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相米慎二映画ぜんぶ観る方法。

 9月6日、Facebookで浅野忠信さんが『相米慎二という未来』という本について書いていて、すぐにポチっと予約しました。

 相米慎二監督作品とぼくの出会いは、デビュー作『翔んだカップル』
 1980年7月26日に公開されたこの映画、なんとぼくは、上野東宝に友人の吉岡くんと舞台挨拶を見に行っているんです。当時中学2年生だったぼくは、相米慎二監督のことは全く知らなくて、自分の部屋の壁や天井がポスターだらけだった薬師丸ひろ子の大ファンとして舞台挨拶に行きました。
 スクリーンに向かって左の通路でカメラを構えて今か今かと待っていると、最初に出てきたのは、「ぐわし!」とポーズをした楳図かずおさん。薬師丸ひろ子を待ち焦がれていたファンたちはブーイング。『翔んだカップル』はアニメ『まことちゃん』と同時上映だったんですよね。その当時は邦画はだいたい2本立て上映でした。
 ぼくは楳図さんの大ファンだったので、楳図かずおを見れたのはすごく嬉しかったのですが、それでも早く薬師丸ひろ子を見たくてウズウズしていました。
 そして遂に『翔んだカップル』のキャストたちが舞台に登場。コーフンしながら薬師丸ひろ子を映画館の端から撮影していると、見たことないくらいハッとするような美女が目に入りました。その人こそ、この作品が映画デビューの石原真理子です。
 後になって思うと、玉置浩二さんって、この映画を観て、この2人の女優と将来付き合うぞ!って決めてたんじゃないですかね。

 この舞台挨拶に鶴見辰吾さんもいたことは覚えていますが、相米慎二監督らしき人がいたことは全く記憶にないんです。でも監督だから、おそらくいたんでしょうね。 相米慎二監督に会っていたと思うと、感慨深いです。

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 『相米慎二という未来』がきっかけで『翔んだカップル』を改めて観ようと思ったら、配信ではどこでもやっていなかったので、DVDの『翔んだカップル オリジナル版』HDリマスター版を購入。キャスティングは、薬師丸ひろ子より先に『金八先生』で人気になった鶴見辰吾が決まっていて、薬師丸ひろ子と石原真理子は後から決まったと本にも書いてありましたが、これは薬師丸ひろ子の可愛さ大爆発の映画で、これに出ていなかったらおそらく名作『セーラー服と機関銃』の主役にも決まっていなかったので、貴重な作品です。

 そう、相米慎二映画史上最大のヒット作は、興行収入47億円の『セーラー服と機関銃』。当時ももちろん観ていて、薬師丸ひろ子をクレーンで吊るしてセメントに漬けちゃうなんて、ファンとしてはショッキングでした。ラストの新宿を一人で歩いて地下鉄の通気口の上でマリリン・モンローになっちゃうシーンが、隠し撮りで、周りはエキストラじゃなくて普通に歩いていた人たちだったこともこの本で知り、その空間にいたかった〜!と本気で思いました。


 薬師丸ひろ子が出ている2作品以外の相米慎二監督の映画って、何観たんだっけ?と調べてみたら、それ以外は観ていなかったことが判明。。。

「見ない作品を自分の中に残したくありませんでした。それが私にとっての相米さん。」

 本のインタビューで、女優の唐田えりかさんが相米慎二監督の作品について、こう言っているのを読んで、自分もぜんぶ観よう!と心に決めました。


 と言ったものの、相米慎二監督が撮った生涯13作品の全てを観るのが、この動画配信時代にもかかわらず、思ったより大変でした。

 配信で見つけたり、配信で見つからなかったのでamazonでポチッてDVDを買ったり、『東京上空いらっしゃいませ』を観るためにU-NEXTの会員になって、ここでは相米慎二映画がけっこう観れることがわかったり、『光る女』に関してはDVDがデラックス版しかなくて、プレミアがついているのか安くて4万円以上で中には16万円なんてのもあって、さすがにそれは高すぎるので7,775円でVHSビデオを購入。それでもめちゃ高。。。

