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記憶と味

彼女の大きな瞳がぼくの視線を刺していた。

「次は遅れないでくださいね」

すいません。と言いながら、ああこの人怒ってるな〜って思う。

ぼくはよく図書館を利用する。そしてよく返却が遅れる。延滞の常習者である。当然延滞するつもりはないのだけど、期日に返すことが少ない。今日も図書館へ行って、一週間以上遅れて返却した。気がつけば、期限の2週間を超えてしまっていたのだった。

どうやらぼくの中の2週間と、太陽の周りを地球が周回する公転を基準にした2週間に誤差が生じているようだ。ぼくの記憶では明日が期日のつもりだったのだけれど、どういわけかそれよりも前の日付が返却期限日だったのだから。

すべてが飛ぶように過ぎていくのは、自分勝手な感覚で、結局のところ時間の流れは変わっていない。いや、アインシュタインによると時間の流れは一定ではないらしいけれど、みんな同じ尺度で時間はとりあえずある。まあいつその人の人生の時間が終わるかは個人差があるけれど。

彼女はどうしているだろう? ああ、そうそう顔はなんとなく覚えているけれど、名前が出てこない彼女、彼。みんな普通に生きているのだろうか? 最近そんなことをよく考える。

「じゃ、また!」

そう言って手をあげるとき、ぼくはその人と次も会えるだろうと当然のように思っている。よっぽど嫌いな人ではない限り、次また会える日が来るって当然のように信じきっている。それは実は普通に幸せなことなのだろうと今は思う。

その日久しぶりに友人と会った。山の中、夜の闇を照らす球体の電灯がぼくと彼を照らしていた。田舎の山の中にあるスリランカ料理を提供する小さなお店。彼はミュージシャンで、その日は彼主催の音楽イベントがそこで開かれていた。

彼は自分のステージで、今は亡き彼の母の料理が食べられない寂しさをポロっと語った。その言葉がぼくの心に妙に染み渡った。

もう食べられないことの寂しさを、ぼくはよく知っている。だからステージでギターを抱きながらつぶやいた彼の言葉がぼくの心に重なったのだ。

10月は日本では神無月と言って、神社におわす神々が出雲へ出張している月らしい。太陰暦と太陽暦では同じ10月でも、その季節は今と同じじゃないから、今の10月を神無月と呼ぶのは正統性があるかはよくわからない。ハロウィーンの名目で、この10月に異国の化け物たちが暴れるようになったのはここ最近のことなので、ある程度信ぴょう性があるかもしれない。

ハロウィーンに影響されたためか、2年ほど前にゾンビメイクをしたことがある、友人夫婦が丹精込めて作った血のりをふんだんに使って傷メイクを顔に施した。その日、その場ででた指の形をしたクッキーは見た目が凝っていて、まるで指そのものだった。食べた感想としては普通に、いやすごく美味しいクッキーだった。と言っても、どんな味だったかなんて具体的には説明できない。すごく楽しかったことと、そのクッキーの味が美味しかったことは言える。楽しい思い出とつながっている味だってことだけは言える。

もう会えないってことは、もう2度と彼女が作ったものや彼が作ったものを味わえないことを意味している。昨日の楽しいや美味しいはすごく大切だけど、それが次も味わえるかは別の話なんだ。だから今そこにいる人を大切にするっていうのはどうだろう?

飛ぶように過ぎ去る日々の中、ぼくらがそれぞれ自分の好きな人に会える時間は限られている。SNSがあれば、それを超えることができるかっていうと、どうだろう? LINEやメッセンジャーやSkypeで話をしていれば、時間や空間を越えられる部分はあるだろうけれど。それはそれでもいいのだろうけど。やっぱり生で会う感覚っていうのは貴重な気がする。

じゃあ、その貴重な時間をどう過ごすかってのは個人の選択だと思う。怒りまくって、お互いの話を聞こうとせずに喧嘩をして過ごすのか、または手を取り合ってお互いの話をしながら過ごすのか・・・・・・・。ぼくはできれば後者が良い。

いつでも会えるのが当たり前の関係であっても、次会える保証なんて全くない。不慮の事故がいつ起こってもおかしくない。そう言っている自分が気がつけば死んでいるかもしれない。生きていれば何が起こるかなんてわからないのだ。

あの時ああしていれば・・・・・・なんていうのは自分への言い訳なのじゃないだろうか? 今を大切にするっていうのは、実は難しいのかもしれない。ぼくらは疲れていたり、機嫌が悪かったり、うまく伝えられなかったりするから。時には誤解を生むこともあるし、相手を傷つけることもある。それでも、大切にするということを考えてやってみるしかないのだろう。

いずれ、みんなとはお別れする日が来る。それがいつになるかはそれぞれバラバラだろう。だから一緒にいる時間は宝物なのだ。その記憶に美味しい味があればそれはそれで幸せだと思う。そんな日々をこれからもひとつひとつ増やしていこう。







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