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情熱の欠けた怠惰

人生をそれなりに生きると、さまざま変化がある。自分の気持ちにも変化があるし、当然人間関係も変化し続けていく。

両親が生まれ故郷に戻る。

自分の気持ちが昔よりも高まることもなく、低くなることもない。言い換えると熱くなることがほぼない。気持ちが大きく昂るような興奮するようなこともない。当然昔と比べてではあるから、他人からは自分の感情の起伏も見えるのだろう。

ガッカリすることはあるけれど、過度に喜ぶことというか魂の奥底から湧き上がるような感覚はもう覚えない。つまらない中年になったものだなと思う。

両親が生まれ故郷に戻る。
その話を聞いてそうなんだと思う。ぼくは良くも悪くも両親に関心が低い。違う物語を歩いていることもあるのだろうけれど。そこまで強い関心が無い。

しかし、これまで育ててもらった恩はあるなと思い、先日旨い寿司をご馳走した。

両親の故郷は魚や蟹でまあまあ有名なところなので、寿司も美味いのだが、江戸前な寿司で関西にいる間に一度食べて欲しいと思ったのだった。もう人生の終盤にさしかかっている両親には良くも悪くも思い出はあるので、自分ができる小さな恩返しとしても両親が故郷に帰る前に連れて行きたかったのだった。

自分が幼少の時、当然ではあるものの自分だけの世界に生きていて、自分の欲望が実現しないことに納得がいかないのは当たり前の感覚だった。そんな幼少期はよく叱られ家の外に夜追い出されることもあった。父とは殴り合いの喧嘩もまあまあした。

では、それがトラウマになっているのか? というとトラウマにはなっていない。トラウマとは、結局なんなのだろう?

よくわからない。両親の育て方が良かったのかというと、良くは無いのではとは思う。赤点ではないかもしれないが、100点ではないという感じ。まあ、親なんてそんなもんだろうと思うのだが。

最近は何かを見失っているのかと疑うほど、昔の自分と比較して感情が動かない。情熱という言葉とは無縁な生活をしている。勤勉なのか?というとそういうわけでもなく、今も昔も変わらず怠惰に暮らしている。情熱の欠けた怠惰。

停滞しているというか後退しているなと感じている。
ただただつまらないとの気持ちが強いのかもしれないな。

思いつくとやってみたいというよりも思いついてもやるのが面倒くさい。これこそ老化なのかもしれない。興味が欠損しているのだろうな。

何かを誰かとどうにかするにしても、言われるがままというのは性に合わないのが原因のひとつなので、こうして書き出して、自分を見つめ直している。

書いていると心にさざ波がやってくる。さざ波ではなんだかつまらないな。大波小波のダンスくらいには気持ちを動かしたいな。気持ちの運動不足。


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