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思い出のイカリング揚げ

黒歴史はさらにドス黒く、美しい記憶はさらに輝くように美しくなっていく、それを思い出と言うのだろう。静かな不調のうなり声を上げるPCを前にして、ぼくは静かにトラックパッドを操った。思うように反応しないマウスカーソルがまるでぼくの人生のようにもがいていた。その日ぼくはホーミーの師のお宅へお邪魔し、師が使っているPCの動作を軽快にする作業をしていた。

(※ホーミー:一つの口でふたつの音を出す喉歌のこと)

Windowsボタンを押しても恥じらう乙女のように出てこないWindows10のメニューを説得するように、ぼくは右クリックを繰り返した。ぼくの口説き文句ではなかなかその正体を明かしてくれない、仮面をつけた謎の貴婦人のように、Windowsは言うことを聞いてくれなかった。繰り返される強制終了は、まるで平安時代の貴族が意中の女性に何度も送りつける恋の短歌だった。そう、たぶんそうだった。

阿保の一念岩をも通すではないけれど、ようやく姿を現したWindows10の本来の姿に、ぼくとホーミーの師は真夜中の12時に喝采をあげたのだった。まるでシンデレラの魔法が解けた瞬間を垣間見たネズミのような気分に浸りながら-ネズミはたしかシンデレラの話しで馬になってたと思う-ぼくはWindowsの動作を邪魔していると考えられるアプリをアンインストールしていった。奇妙な熱に侵されていたPCに安息を与えている気分になった。

その後、ぼくと師は恒例の飲みに出て行った。京橋時代はよく真夜中の12時過ぎにちょくちょく飲んでいたのだけど、その日は久しぶりだった。師と出会ってから8年くらいだと思うのだけど、やはり時間はどんどん過ぎてぼくや師の関係やその周囲との関係も変化しているのだ。

入った居酒屋のメニューにはイカのリング揚げがあった。小学校の給食でよく出ていて好きだった。しかし、ぼくは、たぶん10年以上このイカのリング揚げを食べていない。ぼくは躊躇なくイカのリング揚げを頼んだ。

イカのリング揚げは思い出の味とは違ったけれど、やはり美味かった。イカのリング揚げを口にすると、なぜか「嗚呼、ぼくはこんなに遠くまで歩いてきたのだ」とセンチメンタルな心持ち担った。

小学校の頃10年後なんて泡のように不確定でよくわからないものだった。それは今でもそうで、だけれど今は自分が何をするべきかはわかっているという違いがある。そして今自分が何をするべきかわかっているのは、ぼくのまわりにいる素敵な人たちのおかげであると思っている。

ぼくと師は詩のボクシングで出会ったこともあって、イカのリング揚げを食べながら、最近の詩の朗読シーンについて少し話した。東京予選に出ていたあの人が今ああなっていて大変だとか、今は亡くなったある詩人の詩のことを話ししたりしていた。

ぼくは自分の10年後のことを書くイベントを一緒にやった仲間と、先日電車でバッタリ会ったことを話した。彼女といっしょに開催した『Bar10年後』では10年後の自分を語るっていうテーマだった。1冊のノートを用意して、そこに10年後の自分のことを書くという趣旨だった。けれど、あまり誰も乗ってこなかったなあって。ぼくらはそんな思い出話をして、まだ現実感のない喪失感を共有したのだった。

10年後、ぼくは生きているか死んでいるかはわからない。10年後なんてやってこないかもしれない。明日、たとえ明日死んでしまうとしても、明日を語る資格は誰にでもあるんじゃないかな。いずれ誰かの思い出になる日が来るとしても。


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