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関係性という視点

何度か二人で遊んだことがあるとある女性のこと。

当時、20代後半のぼくはあまりにもお粗末で、彼女のことを信じきれなかった。ただただ彼女に振り向いて欲しいという依存心からくる気持ちと自信のなさが、拒絶されるかも・・・という不安や恐怖となって、結局彼女との関係を壊してしまった。まあ、つまるところ、ぼくはぼく自身の失態で恋愛に失敗したのだった。

僕らは、誰かと関係性を持って生きているし、気候とか住環境や政治や社会とも関係性を持って生きているんだなと最近理解した。【関係性】という視点で物事をみると、結構面白くて、例えば人間の細胞とか健康とかも関係性で考えるとおもしろい。僕ら人間は細胞同士の関係性で成り立っている。他の細胞との関係性が悪くなった細胞がガン細胞になったり、機能しない細胞の塊になったりする。食べ物と人間の関係もお互いに利害があって成立している。人間にとっては、栄養を摂取し自分の体を作るために食べるし、食物、特に農産物や家畜は人間に育てられることで種の保存を画策している。細菌やウイルスと人間の関係も同じで、関係性が良いと細菌やウイルスは人間と共存する。関係性が悪くなると細菌やウイルスは人体を不調にし、その関係が破綻すると人間は死ぬ。また細菌やウイルスも宿主を失ってしまう。

人間が水中で生きていくには酸素ボンベが必要なのは、水に満たされた状態との関係性が悪いからとも言える。つまりどうしようもなく相性が悪いから、少しでも仲良くするためにダイビングスーツを着用したり、シュノーケルや酸素ボンベを使ったりするとも言える。もし視点を関係性において、水中と人間の関係を考えるなら、だけど。

人体の細胞間でも、人同士でも、社会と社会の関係性でも、国と国との関係でも関係性という視点で考えてみるとおもしろい。人間同士の関係だけでなく、どんどん細かく細分化して行くと細菌と人間との関係にだって、それぞれの利害があるわけで、例えば人間の体の場合、細胞の集合体という細胞にとっての社会を維持するために古い細胞や突然変異を起こした細胞を廃棄したり、細胞分裂している。人と人との関係もなんらかの利害関係があって、それは別にお金とかそういうのだけじゃなくて「考えが合う」とか「ウマが合う」となんとなく感じたり、「なんとなく嫌」とか感覚的に嫌ってこともある。何を利益とするかとか害とするかっていうのは、細胞それぞれでもあるし、人それぞれでもあるし、社会それぞれでもあるし、国それぞれでもある。

仲が悪い人とどうやって関係を作っていくかってなると、お互いに違う価値観や趣向を持っていることを認めつつ、お互いに適応する必要がある。これって先ほどの水中と人間との例もそうだけど、冬場にストーブが不要なほど温暖な地域に住んでいた人が、いきなりめっちゃ寒い地域に引っ越した時、ストーブを買って、厚手の冬用カーテンを買うなど防寒に対応するのとも似てる。

もう少し人間同士の関係で続けると、新しい会社に入るとか、小学校から中学校に行くとか、新学期から新しいクラスになるとかそういうのって、新しい環境に適応しつつ関係性を作らなくちゃいけない。
人体なら、口にした食べ物で細胞に必要とされるものは細胞の材料になるし、不要なものはウンコやおしっこになり、汗となったりして体外に排出される。これもある種の関係性だと思う。

それから社会や国と環境だってそうだ。環境が悪くなって、森がなくなり、川が干上がるとかも、社会と環境の関係性が悪くなったと考えると、その環境とどう折り合いをつけて適応し関係性を維持するかって話になる。

国と国との関係だと、例えば日本の明治維新なんかは外国との関係性をうまくやって、他の国に支配されずに済んだ例だと言える。自分たちよりも強い武器や軍隊を持つアメリカ、フランス、イギリスが当時の江戸幕府から利益を搾り取ろうとしていたわけだけど、それに対して日本は江戸幕府を終わらせて新しい体制へ変化し、その状況にうまく適応したと思う。ちょんまげがなくなり、褌一丁で出歩くのも禁止になったし、大きく政治体制が変わったけれど、なんとか独立を保てたのは、士農工商という階級社会から四民平等へと日本人同士の関係性を変え、新しい環境に適応できたからだろう。あくまでも一個人の意見だけれど。

今書いた内容だけでなく、物や人との関係とか、様々な物事を関係性という視点で解読してみると色々発見があって面白い。でも、関係性を使って色々解説するのは想像以上に骨が折れそうだとも思う。この難題に適応したいな〜

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