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コートとぼくと冬の寒さと(たぶんその1)

寒くなってきた。
だって11月だから。
気がつけば10月が終わっていたから。
ちいさい秋、ちいさい秋、気がついたら終わってた。
秋、小さすぎて見えなかった。

今年、ぼくが秋を感じたのは自分の食欲がさいきん増したのではないか? と思った時くらいだった。だって「食欲の秋」って言うから。
さて、なぜ食欲の秋と言うのだろう?
これはあくまでもぼくの勝手な妄想であり、証拠があるわけじゃない。
秋に食欲がわく、または秋に食欲をうながすスローガンが世の中を大手を振ってかっぽする。これはまさしく冬眠に備えるクマと同じで、冬の寒さに耐えるために脂肪を蓄えねばならんからではないか?

21世紀になって、少なくとも日本では、比較的文明的な生活が送れる。しかし、もうちょっと昔、100年くらい前、大恐慌で経済が落ち込み、貧しくなった時代は?
それよりもずっと昔、みんながみんな貧しかった時代はどうだろう?
着物に自分の脂肪と、そして室内であれば囲炉裏で火を燃やし暖をとったのではないだろうか?
着物、自分の脂肪どちらも必要で、そのどちらかが欠けてもいけない。そんな関係だったのではないだろうか? となると、どうだろう・・・食欲の秋と言う言葉は、やはり防寒のために脂肪を体にたくわえろという意味だった・・・とは考えられないだろうか?

これを書いている時点で、ぼくはコートを持っていない。
去年の冬まで着ていたコートは袖がボロボロとなり、お役御免。言葉のとおりコートを持っていないのだ。
だから、ぼくは先日コートを買いにお店をめぐってみた。
「うむ? これどうだろう???」
値札を見る。
自分の貧しさを痛感する。
そんなことを2度ほど繰り返し、その後もコートを求めて、ゆらゆらとゆれる凪のように街を彷徨ったのだった。
あまりに心に強くコートのことを強く強く、力強く感情と熱情と劣情と純情の混沌とした何かを込めてしまったためか、ぼくは「コート」という存在に疑問を呈するようになってしまった。おそらくこれが時々ちまたで聞く、ゲシュタルト崩壊なのだろう。
ぼくというたった一人の狭苦しいホモ・サピエンスな世界で、コートは文字通りゲシュタルト崩壊を起こし、ぼくはコートの意味を考え始めた。

201911月記用

コート、それは防寒のための衣服。
じゃあ、ちゃんちゃんこはなんだ? ちゃんちゃんこも防寒服じゃないか?
しかし、悲しいかな外で着れるだけでなく、通勤などにも使えそうなちゃんちゃんこは存在していない。
なぜだ?

コートという西洋から入ってきた防寒服に、われらがちゃんちゃんこは駆逐されてしまったのかもしれない。知らんけど。

たとえ、今が江戸時代であっても、さすがにちゃんちゃんこ着て、江戸城に出仕できないし、別にそれが地方のお城であっても出仕するのは難しいのではないか?
知らんけど。

現実的に考えて、ちゃんちゃんこは室内限定とし、コートを外用と考えよう。コート、ジャンパーとたくさんある西洋な防寒服ども、こやつら、21世紀の百鬼夜行のように跳梁跋扈してないか? さまざまなタイプ、種類、ポケットの数がーっ! チャックの位置とか、内ポケットとか、あとは色とか、スタイルとか。スライムとスライムベスとホイミスライムとバブルスライム、キングスライムとドラゴンクエストのモンスターよりも種類が多い。

コートはモンスターかもしれない。
寒さという勇者に立ち向かうモンスターの群。
つまり、コートを着用すると、われわれ人間はモンスターの仲間入りをするとみなされても文句は言えないのかもしれない。

つまり、自分をホモ・サピエンスとして人間として保つためには、コートを着用するのではなく、むしろコートなしで寒さと向き合わなければならないのではなかろうか?
だから、ぼくはお腹が空くのだ。寒さを友達にするために、脂肪をたくわえよ! 食欲の秋だ!
そう、食欲の秋にたくさん食べて、脂肪をその腹黒さと腹白さが陰陽のうずまく我が腹にためて、冬の寒さを親友としよう!
トレーナー、セーター、マフラーに自分の脂肪! これでぼくは冬の寒さと親友になれる。
さあ、食欲の秋だ・・・・・・。

ああ、わが同胞よ! 親友であり、敵でもある冬の寒さよ・・・嘆き悲しむ君の姿がぼくの両まなこには、ありありと見える。
もう、秋は終わってしまった。
小さい秋は、気がつけばぼくとほとんどランデブーすることなく過ぎ去っていった。
ぼくはモンスターになりたくないが、しかしぼくはモンスターになるだろう。
許してくれたまえ、冬の寒さよ。
このぼくの裏切りを・・・・・・

コート欲しい。

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