 13作品は、以下の順番で観ました。観たい方の参考になると思うので、何を使ったかを書いておきます。

お引越し 1993年(MEN'S NECO)
台風クラブ 1985年(MEN'S NECO)
セーラー服と機関銃 1981年(アマプラでレンタル)
魚影の群れ 1983年(hulu)
ションベン・ライダー 1983年(MEN'S NECO)
東京上空いらっしゃいませ 1990年(U-NEXT)
翔んだカップル 1980年(DVDを購入)
夏の庭 -The Friends-   1994年(MEN'S NECO)
ラブホテル 1985年(アマプラでレンタル)
雪の断章 ー情熱ー 1985年(U-NEXT)
風花 2001年(DVDを購入)
光る女 1987年(VHSを購入)
あ、春 1998年(DVDを購入)

MEN'S NECOって初めて知ったのですが、「世の全ての男性に贈る、男のための〈オトコチャンネル〉」というコピーでわかるように、ちょっとエッチな作品が多い動画配信なのですが、なぜか相米慎二監督作品を多く配信しているんです。こちらにも新しく入会したのですが、1ヶ月無料という誘いで入会してその後解約を忘れて払い続けたりしがちです。

※その後、U-NEXTを見たら「没後20年。いつまでも色あせない、相米慎二監督作」として、翔んだカップル、ラブホテル、光る女以外の10作品は観れることが判明しました。

この後は、ネタバレを含みますので、ご注意ください。


 相米慎二監督といえば、長回しのワンシーンワンカットと大雨のシーンが有名ですが、そのどちらもが素晴らしい『台風クラブ』のこの下着で歌って踊るシーン、今まで映画を観てきてロングショットの映像だけでこれほどの強さを感じたことはありません。

『セーラー服と機関銃』で、星泉(薬師丸ひろ子)と佐久間(渡瀬恒彦)が屋上で目高組の纏(まとい)などを燃やすシーンが俯瞰からの超ロングショットでは、大スターの薬師丸ひろ子にカメラが全く寄らないという大胆な演出に衝撃を受けました。

もともと梅宮役は糸井重里さんにオファーしたと、どこかの本で関係者が発言しているのを読んだんです。それを知ったとき、「糸井さん、よくぞ、断ってくださった」と。相米さんと出会っていなかったら、今の自分にはなってないなと思います。俳優の仕事は面白いと心から思っている自分にです。

  これは、『台風クラブ』の梅宮先生役の三浦友和さんのインタビューです。

 相米監督はなんで役者じゃない糸井さんにオファーしたのか、不思議に思いました。もしかして、『となりのトトロ』での糸井さんのお父さん役の声優としての表現力を素晴らしいと思ってのオファーなのかな?と調べたら、『となりのトトロ』の公開が、『台風クラブ』より3年後の1988年だったので、ぼくの想像はハズレていました。ということは、宮崎駿監督より先に相米監督が糸井さんの役者としての才能に気づいていたんですね。すごい。

 『台風クラブ』は、ベルトリッチ監督が大絶賛したというだけあって、邦画というよりヨーロッパの映画のような後味で、好きでした。


 そして、相米慎二映画で一番好きだったのは、『ションベン・ライダー』

ー「ションベン・ライダー」は河合美智子と永瀬正敏という二人の俳優を生み出した映画であると同時に、今も多くの若者にとって重要な青春映画です。

 この映画でのこの2人が、本当に輝いていました。少年と少女の中間のようなブルース(河合美智子)の魅力、ジョジョ(永瀬正敏)が自転車で追いついたトラックの2台に乗り込む長回しのシーンの迫力は、若き永瀬正敏さんの演技に対する情念のようなものを感じました。

 相米監督本人は、『翔んだカップル』『セーラー服と機関銃』『ションベン・ライダー』小児科映画3部作(自虐的?照れ隠し?)と言っていて、その後に『魚影の群れ』という”大人の映画”に挑戦したとのことですが、その映画も迫力のある緒形拳、熱すぎる佐藤浩市、そして美しすぎる夏目雅子の演技もストーリーも素晴らしかったし、とても良い映画だと思いましたが、ぼくは相米慎二監督の作品は、青春映画系が好みです。

