日本的霊性ー強迫、双極症ー 闘病記【33】
双極症と強迫症
前回は会社をクビになったところまで述べました。今回はその後の生活について述べてみたいと思います。
突然に職を失った私は途方に暮れました。また労働基準監督署との折衝などで精神的に疲れ果てて、何もする気が起きませんでした。
気分の落ち込みが激しく、寝てばかりいました。
さらに会社に行っている時より落ち込む頻度も増えました。
一週間まともに起きていることが出来なくなりました。
明らかに双極症は悪くなっていました。
一方、全てを失っても強迫症は良くなりませんでした。以前述べたように、物事がうまいこといっている時は、何か失うのではないかということで不安が大きくなり、強迫症はひどくなります。
その論理でいけばあらゆるものを失った場合、失うという不安がないため強迫症はましになりそうです。
しかしこの時点で17年間続いていた強迫症は良くなることはなかったのです。
お寺での隙間風
さて一日中特にすることがなくなったので、またお寺に通うことにしました。しかし、前のように門法に一生懸命になれません。
心のどこかで仏教の力では病気がよくならないのではないかと思い始めていたのです。
確かに話を聞くと心が楽になることもあるのですが、すぐにその感覚は消えてしまいますし、もう前ほどの感動はありませんでした。
ちょっと真宗の話に飽きたという面もあったのかもしれません。
それとお寺に通っても仕事が出来ないという現実は変わらないですし、心が満たされることはないということにいらだっていたのかもしれません。
とにかく「普通」に仕事をしなければいけないという考えにとらわれていたのです。
お遍路での出会い
ちょっと話は前後しますが、私がまだ仕事をしているときに、父親が趣味でお遍路さんをしていました。
歩いていると、道中である人(以下Kさん)から声をかけられたそうです。
Kさんは父親に向かって「あなたの首に天狗がついている」と言ったそうです。
父親は最初おかしなことを言う人だと思ったそうですが、自分がその頃首が痛くて困っていたため、Kさんの話に興味を持ったそうです。
いろいろと話をしていると、その人は霊的なものが見える人だということでした。平たく言うといわゆる霊感があるということでしょう。
それから天狗を取る方法を教えてもらい、いろいろと話をする内に、仲良くなって連絡先を交換したそうです。
儀式
そしてお遍路から家に帰ってからKさんが教えてくれた天狗を取り払う儀式を開始しました。しばらく続けると本当に首の痛みがましになったそうです。
父親はKさんの言うことは当たっていたのだと思ったということです。
そしてその顛末を私たちに話しました。私たちはミーハーなので、その話に興味を持ちました。
そしてKさんが住んでいるところが、たまたま近県だったので、家族みんなで訪ねることにしました。
私の病気がよくならないのは何かが取り憑いているのではないだろうか。もしそうならばKさんに見てもらって、取り憑いているものを取り払ってもらおうということになりました。
父親は元々霊的なことを信じる人ではなかったのですが、首の一件があるので俄然乗り気になっていました。
私も病気がよくなるなら何でもよかったのです。
Kさんに見てもらう
そして家族でKさんの家に行きました。私はKさんにじっくり見てもらったのですが、何もついていないと言われました。
家族は何かが取り憑いており、何らかの儀式をすれば病気が良くなると思っていたので、非常に残念がりました。
私もその気になっていたので非常に残念に思いました。
出羽三山の修験道
そしてKさんに私の病気の顛末について話をしました。するとKさんは「今、日本に三人見える人がいる。その一人は私が世話になっている山形の出羽三山で修験道をしている人だ」と言いました。
何も知らない私たちは出羽三山で修験道をしているという言葉に圧倒されるものを感じました。そしてKさんにその山形の人を紹介してもらうことになりました。
何をしても病気がよくならない、仕事もうまくいかない。お先真っ暗な私たちは、霊的な力にかけてみることしか出来なかったのです。
そして家族会議を経てKさんの紹介で山形にいる修験道の人を訪ねることにしました。
