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雨に濡れたコンクリートの匂い

頬を雨がかすめた。
程なくして雨に濡れたコンクリートの匂いが立ち上って鼻腔を刺激する。

匂いは記憶のトリガーだという。コンクリートの匂いは、雨に濡れて輝いたその色は、私の中に長く隠れていた記憶を呼び覚ました。そう、雨の中でコンクリートの上を一生懸命走っていたあの日々である。

僕は中学校に入り陸上部に入った。部活動体験で色々な部活に行ったが、結局は部活の内容よりも先輩や同級生の人柄で陸上を選んだ。あわよくば体育祭で人気者になれたら、という邪な気持ちがあったことも否定できない。

思えば何故あんなに部活に一生懸命だったのだろう。別に叶えたい目標があるわけでもない、大会で賞をとってひとつまみの自尊心を満たしたい訳でもない。自分でも訳がわからないまま、具体的に定められているわけでもないゴールを目指してただガムシャラに走っていた。

今振り返れば、きっと走ることが好きなのではなくて、一緒に走ってくれる仲間がいることが好きなだけだったのだ。仲間と走った後に、学校近くのスーパーでアイスを買って食べるのが好きなだけなのだ。そんな直視に堪える現実を振り切るかのように僕は走り続けた。

走り続けた。ただ走り続けた。惰性で走っていたはずだが、いつしか誰よりも走ることを好んでいた。
入部時は一番足が遅かった自分は、気づけば上位に食い込むようになっていた。

「お前、次の大会で1走頼んだぞ。」

顧問から1走を走るように言われたとき僕は耳を疑った。自分がリレーのメンバーに入れるなんて夢のまた夢のことだと考えていたからだ。
同時に、今まで靄がかかっていたゴールが初めてくっきりと見えた気がした。それは白線で地面に引かれたゴールではないが、けれども強く心を惹かれるゴールであった。

その日のクールダウン。カラスはいつもよりうるさく鳴いていたのを覚えている。それはまるで自分の輝かしいスタートを応援してくれるかのようだった。

本番当日、今までに感じたことのない緊張が自分を襲った。アップで走りながら「責任」という重さを肌身に感じたのはこれが初めてだった。

だがアップで走っているうちに身体に纏わりついて離れない「責任」という足枷は気づかぬうちになくなっていた。それはハードな練習をこなした自分への自負と、仲間への信頼がそうさせたのだろう。

本番30秒前、俺はスタートラインに立って考えていた。足枷はいらない。重りもいらない。100m先に見えるのはゴールだけ、そこに障害物はない。希望が詰まったバトンを次の走者に渡せばよい。希望は語り継がれて行く。もう迷いはなくなった。

・・・・・・

「パンッ!!!!!!!!!!!!」






俺はフライングをした。

会場に500人くらいいただろうか。500人の緊張を無駄にした。500人の1分を無駄にした。周りの冷たい目線が辛かった。

確実にフライングした実感があった。でも振り返るのが嫌でもうそのまま走ってやろうかと思った。

大会帰りの道には、雨が降っていた。雨に濡れたコンクリートの香りが、鼻を刺激した。家に着いたら熱いシャワーを浴びてご飯をもりもり食べて15時間くらい寝た。

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