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フルーツポンチ

小学校の給食で、なによりも好きだったのがフルーツポンチだった。甘いシロップの中に、みかんや桃、サイコロ状の寒天とさくらんぼ、黒豆…は固くて当時はあまり好きではなかったけれど、食べられなくはなかった。中でもダントツで、目をギラつかせてみんなが欲していたのは、白玉!

覚えがありませんか?
昭和の給食は予算もさながら、今ほど種類もメニューも豊富ではなかった。にもかかわらず、自分が楽しみにしているメニューは、月に一回出てくるか出てこないか…くらいじゃなかったかな~と思うの。揚げパンも心待ちにしていたし、パインアイスなんか季節に2度現れたらラッキーな代物だった。メニューが少ないのにローテーションの幅は広く、やたらと出るなぁと思っていたのは小魚の甘露煮
にゅう麺はなかった。ソフト麺も知らない。記憶にある麺は焼きそばだけ。しかも白いやつだったような気がする。もう記憶も薄らいだ靄のかかった過去の話だから、曖昧だけど

さて、白玉です
ひとりひとつづつ…な~んてことはありませんでした。が、これは給食委員の采配。椀物を扱う生徒の腕にかかってくるわけです。「いっぱいちょうだい」と声高に要求する者、目力で訴える者、黙って運を天に任せる者、給食の時間は密かなサバイバル
人気者や、黙っていても威厳のあるひとは、3つくらい入っていたりするのよ。わたしのように時々うるさくて、やや先生に注意されがちで、平凡だけど、たまに目障りな子は、1個入っていれば儲けもの。まったく入ってないことさえあった (@_@。

いやいや、今さら恨みつらみを述べようというわけではないけれど、フルーツポンチが出た日の午後は、必ず落ち込んだって話よ

あぁ、あたしって、白玉が貰えないほど嫌われてんだ人徳ないんだ・・・・と

くっだらないことだと思う。だけど、好きなものをたくさん貰えたためしがない。別にたくさん貰えなくても平等ならよかった。でもあ~いうのって平等なようで平等じゃない。だって、ひとのすることだし、まして子どものすることだもん。感情むき出しよ (;一_一)
わたしだって、仮にフルーツポンチを配る掛かりだったら背が低かったから絶対ないけど、嫌いな奴には1個も入れてやらなかったかもしれない。でもきっと、わたしの嫌いな奴はわたしよりも強くて、入れなかったら確実に「1個も入ってない!」と騒ぐかもしれないくらいの根性の持ち主だと思う。わたしは騒げなかったけど (~_~メ)

確かに少々の恨みと、後悔がある。だからと言って今さら・・・・もし仮に今、目の前にあの時のフルーツポンチがあったとしても、食べたいとは思わない。だって、よくよく考えたらあれ、シロップだもん。子どもじゃなきゃ食べられない! だからこそ思い出すのかもしれない
損したのか得したのかは知らないけれど、なんだか急に物悲しくなった。あの頃のちいさなわたしに「もういらない」ってくらい白玉を食べさせてあげたいと思ったのよ。・・・・ってこれは、ダイエット中のめまいにも似た幻覚かしら


うちの旦那さまは、白玉が嫌いなんだって。だからと言って、あんみつについてくる白玉を「食べてくれ」と言われても、今はそれほどほしくない。食べるけど
あの頃のような感動はない。もしかしたら、給食の白玉には砂糖が入っていたのかもしれない。飲み込むのが惜しくて、ずっと飴のように舐めていた気がするから

子どもたちに聞いたら、給食にフルーツポンチはあったけれど、白玉は「入ってなかった」という。最近のフルーツポンチには、白玉入ってないんだね
だから、フルーツポンチに関する話は共有できない

だれか、フルーツポンチに思いを馳せているひと、いますか?



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