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個人のDTM作曲において「演奏技術」は必要か否か

※かなり私見が入っていますので、おおらかな気持ちで読める方だけお読みください。m(_ _)m


最近、作曲の手を緩めて演奏技術の向上に時間を割くようにしている。

本来、DTM完結型の作曲スタイルにおいて、演奏技術はさほど重要視されないという意見も多い。楽曲ジャンルによっては打ち込みだけで完結でき、一切演奏を必要としないケースもある。

これだけ打ち込み音楽が普及すると、自然と一つの疑問が浮かんでくる。個人作曲家にとって演奏技術は必要なのだろうか?と。

持論を言わせてもらえば、私は「必要」だと考える。

(それは「鍵盤が弾けないと打ち込みが大変だから」とか「音源の音色選択の時に鍵盤があったほうがいいから」といった効率面での肯定ではないことは先に宣言したい)

私が日々感じていることだが、「演奏技術の有無」が作曲というプロセスそのものに与える影響が大きいように思う。だから演奏技術はあったほうが良いと考えている。

例えばどんなにかっこいいフレーズが浮かんだとしても、何かしらの楽器の演奏経験がないと、活きた音符入力は難しい。どことなく機械油じみた匂いがしてくるとでも言おうか。それは単純に入力スキルが低いからだという反論も当然あるだろうが、じゃあその肝心の入力スキルの高い低いは何を基準にしているのだろうか?

おおよその打ち込み音楽においては「その楽器の奏法に準じているか」「音楽的なノリやハーモニーを作れているか」の2軸をひっくるめて入力スキルと言うことが多いように思う。

前者の楽器の奏法云々はネット検索をすれば、いまやどんなにマイナーな楽器でも簡単に学べる。そう問題にはならないだろう。

問題は後者だ。こればっかりは市井にあふれる音源を数多く聴き込んだとしても、簡単には身に着けられないと考えている。

実際に楽器を買って、CDやライブで耳にした理想的な音と自分の演奏のギャップを反復練習で埋めていくという作業を経験しないと身に着けることは難しいのでは、と思う。

楽器、と書いたが別に歌唱でもいいと思う。とかく、音楽において理想と現実のギャップを目の当たりにし、それを自力で修正していくという経験が打ち込み音楽において必ず財産になる。

この経験がないと、打ち込みの時にどんなことが起こるだろうか。

MIDIで打ち込んだ音が「なんか違うな」と思ったときに修正するためのロードマップが描けなくなるのだ。

何の証拠にもならないかもしれないが、いい曲を作るなぁという人は皆、何かしらの楽器に精通しているように思える。プロの世界でも、作曲家だったり、編曲家の方々で楽器を全く触れない人はいない、はず。

これは私の体験談だが、ギターを初めて1,2年のころ、コードもまだおぼつかないような状態だった(おいおい上達が遅いぞ!というツッコミはすみません、おっしゃるとおり・・・)

そんな状態で「とりあえずオリジナル作りたいな」なんて考えてMIDI打ち込みを始めたが、まぁ酷いことこの上なかった。打ち込んでみて「ああ、ナンカいかにもダメな感じだな」と思いつつも、それをどう解決すればいいのか全く分からず、結局できたのは音楽とはとうてい呼べない代物だった。

ただの「音のつながり」を、せめて人が聴いて「音楽」だと認識できるレベルにまで軌道修正する地力がなかったことが敗因だと反省している。

こういった音楽的な感覚は楽器の演奏技術に比例して向上すると考えている。楽器の練習は「理想」と「現実」のギャップ認識から始まり、ギャップ修正のための反復に他ならない。

だからこそ私はこのDTM全盛の時代においても演奏を止めないでいるのかもしれない(決して作曲がめんどくさくて逃げているわけではないのだ!という自己弁護でした)


追記:

確かにDTMのおかげで、楽器が弾けない人でもソフトウェアの使い方を学習すれば音楽が作れるようになった。しかしクオリティを上げようとすると、結局演奏技術をある程度のレベルまで持っていないと、却って遠回りをする羽目になると思う。少なくとも、私のような耄碌した老人が作る場合は、そのように思う。

だが、同時にこうも思う。これからさらにDTM界隈が進化したら、この考えも覆るときがくるのかもしれない、と。

特定のジャンルでは、殊更演奏技術を必要としないシーンも増え、豊かな発想と確かなプログラミング技術で音楽的な壁を越えてくる若いアーティストも出てきたように思える。

とはいえ現時点ではそういう人はかなりのレアケースなので、やはり自分のような凡夫は演奏技術も同時に磨いていく必要性を感じている、というのが正直なところだ。



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