 『ションベン・ライダー』のファーストシーンのプールから校庭から校門へ(この撮影監督は3回クレーンを乗り換えたとか)、貯木場の渡り板から人がドボドボ海に落ちていく、超〜〜〜長回しは痺れましたね〜。食い入るように観てしまいました。こういうの大好き。

結果的に、デジタルになってからいくらでも回せるようになるると、世間からいろいろなところで言われた、「なんでもいいからワンシーン・ワンカットで回しちゃえばいいんだ、映画になっちゃうんだ」「簡単に映画が撮れちゃう」って、みんなが思ってしまったことは、功罪の罪の部分として自覚しなければならなかったと思うんです。

 これは、当時の助監督の榎戸耕史さんの言葉です。デジタル時代になると、安易に撮られた長回し映像が溢れましたが、フィルムの時とデジタルになってからの長回しの集中力と役者の緊張感は、全然違うと思います。これは、デザインもデジタル化したことによって緊張感が弱くなったりして、この映画の長回しと同じことが言えるんですよね。

 ブルース(河合美智子)がつり橋から川に飛び降りたシーンにビックリして、それを追っていたアラレ先生(原日出子)が飛び降りた時は、すげー演出するなー!と感動しました。実はそのシーン、アラレ先生が飛び降りるのは台本には書いてなかったそうで、「お前、教え子が落ちたら、助けるだろう?」と相米監督は原日出子さんに判断させる、役者に考えさせてそう行動させちゃうところが、相米監督の演出の凄さなんですね。


 助監督だった榎戸耕史さんのインタビューで、相米監督の迷いについて書かれていました。

それは本当に相米映画の功罪で、映画としていったい何を求めていたんだろうというのが、どうしても疑問として残る。現場でもやっぱり思うことではあったんです。リアルというのは頭では理解できるけど歪みを受け入れ難い。「ションベン」は監督自身が一番感じていて、「こんな映画を客に見せてはいけない!榎戸フィルムを燃やせ!」って連日仕上げで言ってました。

 このニュアンスは文章読んでもあまりわからなかったのですが、「フィルムを燃やせ!」って言うくらい、『ションベン・ライダー』について相米監督は迷っていたのかなぁ。

たしかキネマ旬報だったと思うんですけれども、明言していましたよ。「『雪の断章 ー情熱ー』は失敗作だった」って。当時、それを読んで「まじか?」って思いましたけれども。

 これは、本の中での斉藤由貴さんのインタビューの一文です。ぼくは『雪の断章 ー情熱ー』もかなり好きな作品だったのですが、『ションベン・ライダー』もそうですが、相米監督が「あまり上手くいかなかったかな…」と思っている映画を、ぼくは好きということなんですかね。

 『雪の断章 ー情熱ー』のファーストシーンは、18シーンワンカットという、とんでもないことをしていて、そのようにした相米監督の理由もすごい。

「斉藤由貴の正月映画だろ。観客は斉藤由貴を見に来るんだ。とにかく一番早く由貴の顔を見られるのはあの方法なんだ」

 これは、映画のこのシーンを観ないとわからないと思いますが、その理由にめっちゃ納得しました。『雪の断章 ー情熱ー』を観たことない人にはぜひ観てほしい。斉藤由貴がめちゃくちゃ魅力的ですし。

 伊織(斉藤由貴)と雄一(榎木孝明)と大介(世良公則)が3人でキャッチボールするシーンがあるのですが、なんだか既視感があったので、思い出そうと頑張ってみて、アニメ『時をかける少女』でそんなシーンがあったなぁ…と思ってググってみたら、2016年8月の『アドタイ』のラジオ『澤本・権八のすぐに終わりますから。』の書き起こしの”『バケモノの子』をつくるときに考えていた”心の親”について”で、細田守監督とクリエイティブディレクターでCMプランナーの澤本嘉光さんのこんな話が出てきました。

