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国語を好きになった、たった一つのできごと

高校時代の夢を見た。正確には、高校時代に通っていた塾で出会った恩師の夢を。

私は親に言われるがまま、塾に通っていた。
退屈な授業。学校の授業と合わせれば実に10時間ほど勉学に費やす。

たまらない徒労感。一体これが何の役に立つのだろう。
ずっとそう思っていた。

ただ、現代文だけは違った。
いくらやっても飽きることはなかった。
恩師に文章を読み解き、理解し、思考することの面白さを学んだからだ。

―正解はなく、模範解答しかない。
0と1のグラデーションの思考のなかで、限りなく1に近い場所を探求する。

そう教えてくれた恩師とは、この退屈な塾で出会った。

師は私塾を経営しつつ、大手の塾に出向講師として働いていた。
私と師はその大手の塾で出会った。

私はその塾では英語を習っていた。
英語の授業が終わり、帰ろうと廊下に出ると隣の教室はまだ授業中だった。
どうやら現代文の授業のようだった。

先生が楽しそうに活き活きと、生徒たちに語りかけるような授業スタイルが印象的だった。
こんな先生が居たんだな、と私は興味を持った。

私は師の授業に引き込まれ、自然と自分の顔が笑っていることにハッとした。
廊下から覗き見る形で授業を見ていると、師と目があった。
師はにっこりと笑いかけてくれ、目で「見てっていいよ」と促してくれた。

私はなんだか恥ずかしくなってしまい、
「帰る時間だから」と、腕時計をちょんちょんと叩く素振りをしてそのまま退席してしまった。

ほどなくして、その塾は経営難のため閉鎖してしまった。
そこで英語の先生と国語の恩師が結託して、私塾を推薦という形で転校することになった。

親は「ついでだから国語も」と、抱き合わせ商法に釣られる形で塾の時間を増やした。
拘束時間は増えたが、悪い気はしなかった。

師の授業は面白かった。私がトンチンカンな回答をしても面白がって
「なるほど、そういう視座もあるのか」とクソ真面目に自分なりの考えを返してくれる。

そのやり取りがたまらなく楽しく、自分ももっと考える癖をつけて師とのやりとりをより一層深化させたいと考えるようになった。

師は最初、私のことを覚えていないようだったのは少し淋しかった。
しかし大学進学を前にして、思い出してくれた。

「1年間君の成長を見て思い出したけど、あの時授業を見ていたのは君だったんだね」

正直嬉しかった。
私が国語を好きになったのも、
こうして思案を巡らせ言語化することに喜びを感じるようになったのも、
あなたがその楽しみを教えてくれたからだ。
私と師しか知らない、出会いを覚えていてくれたのが嬉しかった。

「大学受験が終わって一段落したが、これから先も君が考えなくちゃいけないことは沢山出てくるよ。
その時はここで学んだことを少し思い出して、自分なりの答えを見つけながら進んでほしい」
控えめだけど、優しい師の言葉が今も胸に灯る。

なあ先生、会って話がしたくなるよ。
こうして都会で生きていると、深く考えて意見を交換する機会なんて失われてしまって。
やれ実利だの、やれ効率だのと、なんだか大切なことを置き忘れているようで。
上辺だけのやりとりなんて、そこに喜びはないんだろう?
深く考えて出した答えを持って、人と対話をしたい。
それがとんでもなく楽しいって知っているから。
だからたまにね、堪らなく、会って話したくなるんだ。

もう会えないことは分かりきっている。
だからこそ私は、恩師が灯した思考の灯火を絶やすことなく守っていくよ。

photo by: lil_foot_ (pixabay)

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