#動詞としての文化
ケバブが交錯させる過去と現在
近大の学食が続いたところで、移動販売のケバブの屋台が目についた。誰もいなかったため、店員さんと少し話し込む。
ケバブはフランスでもかなりメジャーであり、フランスの思い出はケバブへと結びつく。だがフランスのような味のケバブはなかなか巡り会えない。サラダやポテトを挟み、サムライソースというよくわからないソースをかけたケバブは日本では見つからない。
若い頃、フランスで飲んだ帰りにケバブを食べた。思え
自分のカルチャーに誰を入国させるか
フランスに限らず、およそ海外文化を熱心に学んだ人間は、日常生活に文化が一つプラスされる。しこう(思考・嗜好・志向)が特有になるため、食事、店の選び方、手に取る本などが少し変わってくる。
朝からフランス語に触れ、プルーストのことを考える生活はそれなりに河内では特殊だ。
文化は形が存在しない。文化にいかなる「動詞」を繋げるかという問題は、動詞の担い手である「自分」を軸としていかなる文化を創造するか
VERBE(動詞的教養教育)は「静」の中で創造性を発揮する
今年はオンライン授業と子育てしかしなかったので、まったくもって「静」の年だった。家でYouTubeを取り、合間に乳児の世話をし、長男の送り迎えをして、保護者会の仕事をする……なんとネタに事欠く日々。
とはいえオンライン授業をYouTube主体としたことは、それなりに意味があった。当初は学生の機材の状況やパケットの問題を考慮し、学生にとってもっともハードルの低いYouTubeを選択した。しかしこの