澤本:あのキャッチボールのシーンに僕は相当やられてるんですよ。女の子がキャッチボールをしている時点で、既にいい映画だって(笑)。
細田:『雪の断章』に3人でバドミントンをしているシーンがあるんですけど、ネタ晴らしをするとオマージュということもありますね。でも、それだけじゃなくて、女の子がバドミントンではなくキャッチボールをやるということの名前と相まった意味はあるんじゃないかなと。

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 『雪の断章 ー情熱ー』に、バトミントンのシーンがあったかは覚えていないのですが、『時かけ』のあのキャッチボールシーンはオマージュだったことがわかって、スッキリしました。短いシーンですが『ションベン・ライダー』にも男2人女1人でキャッチボールするシーンがあるのですが、『雪の断章 ー情熱ー』より年代的には2年早いので、『ションベン・ライダー』がトライアングルキャッチボールの元祖ですね。

 『雪の断章 ー情熱ー』の脚の長いピエロが出てくる(心象風景?)シーンが唐突な感じがしたのですが、1980年代はCMでもアート的な表現が多くて、このピエロのシーンでサントリーのウイスキーローヤルのCMを思い出しました。個人的に、サントリーやPARCOのCMなどの80年代のアート的な映像の流行りが反映されていたんじゃないかと思っています。


 『夏の庭 -The Friends-』は、一人暮らしをしている変わり者のお爺さんのところに来た少年たちに最初は怒り出すが、少しずつ心を開いていくという演技を、三國連太郎さんは『アルプスの少女ハイジ』のアルムおんじのイメージして演じているんじゃないかと思ったのですが、検索してもそんなことは出てこないのでぼくの思い過ごしのようですが、なんかアルムおんじっぽいんですよね。ほら。

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 相米監督の後期の作品で、『あ、春』『風花』は、観ていなかったのに、なんだか身近に感じていたのは、尊敬するアートディレクターの葛西薫さんがタイトルデザインをしていたので、デザインの雑誌や年鑑で当時、素敵だな〜と、見ていたからですね。

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 相米慎二監督の遺作になった『風花』は、5歳の娘を北海道の母親に預けて東京で風俗嬢をやっているレモン(小泉今日子)と、泥酔してコンビニで万引きをして謹慎を命じられた高級官僚の廉司(浅野忠信)の傷付いた心のゆらぎを描いていますが、20年前のこの作品、今観ても、いや、混沌としたこんな時代の今こそ人々に響く作品なんじゃないかと思いました。

 本のインタビューで浅野忠信さんはこう言っています。

プロデューサーも映画監督もカメラマンもカメラを覗いて場所ばかりを見るのではなく、俳優そのものを見てくれ。それが相米組で得たものです。

 この前後の詳しくは本を読んでほしいですが、『相米慎二という未来』の中で、役者の人たちがみんな、相米監督は演技指導をするのではなく、役者に自分でどういう演技をすればいいか考えさせると言っていますが、それこそが俳優そのものを見ているということなんだと思います。


彼の映画作りに於いて、演者である俳優たちの自主性の度合いは途轍もなく大きい。スクリーンサイズの中のどこに立ち、座り、何を見て、何に憤り喜び、どう動くのかのイニシアティブは俳優の手にすっぽりと委ねられる。それを三浦友和は「放置プレイ」と言って笑い、斉藤由貴は今も演技をしているとき、引き出しから演技をしようとする自分を悲しげに見つめる相米慎二がそこにいるという。そして浅野忠信は相米組の俳優第一主義と巡り合えたからこそ、今も演技をしていると語る。

 これは、あとがきの文章ですが、亡くなった今もなお、相米映画と関わった役者の人たちに相米慎二監督は影響を与え続けていることが、よくわかりました。

『相米慎二という未来』を読んで、よかった。相米慎二映画、全13作品を観て、本当によかった。これからの人生に生かしていきたいと思います。



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