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宗教勧誘が初来訪したのをキッカケにカルト信者がなぜ状況を理解できないのかを雑に説明する記事

ここ1年半ほどほぼほぼ自宅で仕事をしている。ほぼ出社することはない。出社するのは、出社しないとできない仕事がある時くらい。ごくたまに出社して周囲に動いて欲しいことがある時もあるけれど、片手で十分足りるくらいの頻度でしかそんなの発生しないのが今日この頃だったりする。

そんな在宅ワーカーな日々を過ごしていて、今の住居に引っ越してから初めて宗教勧誘が自宅を訪れた。前に住んでいたところはオートロックだったから全然そんなのこなかったけど、さすがにオートロックじゃないところだとさまざまな勧誘がやってくるのだろう。

と言っても、固定インターネットの人、NHKくらいだったので、宗教勧誘の人がきた時は、ああ、こんな種類のもあるのかと思った。

宗教勧誘の人がどんな宗教を信仰しているのかようわからん。聖書の勉強をしているのですが、と言われたところで「仕事中なんで」と開いた扉を閉めたからだった。実際に仕事中だったから、話を聞く時間なんてなかったのだから嘘ではない。

固定インターネット、NHK、宗教もキツい営業だなと思う。NHKはそもそも現在テレビを観ない人も増加し、たぶん将来的に今の小学生なんかが大人になったらテレビ持たない人口増えそうだし。(先日、教室の生徒が「テレビ観ない」と言っていた)
インターネットもすでに引いている場合、なかなか変更まで玄関先へ持っていくのは難しいだろう。(そこは、全くことなるアプローチをすれば突破するだけでなく、営業実績をあげることができるのだが)
宗教なんて、そうそうひっかからん。宗教営業は信者にとっては意味があるという信仰なんだろうけど、1信者あたり収益とかそういうインセンティブはないだろう無償労働だろうと踏んでいる。法律の観点からは宗教業とされる様子なのだけれど。

彼らにとって望んでいる理想の物語は、玄関先で話を聞いてもらって自分を受け入れてもらうこと。これは固定インターネットの営業も、NHKの受信料払っての人も、宗教営業も変わらん。

「自分の望みを実現する」そんな物語を彼らと同様にぼくらも求めて日々生きている。その表現先が何かはその都度その都度変わるというだけなのだろう。

ただ、残念なことに特に宗教営業の人は苦手なことがある。固定インターネットの営業やNHKの営業は、むしろ自分が実現したいと望んでいる物語と会社が求めている物語を切り離すことがまだ容易いから良いのだけれど。そこから全く別のアプローチを考えたりできる余地があるのと、物語の中に閉じこもる人では、事象を事象として捉える能力に差が出る。

宗教は物語でしかない。単なる物語。意味はそもそも存在しない。なぜなら意味はぼくらホモ・サピエンス同士の関わり合いで人為的に作られた物語だからだ。事象と物語が合致することも当然あるけれど、事象と物語相反することも多い。

残念ながら、ぼくらホモ・サピエンスは事象と物語を分けることを苦手にしている。事象を自分が信仰する物語を通して解釈し分析し判断するからだ。
それでも自分の物語とは別の物語、つまり他人の価値観や考え方、手法に触れた際に、自分が望んでいる物語とのギャップだったりを感じ、自分の物語を改訂できるのがホモ・サピエンスでもある。

この機能は宗教営業の人にも当然備わっているのだが、彼らと固定インターネットの営業の人との決定的な違いがある。
それは、彼らが信仰している宗教の物語の牢獄から出ることが非常に困難であるということだ。彼らにとって信仰している物語は正義なのだろうけれど、正義は取扱注意の劇物であることを彼らにはわからない。特に他の価値観を排斥するカルトの場合はその傾向が強烈に酷くなる。
自らを牢獄に繋いでいる状況だから、問題の外に出ることができない。問題の中でぐるぐると歩き回るだけになる。

宗教業の人、特にカルト信者は特に事象と物語をわける能力が低いのはそのせいだ。世間一般の大多数と会話なんて成立しない。

事象と物語が異なるという事実すら彼らにはわからない、というか相容れない事実になる。それを分けてしまうと特にカルトはその宗教を最終的には捨てることになるからだ。牢獄に居続けることがたとえしんどく辛くても、そこが彼らの唯一の世界と信仰する人にとってその世界の範囲を知ることも恐怖だし、ましてはその世界から別世界へ移動するなんて震え慄くしかない。

自分の認知している世界を知らないなら、その世界の外へ出るのは非常に難しい。
ましてや信仰という名の牢獄に自ら繋がれることを望んでいる人間が牢獄から出るなんてことはない。

ぼくらは普段接する情報から自分の価値観を作っていく。価値観とはぼくらの人生の物語世界の構成要素でもある。自分の世界を変えるには異なる物語世界と接触する必要がある。なぜなら、いくら事象と物語の違いを捉えたとしても、ぼくらは自分が望んでいる物語に縛られる生き物だから。

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