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連載『あの頃を思い出す』

   8、 ゆがんだ真実・・・8

「尚季」
 暫らくして、流し台で顔を洗う尚季(ひさき)の背後から、神妙な顔つきの朋李(ともり)が名を呼ぶ。
「なに? 押し売りでもきた?」
 朋李はキャッチセールスに弱い。タオルの隙間から顔を覗かせ、玄関へ向かおうとする。
「どうする、断る?」
「なに?」
 振り返る。
「瀬谷くんよ。話がしたいって」
 瞬間顔を強張らせる尚季。
「いるの? だってもう子どもたち迎えに行く時間…」
 今日は土曜、保育園は半日だ。
「どうする? 今日はよした方が…」
 いつになく厳しい目つきの朋李。
「いい。そのまま子どもたち迎えに行ってくる」
「大丈夫なの?」
「うん」
 その目は『もう逃げられないのよ』と言っているようだった。
「わかった。無理しないで」
 しかし尚季の足は重い。まだ目も真っ赤だった。
 玄関は閉じられていた。この壁一枚向こうに、瀬谷がいる。どんな顔で会えばいい? なんて言おうか、考えはまとまらないままノブを握る。
「あ…」
 そんな心境は瀬谷も同様だ。ドアが開いた瞬間の顔を見れば一目瞭然、尚季は少し安堵した。
「尚季さん。なんかあった…?」
 泣きはらした顔…そりゃそう思うだろう。だが。
「なんでもないの。これから子どもたち迎えに行くんだけど…」
「あぁ…ならちょうどいい。ちょっと行きたいところがあるんだ」
「行きたいところ?」
 悪い予感しかなかった。
「なんだか、すごく久しぶりって気がする」
 それでも尚季は、言葉すくなに頷くだけだ。
 尚季の自転車をひきながら、どこへ行こうとしているのか。子どもたちと一緒に「行きたいところ」とは、子どもを連れたままならそう遠くないはず…だが、尚季は「いきたくない」と思った。
「瀬谷くん。今日じゃなきゃダメなのかな」
 どこへ…? 沢山の言葉は、喉の奥に繰り返すばかりだ。尚季はただ、『話がしたい』と言う瀬谷についていくだけだ。しかし「行きたいところ」があるとなると、尚季の足は鉛のようになっていく。
「電車で、2駅なんだろ」
「え? 瀬谷くんまさか」
 立ち止まる尚季の手を掴み、強く引きあげる。
「大丈夫、すぐすむから」
 どこに行こうとしている?
「瀬谷くん、どうして」
 手を離そうと腕を引くが、瀬谷は容赦なく握り返してくる。
「子どもたちにも受け入れてもらわないとならないし。振られたらカッコ悪いけど」
「なにを」
「早く迎えにいかないと、延長料金摂られちゃうよ」
 顔は微笑んではいるが、目が笑っていない。そんな瀬谷を始めて「こわい」と思った。

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