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103年物語

「たかちゃん、だっちゃんな」
 ぼくの記憶にあるお里のばあちゃんの言葉はこれである。
「だっちゃん」とはダメという意味である。
あまり言われることはなかったが、お里のばあちゃんが述べていた言葉で、
なぜかすごく印象に残っている。
祖母は103年におよぶ人生の物語を2月1日に終えた。
103年におよぶひとつの物語が終わったのだ。

彼女がつづった物語のすべてはわからないけれど、そのいくつかのシーンにぼくは登場人物として出演している。

小学校の6年の夏休み、お里のばあちゃんのところに数日逗留したことがある。
当時お里のばあちゃんは伯父夫婦とその子達と住んでいた。
伯父夫婦は子どもあたちを連れ立って、家を空けていて、
どんな経緯かはすっかり忘れてしまったけれど、ぼくと妹がその留守宅をお里のばあちゃんと守ることになった。

あくまでも逗留中なので、ぼくはけっこう暇をもてあましていた記憶がある。当時、ぼくは現地の子たちとそれほどうまく仲良くなれなかったからだろう。遊び相手に困ったのだった。それを除くと、楽しく過ごしていたと思う。

あとは実家に遊びに来ても、お客さんになるのが苦手だった。
お里のばあちゃんはいつも掃除していた。
ぼくの実家は父方の祖母と同居していたので、その祖母のぐうたらさとは比べものにならないくらい、お里のばあちゃんは動いていた。

たまにしか会わないから、お里のばあちゃんの嫌なところはそんなに見えなかったけれど、ぼくが近所の子とケンカするとお里のばあちゃんを悲しませてしまうので、ぼくはちょっとこまった。ケンカできへんと。

そんなお里のばあちゃんの葬式には、子と孫、ひ孫、義理の息子や娘が集った。
ほぼ親族のみで、たくさんの人が彼女の死を悼みに来たわけではなかったけれど、
彼女がいたからこそ存在している自分や、その家族、縁を見た気がして、
おばあちゃんの物語の結末は総じて幸せな結末なのではないだろうか?
と、ぼくは思った。

だいたい5万年ほど前にぼくらホモ・サピエンスは虚構(フィクション)を作れるようになった(と考えられている)。フィクションであれ、事実であれ、この頃からぼくらホモ・サピエンスは物語をつくれるようになった。
神話や伝説、そして伝記と、虚構から事実まで物語にするようになった。

ぼくらの人生をひとつの物語と考えると、お里のばあちゃんがいたからこそ
新しい物語が生まれたわけである。

当然、父方の祖母だってそうだし、祖父たちも、その祖父母たちも・・・。
家格とか家柄とか、由緒正しいとかそういうのは結局のところ物語のことなのかもしれないと思った。
名門には名門たりえる過去の物語があり、その物語をつづけようと作用する。
名門が没落するとその物語が途絶えたりするのだろう。
たとえ名門でなかったとしても、今新しい物語をつむぐ次世代を残した祖父母、
祖先たちがつむいだ物語の結果がぼくらなんやろなと思った。

葬式については、伯父の采配は的確で見習うところが多々あり、また従兄弟や従姉妹の補佐もさりげなくきっちり的確だった。お里のばあちゃんの物語の締めとして、素晴らしかったのではないかとぼくは感じた。

お里のばあちゃんの物語は終わったけれど、まだその子孫たちの物語はつづいていく。ぼくの物語ももう少しつづいていく。ページをどのように埋めるかは自分次第だけどね。

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