は大目に見てくれました。それでも二度三度となると信用問題になってきます。

私は本当に自分が嫌になりました。うつ状態の時の落ち込みが激しくなりました。他人に迷惑をかけているので自責の念は強くなりました。

子供について

ところで私は結婚しましたが、一度たりとも自分たちの子供について考えることはありませんでした。子供に自分と同じ思いをさせたくないと思っていたからです。

病気の遺伝について考えていました。精神病の要素は遺伝が100%ではないと言いますが、関連がないとも言い切れません。

こんなに苦しい強迫症を誰にも味わって欲しくないと思いました。強迫症は本当に地獄です。

また週に二日も苦しくて起き上がれなくなるということも誰にも味わって欲しくなかったです。

本当にこの頃からは死にたいという気持ちも出てきていました。子供にこんな苦しい思いをさせられないと思いました。

凋落

そうしている内に事業もうまくいかなくなってきました。私は焦りました。なんとか事業を継続させなければいけないと思って、あらゆる策を講じました。

販路拡大、広告、コンサルの導入など矢継ぎ早にいろいろと試してみました。しかし中々うまくいきませんでした。この時には焦りが強くて冷静な判断が出来ていなかったのです。

また経営者として大局的に物事を見ることが出来なくなってきました。霊媒師にも相談しましたがよいアドバイスはありませんでした。

地域活動などに参加したことも仇になってきていました。一旦付き合いを始めると簡単には抜けられません。事業はうまくいかない上に地域活動は負担となっていきました。

こうして坂を転げ落ちるように私の人生は「不幸」へと転じていくのです。

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