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日々を反省しつつ自由について考えた

ぼくは震えながら朝起きる。実は現在の住まいは鉄筋コンクリートのため、木造住宅とは比べものにならないほど暖かい。それでも、やはり冬は微妙に寒い。微妙に寒いという中途半端な環境なためか、去年は暖房を一切点けなかった。今年も暖房器具を出してすらいないから、とりあえず今年も暖房器具を出すことはないだろう。

この微妙な寒さはやはり曲者で、ものすごく寒いというわけではないけれど、やはり肌は冬を感じてしまうのだ。微妙であっても寒さは寒さなので、起きない理由に使うのにはもってこいなのだ。ぼくは起きたくない理由に寒さをあげ、まだ時間があるからとスマートフォンのアラームをスヌーズすることをタイムリミットが来るまで繰り返す。

一時が万事そんなことではよくないとは思う。起きない理由を寒さのせいにするのは冬に悪い気がするしね。だから春を待ち望むにしても、それならそれで冬に失礼がないようにしたい。と考えているわけじゃない。でも、行動しない理由を求めるのはものすごく損をする気がするのでやめたいのだ。

ぼくらは基本面倒臭いことはしたくない生き物で、自分の利益に即反映されることならだいたい動くのが早い傾向がありそうな生き物だとぼくは思っている。これはなんの根拠もない持論なのだけど、ぼくらは結構脳みそを毎日酷使していると思う。例えば自転車で移動している時、右に曲がる時にハンドルを17度右方向へ傾け、体を7度傾けるなんて考えたりしない。なんとなく右に曲がろうと思うと、気がつけば右に曲がってまっすぐ走っている。不思議だ。当たり前すぎるのだけど、よく考えればなぜそんなことが考えなしでできるのか不思議すぎる。

つまり、意識しなくてもできることがたくさんあるというのは、脳みそをすごく酷使しているのだと思う。だから面倒なことはできるだけ避けたいと思うし、一緒にいて何を話そうか考えつづけないといけない人とは一緒にいるのが面倒くさくなるのだろう。それは仕事でも同じで、自分のわからないことに取り組むのは非常に辛いし面倒だ。だって〔楽〕したいもん。

そんな〔楽〕したい時、ぼくらは難癖をつけて行動しない。当然、これを書いているぼくだって例外ではない。例外になりたいけれど、そうそう簡単に例外にはなれない。いや、それでも例外になりたい。

多くの人はいろんな夢を語る。そしてその夢は夢で終わる。夢は寝てみるものだと思う人もいるだろうけれど、起きている間も夢を人間は見るものなのだとぼくは思う。

夢への一歩を踏み出しても、なかなか突っ込んだ行動をしない人がいる。ぼくもそうだし、これを読む人の中にもいるだろう。そして夢を目標にせずに夢見る理由はそれぞれにあって「仕事が忙しい」「家族を養わないといけない」などで動けないという人がいる。夢見ることに満足することは悪くないけれど、本気でそんな言い訳をして夢を目的化しないことは、実はすごく良くないと思う。誰かのせいにして生きているのは、自由じゃないと思うから。

当然時間は有限だし、自分の望んだことをいつでも好きにできるわけじゃない。けれど、それを他人のせいにするのは可能性を最初から捨てているのと同じな気がする。諦める理由は他人に求めるくらいなら、虎視眈々と夢の現実を狙う気概をぼくは捨てたくない。そりゃ自分がやりたいことをやりたいだけできれば良いのかもしれないけれど、そうそう好きにできるわけじゃないのはわかる。それでも他人のせいにするのは貧しい。それに他人のせいにするのは一見〔楽〕に思えるけれど、実はものすごく自分を追い詰めることになると思っている。

ぼくは去年の10月までとあるお店の代表(ボランティア、無報酬)を務めていた。そこは毎日お店に立つ人が代わるバーで、素人マスターが様々な企画を持ち込んで独自のバーを開けるお店だ。代表という肩書きではあるけれど、特にめちゃくちゃ権限があるわけではない。それでも責任はある。いろんな人が関わっているので、有言実行におのずとなるので、特に威張るものでもないのだけれど。ぼくは基本的に有言実行を行った。

そこで気がついたことは一度背負った責任は、その責任をしっかり背負い行動する方が実は楽だということだ。責任から逃げて他人のせいにして責任放棄を行う方がしんどい。当然、なんでも背負えって言っているわけではなく、自分ができる範囲を周囲に明確にした上で、責任を背負うということだ。つまり他人のせいにしない範囲で責任を負うということになると思う。だから背負いきれないと感じたら、辞めることだってある。ぼくが代表を辞めたのは責任を負いきれない状態に私生活が変化したからだ。

ぼくは自分の人生を自分がかかわったお店のせいにしたくはなかった。だから代表を辞めた。自分がやりたいことや自分がやるべきことをしない理由を他人のせいにするのは、結局のところ言い訳にすぎないから。

肩書きがなくなってから1年以上経って、4年間の肩書き生活を振り返り、ぼくは自分がやらないことを他人のせいにしないことに決めた。これは自分との戦いだと思う。でもね、他人のせいにしないことを決めてから、いろいろ楽になった。自分の人生に自分で責任を持つというのは自由になることなんだろう。


※写真は「迷わないように生きたい」という願望を込めて(無理だろうけど)


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