努力は天才を超える

どこで聞いたのか忘れたが、この言葉すごいと思った。

よくある話、「十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人」ってあるが自分も似たようなものだった。

周りにもそんな子は多くいた。しかし、今周りを見て人生を楽しんでいる人は小さな頃に神童、天才と言われた人よりもコツコツと努力を重ねてきた人が花開いているパターンが多い。

もちろん神童や天才が人生を楽しんでいないというわけではない。しかし、努力を重ねてきた人は二十歳過ぎてからの楽しみ方が違うのだ。

これは二十歳前には様々な誘惑があるが、法律で制限されていることや体力的にできないことが多すぎる。その時にじっくりと二十歳過ぎを見据えて動いた人は、その二十歳過ぎの照準に合わせて楽しめているということだ。

人はいつ死ぬかわからない。だからもちろん二十歳過ぎを照準に合わせても、二十歳前に死んでしまうこともある。これを夢半ばというが、何歳になっても同じことだと思う。

そして努力するということは誘惑に負けないこと、これの大切なことは人の幸福は経験などよりもホルモンなどの分泌物質によるものが大きいと言えるからだ。

これは常に出続けることは難しい、人は刺激に慣れてしまうということもある。性の快楽なんてのは一番わかりやすい例かもしれない。同じことを繰り返すと、それは段々と慣れてしまいその刺激では足りなくなるというものだ。元ZOZOの前澤さんも言っていたが、欲しいものを手に入れすぎるとそれ以上満たせる手段というものが出てこないというものだ。世界で一番綺麗と言われる夜景を見たら、その他の夜景に対して少し見劣りしてしまうように。

つまり外的刺激から与えられるものには限界があり、平常化してしまうと飽きてしまう。この飽きというものが実は虚無感にもつながり非常に怖い。

逆に外的刺激を追求するが、一度味わった快楽を手に入れられない時の空虚な気持ちや寂しい気持ちも凄まじい。よく言われるのが自慰行為の賢者タイム。これは割と身近なところだが、似たようなものにお酒が抜けた時や、お祭りの後の静けさもある。これの究極は覚醒剤などの薬物の後の禁断症状というものだろうか。私は違法薬物はやったことがないが、盛り上がった後の虚しさがわかれば覚醒剤なんかに手を出せない。あの祭りの後の寂しさの数倍と考えると死にたくなるだろう。

だから人生は盛り上がりすぎず、常に手に入れることのできる刺激を求めて生きることが一番良いと思う。そう言った意味で努力というものは可能にすると思う。天才というものは爆発的な上昇と、その後の悲惨な落ち込みを所有すると思うので、まさに「努力に勝る天才は無し」と言えるだろう。

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