さて何回か私は新興宗教が嫌いだと述べましたが、その一方で霊的なものの存在には弱かったのです。
霊的なものの存在を一切信じない浄土真宗の話を聞いていたにも関わらず、病気が治るためだったらなんでもしようということになったのです。非常に弱い人間だと思います。真宗の話をまともに聞いていなかったのでしょう。信心がなかったのです。
また修験道だと言われると何かすごいパワーを持っているのではないかと思ってしまったのです。
病院にいくらかかっても、薬をいくら試しても病気がよくならないので最後の神頼みのような感じでした。
いざ山形
そして山形に向かうことにしました。家族4人で久しぶりの旅行でした。
車で6時間ほどかかりました。父親と姉が交代で運転しました。
その頃私は車を運転できないほど状態が悪かったのです。
さて着いてみるとそこは山の中でした。出羽三山の一つである羽黒山の麓に泊まりました。次の日の朝早く父親は羽黒山に登ってきたそうです。
そして遂に修験道の人と会いました。厳めしい感じの人でした。修行を続けていることが分かる雰囲気でした。
そして病気のことを言うとおもむろに水晶を取り出し、パワーをもらっていました。
そして「35歳になるまで海で太陽に当たりなさい。それ例外は何もしなくていい」と言われました。
その当時私は30歳だったので5年間、海で太陽に当たることをすすめられたのでした。
ちなみに霊的なものは何も取り憑いていないということでした。すぐには良くならないけれど必ず良くなると言われました。
その言葉に勇気づけられて、家族みんなでお参りをしてから帰ることにしました。
海へ通う
そして次の日から私は海に通うことにしました。しかしそもそも私はボーッとすることが苦手でした。ただ海にいるのはすることがなく、苦痛を覚えました。
仕方ないので次の日から本を持って行くことにしました。それでもずっと海にいるのはなんだか落ち着きません。
だんだん海にいることに飽きてきました。そして毎日海に行くことがつらくなって来ました。
そして毎日海に行っていたのですが何の効果もありませんでした。そしてまた体調が悪い日が増えてきました。
寝込むようになったので海へは行かなくなりました。海に行くという単純なことさえ継続できなかったのです。
何をやってもうまくいかない
この頃は一週間で二日は寝て過ごしていました。一週間調子が良い状態が続くことはありませんでした。
自分が何をしているのか分からず、とても苦しい思いをしていました。仕事はできないし、彼女もいない。友達もいないし趣味もない。途方に暮れました。
このまま生きていていいのか分からなくなりました。
そしてどうしようもなくなった私は自営業をしようと思いたちました。
一人でやる仕事ならば出来るのではないかと思ったのです。
一年間ですけど自分で店をやっていたので、そのノウハウを活かせないものかと思ったのでした。
しかしまずお客さんを探さなければいけません。親戚関係でなんとか仕事をもらうのですが、どれもうまくいきません。
コンサルのような仕事は私には向いていませんでした。がんばってもとてもご飯が食べられるようになるとは思えませんでした。やはりこの時も焦りが強かったのです。
婚活へ
仕事がうまくいかないこともあり、プライベートでは婚活に行ったりしました。しかしまともな仕事をしていないので誰からも相手にされません。
本当にどうしたらいいのか分からなくなりました。もう生きていてもどうにもならないと思いました。
病気は治る気配はありませんし、仕事をしようにも週に二日は寝ていなければならないのではとても出来そうにありません。
どうしようもないと思いました。いっそ死んだ方が楽になれると思い詰めていました。
そんな時に婚活で出会った女性と連絡を取り合うことになりました。その女性も仕事でつらい思いをしていました。つらいもの同士で話が合いました。
そして付き合うことになったのです。
私はその時生きていてもしょうがないと思っていました。それでもその女性は私を必要としてくれました。
私は必要とされていることがとてもうれしかったのです。
自分も生きていていいのだと思うことが出来ました。
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